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ノアの足跡

西湘南どうぶつ愛護会が発行しておりました会報誌の活動報告をご紹介します。あわせて近況もUP予定です。

改めて思うこと。

2005-07-03 09:23:26 | Weblog
最近、また地元のワンニャンや近隣のワンニャンの飼い主さんたちと関るようになり、発進当時の愛護会の雰囲気が戻りつつも、、、一度ネット環境に身を置いてしまった愛護会には、とーーーおくからの依頼も入ってくる。
まぁ、そんな日々は走り続けてるから当たり前なんだけど・・・

昨日、久しぶりに「新潟中越地震」を振り返る瞬間があった。
被災したらどうしたらいいの・・・?
そんな、質問を良く受けるようになった。
震災からかなりの時間が経過しても今だ、私の頭の中では情報は整理できないが
震災直後でていた問題を書いてみます。

・フードがない
・クレーツに入れると吠えるので避難所の外で夜をあかした
・ペットたちの食欲低下&PTSD(余震がくるたびに吠えたり震えたり)
・持病の症状が悪化(抵抗力の低下)
・リードやフードを倒壊家屋からもちだせない(もちろんコンビニも品切れ)
・放し飼いにしてある猫がみつからない(ポスターをつくるにも写真もない)
・車中で動物達のために寝泊りしてエコノミークラス症候群で死亡した方がいる
・狂犬病ワクチンは打っていたが、混合ワクチンが未接種の子が多かった
・蚤ダニをつけている子が多かった
・避難所から家に通い世話はしていたが、避難所に連れてこられないため不安
・通常の生活では躾はさして気にならなかったが、集団での避難所生活では迷惑がかかった
・再建までの一時預かり先が、見つからない

などなど・・ここから見えてくるものは?
そんなこんなを、整理してみたいと感じています

祝 4年目突入!

2005-06-12 09:50:01 | Weblog
2002年6月1日。神奈川県のはじっこの小さな港町で動き始めた愛護会も
この6月で丸3年。無事4年目に突入いたしました。
愛護会から巣立って行った「命」約300頭。
笑顔の再開もあれば、安住の地にシッポふりふりの子もいれば、見送る預かりさんの涙もあり
そして・・虹の橋を渡ってしまった命もありました。
地域のむ野良猫ちゃんに始まり、放棄ワンコ、多頭飼育場、骨折とび&かもめちゃん、時には
アライグマ目撃情報、捨てられちゃったフェレット、あひる・・・・
犬や猫だけにしたいとの願いも、こっぱ微塵になんでもありの、愛護会。
そんな活動をネット配信しはじめて2年。
ネットやフリマを通しての
何千人もの温かい方々との出会いが、今の愛護会を支え続けてくださっています。
ひとつでも多くの笑顔を届けたい。
同じ時代に生まれたことに感謝して・・・
忘れることなく、無理せずに、時には無理もしちゃったりして。。
まだまだ、スタートラインだと感じています。
新潟中越地震、台風23号、地元外での活動も一歩づつ始まっています。

至らぬところも多い「西湘どうぶつ愛護会」ですが
どうぞこれからもよろしくお願いします!

新潟中越地震。葛藤と現地の温度差。

2005-03-02 11:43:51 | Weblog
「おつかれさまでした!」
新潟で長期活動を続けてくれるNちゃんから、ポンと渡された
1本のペットポトル。
「たまにはごちそうしますよ」
そんな笑顔がとっても心に響く、新潟での出来事。
その裏で、自分の力のなさを嘆く。
愛護会と言う団体として、支援を募り活動を続けてきている
その代表である自分がしなくてはならない気遣い。それを
現地で過酷な生活を送りながらも笑顔で被災者を支援してくれる
ボランティアさんに使わせてしまった。
家を失ってしまった方々から寄せられる、里親探しの依頼や通院に伴う費用
関東から駆けつけてくれるボランティアたちの交通費など、今の愛護会で
全てをまかなうことは、不可能に近い。
預かりさんたちへの負担もおのずと増えてしまう。
それでも、頑張ってと支えてくださる支援者の方々。
現地で、猫をひきとって欲しい。。そんな依頼の全てを賄えるはずもなく
歯痒い気持ちで、最善策を探す、現地ボランティア達。
テントでの長期滞在、「おやすみ」と声をかけそれぞれが
テントに戻っていく。その手には1本のビール。
「飲まなくちゃ眠れない・・」
その日の出来事がぐるぐると脳裏をかすめ、非力さを痛感する毎日。

ちいさな力も 集まれば いつか大きな力になる
たったひとつの笑顔でも 笑顔が迎えられればいい

現地で活動するボランティア達に、募金の心配をさせずに
活動を続けてもらいたい。これはだれでもなく私の責任である。

震災から4か月。余震は収まりました。仮設での生活も落ち着きました。
報道は、そう繰り返す。
「復興」
スタートラインは、真っ白な雪で覆われた倒壊家屋が春になり
姿を現したときから始まることが忘れられてしまっているようでならない。

「どうぶつ愛護」と言う指針を掲げ活動を続けている当会だか
家族の営みが復興しないかぎり、ペットたちの平穏な日常はやってはこない。

現地にて、極限まで体力を使い活動するボランティア
不安を抱え、仮設での生活をはじめた被災者
被災地に自分探しにやってくるボランティア

心の中の折り合いは、どこにいようが自分でつけていくことしか
出来ない事を、それをサポートしていることを改めて私自身も認識しよう。

そして、応援を募金と言うカタチで届けてくださる支援者の方々への
感謝を収支報告、そして現地リポと言うカタチで続けていくこと
後方支援の上に私達の活動が成り立っている事をあらためて
PCの中の温度と、現地新潟での温度差をみつめながら
痛感した。

3/28新潟入りします。
「春」を迎え、我家へ帰る人々になにが出来るかを探し
ちいさな力を繋げていくために・・


風評被害

2005-01-08 19:50:47 | Weblog
空いている・・・越後湯沢の駅に降り立ったときに、妙な違和感に襲われた。スキーシーズンなのに板を載せて走っている車が一台も、走っていない。レンタカーを借り国道を走らせながら、見えてくるゲレンデのリフトが、止まっている。最高の天気、たくさんの積雪。何年間か苗場に通い続けた記憶が蘇る。越後湯沢の駅は(手ぶらでスキー全盛期)ごった返していた。都内から新幹線で1時間半あまりで着く、広いゲレンデに心躍らせた人で、活気づいていた。それなのに、まるでスキー客がいない。「新潟県」こんかいの地震で降り立った、長岡から新潟市まで100キロ以上あることを知った。震源と言われる川口町から、越後湯沢まで、1時間ちかくかかる。「新潟」と言われただけで「危ない」と結び付けられてしまうからなのか・・閑散としたゲレンデを眺めながら、今こそ「新潟」に来て欲しい。そんな風に感じた。

スマトラ沖地震

2004-12-27 11:40:54 | Weblog
今年の地球はいったいどうしてしまったのでしょう?
飛び込んでくるのは、悲しいニュースばかりですね。
新潟といいタイやインドと言い
津波の被害に遭われた方の多くが、自然と共存共栄しながら
営みを育んで来た方が、命を落とされたり、土地を失われたりと
なんともやり切れない想いばかりが募ります。
わたくし事ですが、亡き主人の曾祖父の眠るお墓のある
インドは、思い入れの強い国。
息子の中にほんの少しだけながれるインドの血。
その国で命を落とされた方への追悼の意が募ります。
自然をお借りして生活している私達。
その自然が時折見せる、脅威に逆らう術はないと
知りつつも、悲しみは募るばかりです。

亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。