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浄土真宗の味わい 電話法話の原稿 みなさんの一言

さとりの身となって

2023-09-13 09:55:26 | 日記
 今回も 本願寺派総合研究所からの【仏教のことば】の紹介です。

【仏教のことば】
 念仏の行者とは、わたしを念仏の行者たらしめている
 本願力の不思議を信知し、感動しているもののことである。
         (梯 實圓『教行信証の宗教構造』P72)·2023年8月7日

【仏教のことば】
 「この源空(法然聖人)の信心も、阿弥陀さまからいただいた
  信心じゃ。そして、善信さん(親鸞聖人)の信心も、
  阿弥陀さまからいただいた信心。だったらまったく同じ、
  一つと言うべきでしょうな…」
         (『いつでも歎異抄』P71「後序」意訳)2023年8月8日


 毎年のご正忌報恩講で 親鸞聖人ご伝絵をご紹介していますが、
法然聖人のところで、先輩同僚と 信心についての論争のところです。
自分の努力で起こす信心ではなく、阿弥陀さまからいただいた信心
そこで、師匠の法然聖人の信心も、お弟子の信心もみな一緒のくだりです。


 【仏教のことば】
  ほんとうの宗教はこの自分の中に最も危ないものを
  蔵していることが知らされることであります。
  浄土真宗の御念仏とは正しくこの私の中に鬼を
  見出すことといえます。
  危ないことを危ないと知らされると、危ないことに
  気をつけることとなります。
         (稲城選惠『人生の道標』P158)·2023年8月9日

 【仏教のことば】
  浄土真宗の仏事は、阿弥陀仏のお徳を讃えるとともに、
  亡き人を、阿弥陀仏と同じさとりを開かれた仏さまとして敬い、
  そのお徳を讃えるということでもあるのです。
  追善供養ではないからといって、亡き人への思いを
  軽んじるということではありません。
     『季刊せいてん』115号P52)·2023年8月11日

 【仏教のことば】
  仏の国に往き生まれていった懐かしい人たち。
  仏のはたらきとなって、いつも私とともにあり、
  私をみまもっていてくださる。このお盆を縁として、
  すでに仏となられた方々のご恩をよろこび念仏申すばかりである。
     (『拝読 浄土真宗のみ教え』P53)·2023年8月12日


 【仏教のことば】
 「…私が死んだらお浄土へまいらせていただきます。
  …けっして遠いところへ離れていくのでもなければ、
  子供と別れていくのでもありません。
  ほんとうのさとりの身となって永遠に子供のうえに
  生きることができるのです…」(山本和上のお母様の言葉)
     (山本仏骨『親鸞人生論』P222) ·2023年8月14日



さるべき業縁のもよほさば

2023-09-05 16:55:50 | 日記
 今回もご本山総合研究所からの【仏教のことば】のご紹介です。
どの言葉を見ても、お念仏の教えに遇えた人の有り難い言葉です。

【仏教のことば】
人間というのは自分が思っているほど一つに決っていない。
固定的な善人、悪人というようなあり方にはなっていない。
…状況や環境次第で、この私自身がどちらにでもころぶのである。
       (相馬一意『本物に出あう』P138) 2023年7月31日配信


 新聞やテレビで見る容疑者を見て、悪人と批判していますが、
一歩間違えば 誰もが同じ過ちを犯すのかもしれません。


【仏教のことば】
経典を読む(読誦)ということは、本来、清らかな悟りの世界から
ひびいてくる仏陀のよび声を聞くことであり、それによって
真実の何たるかにめざめしめられることである。
  (梯實圓『浄土教学の諸問題』下P278)· 2023年8月1日


【仏教のことば】
よく、成仏というと死ぬことだと思われていますが、それは違います。
「仏に成る」ことを成仏と言うのです。
  (松﨑智海 『鬼滅の刃』で学ぶはじめての仏教 P22) 2023年8月2日


【仏教のことば】
必ず浄土に往生する人生を生きるということは、尊い命を
生きるということです。
そこには感謝と喜びをもって生きることができる、これこそが
浄土のこの世におけるはたらきといってよい、私はそう思います。
 (勧学寮編『今、浄土を考える』P70) 2023年8月3日


【仏教のことば】
諸行無常という言葉を、知らない方はいないと思います。…
しかし、それは知識として知っているだけではないでしょうか。
本当にこの世は諸行無常なのだということの納得がなかなかできないのです。
       (淺田恵真『お念仏の真実に気づく』P91) · 2023年8月4日