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浄土真宗の味わい 電話法話の原稿 みなさんの一言

歩くカラス ~生きるということ~

2022-06-28 13:42:40 | 日記

 子どもに聞かせたい法話 ~ 心に響く 三分間法話 ~ という
法蔵館発行の本を手にいれました。「 仏の子を 育てる会 」という
福井の浄土真宗寺院の住職さんや坊守さんが 福井新聞の宗教コラムに
書かれたものを まとめた本です。


 皆さんは 鳥が歩いているのを 見たことがありますか。
鳥は 飛ぶよりも 歩く方が 楽なのだという話をききました。ですから、
飛ばなくても いいときには、できるだけ 歩きまわるのだそうです。

 この夏、私の家のまわりには 十数羽のカラスが 毎日歩きまわっていました。
何をしているのだろうと  よく見ていると、カラスは、地面の中から
はい出てくる セミの幼虫を待ちかまえ、かたっぱしから食べていたのです。
ですから家のまわりには、セミが出てきた穴が  たくさんあるのに、
セミの鳴き声は ほとんど聞かれませんでした。「 ミーン  ミーン 」とか
「 カナ カナ 」という声が  あまり聞こえない、さみしい夏でした。

 セミは、何年もの長い間、地面の中にいて、やっと地上に出て、
羽化して  セミになっても、せいぜい十日ほどの  いのちだそうです。
その十日ほどの  いのちが、カラスに 奪われてしまうのです。
「 かわいそうな セミ、にくたらしい カラス 」と 私たちは  すぐに思って
  しまいます。

しかし、カラスには「 セミ 殺し 」などという 罪を犯したという気は
まったくないでしょう。
きっと餌不足の中で、生きるために セミの幼虫を  待ちかまえるように
なったのだと思います。


実は、そんなカラスと  同じことをしているのが  人間なのです。
直接 手をくだすことはないけれども、動物や 植物のいのちを奪って
生きているのです。
ただ、カラスと違うのは、人間は  そのことに 気づくことができる
ということです。
そのとき、私たちの口から「 ありがとう 」「 ごめんなさい 」
「 いただきます 」の声が出て、そして 手を合わせる心が 生まれて
くるのです。

皆さん、食事のときには  かならず手を合わせて、みんなで
「 いただきます 」を しましょう。 
                    (佐々木俊雄師)

生き物が 生き物を  殺すことは、大変悲しいことです。
しかし、生きていくためには 他の いのちを頂かなければ、生きていくことは出来ません。
カラスが 蝉の幼虫を 食べることをかわいそうと思う私たちも、自分には
寛容でいます。
近頃店頭の野菜は 虫に食われたものが一つもありません。
虫の餌でもある野菜に、農薬をかけ  人間が奪っているからなのでしょう。
蚊に刺されないようにと打ち殺すことも、悪いこととは思っていません。

人間ほど 自分本位で罪深い生き物は 他にはいないようです。
仏さまの願いを、お聴聞することで 本当の姿に気づかされていただくのです。
「 いただきます 」「 ありがとう 」を、忘れては 申し訳ないことです。


ただ『今』を生きる

2022-06-21 11:07:33 | 日記

こんなご法話をネットで見つけました。  

 ただ『今』を生きる

 阿弥陀さまの「必ずあなたを救いとる」という願いは
「いつでも、どこでも、誰にでも」届いています。
と言うことは『今、ここで』私ひとりの苦悩の上に常に
はたらいてくださっているのです。

 私自身の姿を思う時 三つの見え方があると思います。
一つには「私の知らない私」自分の事は自分が一番よく
わかっているつもりですが、自分では気づけない嫌なところも
たくさんあると思います。
きっと周りの人は知っているのだけど、知らないふりをして
くれているのかも知れません。

 次に「私しか知らない私」私は心の中で どれだけの欲や
腹立ちの心を持ち、人を妬んだり羨んだり差別していることか。
しかし それを他人に知られるわけにはいかないので隠しながら、
自分でも気づかないフリをしながら 日々を過ごしているのでしょう。

 そしてもう一つが「仏さまに見抜かれた私」
阿弥陀さまは「あなたの欲の心も、怒りも愚かさも知っているよ」
とおっしゃるのです。
それだけでなく「あなたの悲しみも知っているよ、苦しいね、
辛いね、寂しいね」と私とともに、いや私に先んじて
悲しんでくださる仏さまなのです。

 ずいぶん前の事になりますが、若くしてお連れ合いさんを
亡くされた男性のご門徒さんがお寺にお参りくださいました。
小さな子どもさんを お一人で育てておられるのです。
最初は笑顔でお話をされていたのですが、帰る間際に
阿弥陀さまの前にすわり、そのうちに肩を震わせて涙されたのです。

大きな声で亡き お連れ合いさんの名前を呼びながら涙を流されました。
子どもたちの前で泣くことも出来ず、いつも笑顔のままで
心の中でだけ、涙を流してこられたのでしょう。

 そしてこうおっしゃったのです「今日はお寺に来てよかった、
お寺って泣いていい場所だったんですね」と。
安心して泣ける私の居場所がある、そう教えてくださいました。

 阿弥陀さまは私がいかに隠そうとも すべてをご存知、
つまり私の正体がバレてしまっているのです。
隠し事をしていると、もしバレたらどうしようかと心配になりますが、
バレたらもう隠さなくて良いのですから安心です。
本当の安心が そこにあります。
だからこそ阿弥陀さまの前では 安心して涙を流すこともできるのです。

 今の私にどれほどの苦悩があろうとも、そのままに
包み込んでくださる阿弥陀さまがご一緒です。
安心して、ともに歩ませていただきましょう。

         宮崎県高千穂町 浄光寺 岩尾 秀紀師

 

 


一番上等のお供え ~喜んでいただくのは~

2022-06-17 11:44:39 | 日記

 鹿児島別院のページのご法話に こんなお話がありました。
お仏壇に いろいろなものをお供えしてあるのを目にしますが、
最上のお供えは一体何なのかを 教えていただいたというお話です。

 思うこと一つかなえば また一つ

 山口県長門市俵山に深川倫雄という和上さま(僧侶)がおいででした。
この和上さまがご門徒のご法事に参った際、そのお宅のお仏壇の前には
一升瓶の日本酒が供えてあったそうです。

「今日は日本酒をお供えしたんじゃな」
「そうです。この日本酒は主人が大好きな日本酒でした。
 だから今日、主人が喜ぶかと思い、この日本酒をお供えしました」
この言葉を聞いたとき、和上さまの表情が曇りだしたそうです。

 そしてこう仰せになられた。
「なぁ、奥さん。あなた早く、主人を仏さまにしちゃれよ」
「あれ?和上さまはいつも仰せではないですか。如来さまが
  南無阿弥陀仏の名の声となって、私のところまで来てくださって、
  命終わっていくときに私を極楽浄土まで連れ帰ってくださると。
  主人は今極楽で浄土の仏さまとなっておるんじゃないんですか?」

「奥さん、あなた先ほど主人が喜ぶと思って日本酒を
 お供えしたと言っただろう。
 ということは、主人はまだお酒が好きなところにおるのだな。
 だからまだ主人は仏さまになっていないのではないか」

「そんなことを言うなら、一体何をお供えしたら主人が
 一番喜ぶんですか」

「それはね、奥さん、あなたのお念仏だよ。
  あなたが『南無阿弥陀仏』とお念仏をお供えしたら、
  仏さまとなった主人が、『あぁ、お前もその南無阿弥陀仏に
  出遇ってくれたのか。
  お前の命も死んでしまいの命じゃなくなったね。
  私と同じ極楽に参って、私と同じ浄土の仏となる
  尊いいのちを生かされているんだね。
  離れ離れになるのではないね、よかったよかった』と
  喜んでくださるんだよ。
  だからね、お仏壇には南無阿弥陀仏をお供えするのが
  一番上等なんだよ」

 と和上さまが仰せになったといいます。
 お仏壇には色々なものをお供えするかと存じます。
  その中で最上のお供えは何か、それは『南無阿弥陀仏』の
  お念仏です。
           山口県防府市 万行寺 石丸 涼道師著


 お仏壇には、生前好きだったものなど、お供えしておられる方が
ありますが、今はもう 仏さまとなられた方です。
一番に喜んでいただくのは、食べるもの飲むものではなく、ただ
南無阿弥陀仏のお念仏だということを、教えていただきました。