言い方の問題ではある。
「ガンダムG40」は、今まで通り、その結論としての現在系、ではあり。
「ビヨンドグローバル ガンダム」は、問題の改良をした現状、ではあり。
「これはダメだ」と理解する上で、「ガンダムG40」は視覚的に解る。
同じく「問題は無い」そう言わせる為に、「BGガンダム」はその存在が有る。
「これで良いんだ」
そう言う”それ”はつまり、親の要求?を否定する事にも成る、訳だが。
その際の、「なら責任は全て自分で背負えよ?」その返答をも、同意する必要はある。
「G40ガンダム」が、何故こんな造形か?と言えば、その「親の意向」それを無視してないから、だ(多分)。昭和の頃の倫理観、”それ”をそのまま投影する結果、何故かこうなった。昭和の頃のロボットアニメは大概は、親の創ったロボットに子が乗る、と言う奴が多い。天皇制の倫理観、”それ”が色濃く出ている…もちろんガンダムだって、実際はそうだ。親のしていた事を受け継ぐ、”それ”は不文律の様なモノとしてあって、しかし。
その結果、「最後は”神様”に聞く」と言う部分まで、古い方は残っている。結果、”自称神”の意向、それを無視しない時、このガンダムは産まれた、訳だが。
良くも悪くもGBガンダムの方は、”これ”の否定で成り立っている、のだ。
自分の提示する、「ガンプラ査定草案」から考えても、このガンダムは「強そう」ではある。造形的にも、アニメーター的にも、脚本的にも、かなりパワーのあるプレッシャーを見せる。「これで良い」のだがその時、つまり、「自己責任でお願いします」それもまた、実はそこに色濃く反映し始めるのだ。
家族を護る、そう言う感覚は、親の方の”それ”だ。
その時、子供のした事は全て親の責任、という感覚も出てくる。
しかし、実際には子供とは、親がプログラムしたツールでは無い。”それ”が自分の期待する動きをしない事はプログラマーの責任だが…子供に対して”それ”は適用出来ない。相手の自由意思の結果として、それはそこに有る。自分がそこに産まれた理由さえも、それは。
当り前の話だ。
ただ結果、子供が発生させた損害もまた、子供の責任でしかない、そう言う事には成る。
それは自由と言う、一つの結論ではあり。
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