
「ビルドバーニングガンダム」それは、色々あって、個人的には問題ないMSである。
最近でも無いが、”これ”がゲームセンター的な?つまり「遊戯施設」を認証している、と言う事は理解し得る訳だが。”この”部分の発展が、そのままゲームセンター的な施設、その発展を意味する。
意味する。
「ガンダム・ビルドファイターズトライ」の物語その物が、そんなに悪かったか?と言う事には色々、ある。前作の”それ”が、言えば映画的な展開?手法、そう言う「何かの緻密さ」ので構成されていた事からすると、トライの方はどうも漫画的な行き当たりばったり感は強く…状況にそぐわない物、それもガンガン投入する結果、どうも印象は散漫で、前回のそれと比べると、もう一つ感、それはちょっと強かった。
ちょっと適当かはともかく、イメージとしてはこんな感じ。
その主役機が、そんなに注目されない感もまあ、理不尽さと共には有る訳だが。
そもそも、「認証機関である」と言う主張、それは自分の勝手な設定、ではある。
今の状況で、「私は!」を言うのは、何となく憚られる感じには変化した?現状。公的では無い物、”それ”を現場に強要する、と言うのは流石に躊躇うと言うか、お呼びで無い感は否めず。「どーも失礼いたしました!」で、場を冷笑の渦に飲み込む前に飲み込んで退散した方が良い、それは何となく理解するところだが。ともかくそう考えると?「何故ガンダムだけが特権的に?」それは、解る部分に成る訳だが。
昭和の頃、紛争解決を求められた”それ”に、富野監督以下が、何とか答えた結果ではある。それは紆余曲折の末に今も、安定した?それとして、バンダイを支えては居る。そこには意味と、役割がある訳だ。単に宝くじで当たった、だけでは、ここまで残らない。
自分は別に、「ビルドバーニングガンダム」それが、実際には自身の企画したゲームセンター?的な”それ”を指している、としても問題は無い。ただ?劇中でも、ここからトライバーニング、カミキバーニングへと”進化”はしていく、それに対しては、自身としては微妙さが有った位だ。ビルドバーニングで十分なのに、それ以上って何だろう?そう言うのも、この作品が微妙さを孕む容認、だったろうか。
ともかく割と残念な感覚として、ビルドファイターズはこの次の?「アイランドウォーズ」で、作品としては一区切りついてしまう。結局、最初の「ビルドファイターズ」のヒットを発展させる事が出来ないまま、現代的な感覚?に修正?した「ビルドダイバーズ」になり、現在は更にまあ、なんちゃらではある。
関係者は、理解していただろうか、”それ”が売れない、と言う事は、「その市場が」あまり市場的規模を持てない、と言う意味に成る事を。その辺に現場的な同意が得られない?まま、現在の問題はただ「何故だ!?」を言いつつ、何となく続いてはいる。
「面白い」作品は必要ではある。
それはでも、個人の主観で決まる物じゃない、それは解っている。
「売れなかった」それは、何処まで行けば真実に成るのか。
多くは、その混沌の前で道を歪めていくのだ。
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