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あげちうのブロマガ

当たり前のまま過ぎてしまった月日

それは、人間が失ったしっぽ、みたいな物なのだろうか。

昭和の”あの”頃を蘇らせる、様な意識の先で、「でもお前はダメだ」そう言う部分がある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

夢の中で呼んでいたあの子は、自分を何処へ連れて行こうとしていた?

 

スーパーマリオ(の映画)が、ゼルダの伝説が、ゴジラが、ガンダムが大ヒットしている、という「今、いつ?」とか、健常者でさえ思ってしまう状況。感覚的には昭和の様な活気を取り戻しつつある、気もするがしかし。数多の残してきた願いは叶いつつある中で、「自分の作品が売れた!」は、今も未達、ではある。

元々、”それ”は幻想だったのかも知れないのだが。

自分で創案して描いて、それを街角で売ってると買っていく人が居て、好評になり、という「良くあるネタ」は、実際にはかなり希少な例であり実在も危ぶまれる、そう言う物だったりはする。結局ゴッホも、死ぬまで「売れた」と言う結果の無いまま自死で生涯を閉じてしまった。歴史的な芸術家を見ても実際には、「パトロン」依頼主と言って良い”それ”が無い状態で成功してる人はほぼ居ない。要求が有って、対応があって、結果がある。漫画家は、「掲載雑誌が売れる様に」漫画を描いているのだ。創作で有っても利益性それに届くには「働く」そこを避ける事は出来なかった、のだが。

自分もだし、ウィザードリィとかの「マスコミ上の」情報もある。「良いモノさえ作れば売れるのだ」それを、時代は信じていた現実は深刻に、重い。

「売れれば良い物」と言う、今の倫理に対して、”それ”は今までのそれらを、売れなかった力作を、全て駄作、ゴミにしてしまう。自分もそうだ、”それ”に対してどれだけのコストと情熱を注いだと思っている?”それ”でも物理は態度を変えない、要らない物は要らない。その前で、人は何かの変質を起こしていた、それはあって。

物理へ立ち向かう果てに、阪神淡路大震災、東日本大震災、コロナ禍、そして能登半島地震と、どれだけの物理的応報を受けたか解らない中、流石に「折れた」諦めた人々によってか、逆にヒット作が最近は量産されていく現状では、ある。売れるモノは創れる、それはそのまま経済の復興、発展に直結している。その先には、昭和の頃の様なあの活気、それが待っているのだ、が。その時つまり、棄てていくモノがある。

未だにか、”それ”を或いは、映画の中で語らせる事には、ちょっと抵抗が重い。

「僕らは子供だったんだ、ただ、楽しい事だけを追いかけてしまった。それで暮らしていけると思っていたけど、結局はアダムの楽園みたいな物でしか無かったんだ、知ってしまえばもう、そこには居られない」みたいなそれは、真実かもしれないが…上から目線の苛立たしいお説教、というニュアンスは深刻にある。今、売れる作品を作ろうとしたら本当に、「シュナイダー社の新型兵装は人気だそうだ。用件はそれだけだ、じゃあな」と、最終的には意味が解らない事を語るだけに終わってしまう。お客の反応はその時、尖り具合がいい、空力最高、等々、最終的には理由に対して間違いしか言わない。語らない真実、みたいな物こそが今、利益性に最も近いがそれだけに、そこには深刻で厳密な選別はある。

結果、棄てられていくのだ、「楽園に戻ろうとする思い」それは。

帰る事は出来るだろう、何かの限界を超えた先には、あの楽園は待っている…もちろんまた、現実を知っていけば、そこからは出なければ成らないが。大人は子供を育てなければ成らない、じゃないと自分が子供に成る時、大きくなるまで育ててもらう理由が失われる。病を患っても介護して貰えるのは、健常者で有る時に似たような支援をしているから、だ、実際の問題ではなく。「社会保険料」として毎月徴収される額は、自身が或いは老いた時にこそ意味を持つ、”そう言う物”ではあって。

正論は、語る必要が無い位に当たり前である。

ただ昭和は、その先を目指していた、のだ。

「それは無い」それは、真実か否か。

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