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ノアの足跡

西湘南どうぶつ愛護会が発行しておりました会報誌の活動報告をご紹介します。あわせて近況もUP予定です。

新潟中越地震 飼い主さんの極限の思い

2004-11-28 13:28:44 | Weblog
新潟中越地震から、ひと月が経ちました。
その間の走行距離およそ、3500キロ。
なぜ?こんなに新潟へと惹かれるのだろう
そんな重いで高速を走らせた日々でした。
避難所での被災者数は、報道によれば日々減っています。
しかし、これが解決になつた訳ではありません。
今回の新潟入りの間に、拠点を構える小千谷市の仮設住宅への
ペット入居可との公開がありました。
しかし、避難生活をペットと続けられている方々の心が
これで軽くなったわけではないのです。
仮設住宅の建設数と申し込み数には400以上の差があるのです。
現段階では、小千谷では仮設が足りないのです。
仮設への入居申込書には、ペットがいる・いない・種類などの
記入欄があります。
仮設への入居優先は、全壊家屋、高齢者となります。
ペットがいると言うことで仮設への抽選漏れをしたらどうしよう・・
そんな不安が、飼い主さんたちの胸に湧き上がります。
現地でのテント滞在を私は約2週間体験しました。
身体の疲れはとれません。
被災されている方々は、10/23からこうした生活を続けているのです。
愛犬が鳴くことで人に迷惑にならないだろうか?
愛猫が夜、遊ぶことで苦情がでないだろうか?
ペットと避難されている方は、とても気を張り生活しています。
夜になるとこれからの生活を考え、眠れないと仰います。
私達のテントには、不安を話すことで少しは気がまぎれるのでしょう
ペットと避難されている方々が立ち寄ってくれます。
涙を見せてくれたとき、自分の力不足を痛感しました。

新潟中越地震 ボランティアって?

2004-11-15 16:52:32 | Weblog
泥だらけの車で我が町を走り回っていると
「どこにいったの?こんなに車を汚しちゃって」
なんてよく言われます。
「新潟です」こう答えるとたいがいの方が
ボランティアなのすごいわねぇと言います。
新潟入りして感じた疑問はボランティアという言葉の意味でした。
避難所に積みあがり余った食料の数、痒いところに手が届きすぎるほど
手をさしのべるたくさんの手。
なにか違和感を覚えました。
正直、日本語の意味する「ボランティア」と言う言葉が
私は嫌いです。物を送る、手を差し伸べる・・それは
必要なことかもしれません。しかし、被災された方々の
それぞれに「復興」と言う意識が生まれない限り、再建は
始まらないのです。たまたま、動物達を通して私は新潟の方々と
言葉を交わしています。
「そこに愛するペットが待っていてくれるから頑張れる」
そんな思いを形にしていきたいだけなのです。
たくさんの地方からのボランティアと会いました。
昨日はどこに行ってきたの?と質問するとたいがいの短期ボラは
震源地を見てきました。と答えます。それも大切なことかもしれませんが
すぐに人の心が、ふれあいが必要なのです。
「してあげる」「やってやった」そんな意識が被災者の方々の肩身を
狭くしてしまっていることは事実なのです。
今日お話した山古志の方の口から出た
「被災者だからあまり図々しい事は言えない」という言葉が
悲しく響きました。
ボランティアと被災者との間にある温度差に戸惑いを覚えるこの頃です。
今は亡き主人の言葉が思い出されます。
「ボランティアとは平等を分け与える事」
そう、私のキーワードは笑顔です。
何もできません。ほんの小さな活動です。
その向こうに、再建への意欲が見えた瞬間がいちばんの
私達にとってのご褒美です。
そのために現地の方と交わす言葉を大切に・・

新潟中越地震 現地で感じた思い

2004-11-13 19:31:39 | Weblog
「新潟中越地震支援ブログ」を当会HPに作成してから
たくさんの方にお声を掛けていただくようになりました。
ノアの足跡、このブログにて最後に地震のことを書いた時点で
すでに気持ちだけは新潟に向いていたような気持ちです。
メディアを通して伝わってくる情報に歯痒さを感じながら
取り残され不安に怯える犬達に思いを馳せながら
そして被災した犬・猫達の心に傷が残りませんようにと祈りながらの
現地入りでした。
現地に足を踏み入れ、真っ先に感じたことは避難所での情報が
関東で暮らす私達と比べて圧倒的に少ないということでした。
連絡先を書いた張り紙を知りえた避難所へと貼らせていただき
小千谷に拠点をかまえました。初日、2日目とフードとエチケット袋の
需要があまりに多いことに驚きました。
ウンチを拾うスーパーりの袋さえ、家から持ち出せない人が多かったのです。
次々と寄せられる声、抱きかかえることの出来たワンニャンたち。
それぞれが、壮絶なシナリオからの生還者でした。
動物を通して、伝わってくる飼い主さんの悩みや苦悩は
やりきれなさを通り越し、悲しみに突き落とされるばかりでした。
悲しみからは何も生まれないと知りつつも、反面
悲しみをかみ締めなければ前進できないと、痛切に感じていました。
涙が伝わります。横になれば、飼い主さんたちの言葉がグルグルと廻ります。
なによりも、山岳の集落より避難された方々の素朴で飾り気ない言葉は
私を苦しめ続けました。
自然に逆らうことなく、自然を守り、共存をしてきた人達が
なぜこんなにも苦しめられなくてはいけないのか。
起きてしまった自然の摂理に刃向かうことは出来ずとも
憤りを覚えた心は悲しみから抜け出すことが中々できずに居ました。
テントで暮らす助かった命達のシッポが普段と変わることなく
家族に振られ続るのを見た時、方向が見えたような気がしました。
どんなに時間がかかってもいい。出来るだけ家族の元で暮らせるように
進んでいこう。
小さな命達は、放棄された訳でも、捨てられた訳でもないのです。
「地震」と言う災害に運命を変えられ途方に暮れているだけなのです。
1年かかろうと2年かかろうと、ご家族の思いが小さな命に向けられている限り
待っている命があるから、頑張れる限り
「再会」と言う終章を笑顔で迎えられるまで、少しづつ続けていこう。

ご自身たちが一番大変な時にも関らず、笑顔で私達を迎えてくださった
新潟の方たちに教わった、原点と言う名の大切なものを
笑顔でお返しできたらと、今改めて切に願います。