
「需要」それは複雑怪奇ではあり、一般論で不必要な物がその領域には必要と言う話は多い。
創作は常に利益を求められるがしかし。利益性のない環境は、自分の楽園かも知れないのだ。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「私はここで生きていく」とか、まあ物語的には良いオチ的には描くが
「ボーイズラブ(BL)」と言うジャンルの是非は語るべきか否か?ではある。最大の需要は「男は居ない」事だと思ってはいる。少なくともあの環境に入ろうと思う男はいないだろう。作品が「価値」と言う、「人々の意思の集合」を形成する時、そこには当然男も入ってくる、が。BLの環境なら、彼らは勝手に出て行ってくれるのだ。そこには、女性らの楽園がある。
”これ”がプロ創作と言うか、一般的な利益を要求されるとそれが崩れてしまう訳で…要するに、ここもまた、独裁創作、作者自身を神にしてくれる環境で無ければ成り立たない、そう言うジャンルではある。
…そのくらいに、男性と言うのを否定する意識、それはある訳で、そこには深刻な実感や過去、そう言うのもある、訳だ。そこに対して奇妙な親切心みたいな余計で踏み込むべきか?ではある。ただもちろん、そこに未来は有るのか?というそれは、ちょっと微妙な話には成るのだが。
ともかくその時、「独裁創作」それは、ある程度は許容が必要、そう言うのはまあ、出てくる。”彼ら”はその場から出る事が出来ない、外には跳梁跋扈する魑魅魍魎の群れが居るのだ。そして、それが利益を出しているからと、ドラマ化などに踏み込む、というのも実際は面倒しかない事には成る。多数決のプレッシャーで押し切るのは民主主義の悪い面だが、相手が健常者にしか見えないにしろ、最初から商業創作的に作っていないのであるなら、”そこ”に踏み込むのは侵略に等しい、それは倫理的にも問題は出る、訳だ。
「こうすればもっと!」それは、余計である。
成功している様に見えるなら、削れている部分は「然るべき理由が有って」削ってあるのだ、そこを埋めては成らない。
兎も角、商業創作も、その「許容される独裁創作の範囲」には踏み込んでは成らない、のは良識の範疇でさえある。その時、自身の希望が満たされないとしてもそれは?諦めるべきポイントだとは思う。
もちろん同時に、そこにしか居られないなら?それ以上は諦めるしかない、訳だが。都合のいい話は無いのだ、そう考えていた方が、どうもいい。
多数決で少数をねじ伏せようとする、それは多く、理不尽とも思える反発を産んで失敗する。
世の中は、面倒だ。
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