統合失調症ライフ

闘病生活8年目にして寛解を目指すあじーのブログ

絶対安全剃刀~「凄み」の笑いを立川談志を軸に読み解く~㊦

2011-08-22 | 日記
さて、今度はDVDの話。
私が唯一見たDVDは「笑う超人」です。
「黄金餅」「らくだ」が収録されてありました。
私は「黄金餅」の方が好きなのでその話を。

長屋に住む金兵衛は、病気をした隣の部屋の西念を見舞う。
西念はあんころ餅を食べたいと言い、買ってきてやると
一人だけで食べたいと言う。
いぶかしんだ金兵衛がのぞくと、
西念は貯め込んでいたお金をお餅にくるんで飲みこんでいた。
その無理がたたって西念は死んでしまう。
それを見ていた金兵衛は
西念の死体をわざわざ下谷から麻布の葬儀場まで運び、
亡骸の腹をまさぐってお金を取り出す。
その金を元手に金兵衛は商売をはじめ、店は大店になった。

この感想は以前も書いたので「またかよ」の方もいらっしゃると思いますが
おつきあい下さい。

まず、お金をお餅でくるんで飲み込む時の西念の描写から目が離せない。
そして、無償で隣家のおじいちゃんの看病をするような金兵衛がね、
「(棺桶の樽に入らないから)死体の首折っちまえ。」
みたいに言いだすところから様子が違ってきて、
お金を取り出したいばっかりに火葬場のスタッフの人に無茶苦茶注文したり、
人間が変わってくるんですよ。
そしてクライマックスの、
がつ、がつと西念の腹をまさぐってお金を取り出すシーン!
あの必死な手の動き、何かとりつかれたような目、しとどに流れる汗。
人間とはここまで変わるものなのか、
いや、人間が変わったんじゃなくて元からこうであったか、
というより、全ての人間にはこういう要素があるのではないか……。
これは文字で読んでも分からなかっただろうなと思いました。
DVDもっと見たい。

話は飛びますが、私は鳥居みゆきさんの
「マサコ」が凄いと思えなかったクチです。
(私の周囲には男性のファンが多かったけれどどうしてだろう。美貌か。)
まともに話していたはずの鳥居さんが
イキナリ持っていた熊のぬいぐるみを放り投げ、
すごく離れた意味のことをわめきだすという統失独特の状態を演じ、
「ヒットエンドラーン♪」
というギャグで締める。
あれは統失というタブーを扱っていたけれど、
演じることによって観客にこう思ってほしいという
テーマが私には伝わらなかったのです。
だから、笑うけど統失としてちょっと不快と思っていました。

さて、以上のことから私が感じたことは何か。
「凄み」のある笑いをしようと思ったら、

・対象を(この場合は死・殺)色々な角度から分析しつくすこと。
・お客様が見た瞬間に演者の意図がパンッと伝わる技術を持つこと。
・意図を持ってない笑いには凄みが出ないこと。
(自分の中に常に表現テーマをもって笑わせること。)

……おぉ、すごく普通な結論。
私ごときの話なのでこれくらいでお許し下さいませ。

ちなみに、何で「死・殺」をテーマにした作品ばかり並べたかって言うと、
「障害」と同じくらいタブーなものってこれかと思って(単純短絡)。
もっと明るくて軽くて深くて面白い話いっぱいありますよね、落語。

結論は出たじゃないか、
と言われそうですがもう少しお付き合い下さいませ。

ちょっと家元から離れますが、立川志の輔さんの「高瀬舟」を拝見した時、
私はものすごく良いと思い、泣いてないて、

「この人にも一種の凄みがあるんだな。」

って思いました。
けれど、このブログ記事を考え始めた時、

「でも「高瀬舟」を持ってくるのはちょっとズルじゃないかしら。」

という気持ちが芽生えました。ちょっとだけね!
確かに志の輔さんは凄かった。
でも、それは「高瀬舟」のもつ凄みでもあります。
だから、

「安全な枠の中で勝負しやがって。」

という気持ちになってしまったのです。
でも、それをいうなら家元だって「落語」の枠の中での勝負なんですよね。
もっと言うなら、
マンガも、小説も、テレビも、映画も、演劇も、歌舞伎も、オペラだって
安全な枠の中の勝負。
その枠の中でいかに自分の中にある、時にすごく危険な何かを伝えるか。
それが全ての凄みのある創作物の眼目であるような気がいたします。

以上です。
あぁ、かけらをもらうとか言うレベルじゃなかった。
でも、到底無理というのがわかって良かったです。
お粗末さまでした。