問題は多く無くなっている、感じはあるが、問題は残ってる感覚もある。
ただ「あいつの性格が悪すぎる」は、問題なのか?は、ちょっと議論が必要にはなる。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「儲かっていいですね」の、先にあるその視線。
もちろん、大手というか大資本、”それ”がバックに居なければ成り立たない話、なのだが「ガンダムSEEDフリーダム」の様に売れる!作品を作る上での「着火方法」に、ちょっと光明が見えた感もある現状。「M式特殊融資」と言う方法論は、あくまでも「証書」を提示、「”完成したら”出資する」事を約束するだけに過ぎず。ただ、信用が有るならその証書は担保に等しい物には成る、訳で、投資家他の融資を呼びやすくなる。従来の様な「ともかくお金渡したら全然違う物を作った」と言う事態は起こりにくいし、起きたとしてもそれは出資した側の責任、証書を発行した側はそれに融資する必要は無く、痛みは無い。チャレンジ精神、博徒のそれは相変わらず必要だがそれでも、理不尽に失敗する可能性それはかなり減った、気はする。これで、或いは売れる作品が増えると多少は、状況は沸く…とは思うのだけども。
がしかし、意識的には現状も既に、予約で予算は終わってしまった、感はまあある。売り切れ御免ではあるのだが、そこに不満があるもちろん、それはその通り。
このラインの不満は、ちょっと「次を待ってくれ」みたいな話で終わりにするしかない、のだが。放送枠も放映枠も有限ではある。溜まってしまった何かは、順次片付けていくしかない。
今のその懸念は、「欲しいガンプラが売ってないんです」と言うそれでしかないがそれでも、ファミコンの時にも「ファミコンソフト狩り」みたいな話は結構あって、剣呑の原因それはまあ、そう。逆もある、枠も取れたスタッフもそろえた、しかし担当者が「止めよう」とか言い出す奴とか。”この”感覚は、当事者でしか解らない恐慌ではありそして、”この”先に進む結果が芦原女史の自殺、という最悪のオチでもある。その時、どうしても周囲が「何故?」を怒気と共に詰め寄るという事態はあり、鏡気症それは、そう言う時に発症する、のかも。
ともかく創作として「大きい」それは、人によっては命綱無しでの東京タワー登頂、みたいなイメージに成るのは良くある話、ではある。地方いや国の中枢でも、「責任者に成りたがらない」それは、”それ”が広がった結果、だという感じもあって。実際にはメリットなど殆ど無いのだ、労苦に対して応報が無さすぎる。メリットが有ればいいのか?それも疑問で、ともかく今、「高い場所」それは、ほぼタブーな場所に成ってしまった。
批判されてもされなくても、”その”場は日々、様々な”厄”との戦いをし続ける事にはなり。
知識だけでは不足が出る、今はそういう状況には成っていて。大分軽くなった、筈だがそれでも、いくつも重なるとテンパってくる、それもまた、現実ではある。
戦争中だから、だろうか。
ともかく「ガンダムSEEDフリーダム」は大ヒットした、が。それがでも、状況ゆえの命懸けの挑戦だった、という…それは、伝わる人は少数、だろう、多分。