goo blog サービス終了のお知らせ 

あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

それは崩落した塔の下で

2019-10-16 21:17:53 | インポート

心理的な抵抗感はある。

「アルバート・アインシュタインは、無能な豚だ」

と言う評価にする結果、何かの呪縛が解かれる、と言うのは有るかもしれない。
その結果、何かの不動だった部分に対して、疑念と、改良の可能性が発生する。

ミクロで言えば、「デッド・バイ・デイライト」の基本的なゲームシステムだ。

このシステム、キラー側は「一人は確実に殺せる」し、サバイバー側は「一人生贄にすれば、他はみんな助かる」結論で、そう言うルールに成っている。

面白くない。

提案した事はある。「ライヴィング・リリィス」と言う救済措置を設定したらどうか。

一人吊るされると、サバイバーらの周囲の何処かに、「その花が」咲き始める。”キラーには視える”が、サバイバーには基本的には見えない。それを見つけて採れば、キラーはその場でスタンし、吊るされたサバイバーは開放される。この結果、キラーは直ぐに、その花を探して潰さねば不利になるので、その場から動かねば成らなくなる。サバイバーにしたら救出のチャンスが発生するが、逆にそれを見越してサバイバーをおびき出す様な事も可能だ、ともかくそこに選択は発生する。

が、それに類するシステムは今も、導入されていない。何故か?と言うと、向こう側は「アインシュタインを神としているから」だ。太平洋戦争時に勝利したのはアメリカである、だから、相対性理論は神の法であり絶対だ、その感覚が帰結で、このルールに成る。

言葉は合致していく。

「空気読めよ」
「それじゃ面白くないだろう」
「殺し合いだぞ?」
「誰かが犠牲に成らなきゃいけないんだ」

相対性理論を土台にする時、発生するルールが”これ”で、それは太平洋戦争のそれでもあり、そして日本はその時、「空気を読まずに」必勝法を見つけて実践し、アメリカ側から最終的に”生贄として選ばれた”訳だ。「物は何故”ある”のか?」等々、原理的な事柄に返答できないまま評価だけが上がっていく時、そこには「貴方が神様ですか?」その、シンプルな問いがあり、多分。

アインシュタインはその時、”間違った選択をした”のだ。

「価値」を生成できない当時、誰かを、”確実に”生贄にせねばならなかった。その時、”この”システムは、安定して「生贄を創れる」訳だ。一人捕まえて吊るせばそれで良い、他3人は、逃がしても構わない。現実は漫画とは違うのだ、漫画は面白いかもしれないが、現実とは結局。

彼の私生活は、それほど好ましい状況では無かった、らしい。

色々な意味で歪んでいく先で、結局彼は、王の権威でありつつも、邪な魔王と化してしまった…そう言う事だったろうか。

「アルバート・アインシュタインは、無能な豚だ」

そう思う事で、相対性理論、”それ”に対しても、妙な権威性に気圧される必要は無くなる。
今では、ゴミでしかない残骸かもしれない。それを学ぶのではなく”信仰”するなんて、愚の骨頂だ、同じレベルの無能な豚、その所業だろう。

バベルの塔を建造して上り詰めたその王は、神の罰を受けたのだ。

その名を、アルバート・アインシュタインと言う。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。