「何の為にこんな事してんの?」エヴァンゲリオンの頃からある問いではある。
結局その時それを問うた何かは、その後も理由を見いだせていない気も、する。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「あーめんどくさい、早く帰って」が、有るって事は幸せなのかも
最終的には「死なない為」と言うのがまあ、”ここ”は答えという事には、している。人は価値を喰う。するとその分減る。その減った分を何処かで回収しないと価値は減り続け、やがては価値が無くなる=死ぬ。それを可能な限り避けるのが宇宙としても”正義”だ。それでいて、それは確実に訪れはするのだが。
「創作は必要な物だ」と、野原で誰も見ていない中、一人何かを演技している人のその後は?ではある。
何処から?それは、自身の「減った分を回収したい」その意欲から、だ。話は簡単だ、失った分を何かで埋めて形を整えればいい。ただその前に、「どう減っているのか?」取れてしまった部分は何処か?を解ってないと埋めようもなく。まずは「理想」その場の、それを意識しないと何をどう埋めていいかも解らない。後は適当にそれをそこに創り埋めてやれば、とりあえず危機は去る、が。
その「理想」それが、有りえない物だった場合、果たしてではある。
今の時点でも、「独裁創作は売れない」漫画家、小説家の夢?使命でさえあるもの、それは未達である。自分の理解では「無理」と言うか昔から実は無かった、他者から奪い取っていただけだ、というオチに成っている…が。それでも、何だかやっぱり「色々頑張ってたら状況は改善しました」夢を諦めては成らない、みたいなオチにしちゃう現状、そこに疑問を感じたりもする。最終的には「”良い”ものを作れば売れる」と言うシンプルな話、その前はそれへ到達する為の試練でしかない、のだが実際は。その「実際は」は果たして?ではある。自分もまた絶対は言えないし、独裁創作がある程度の利益性を持っている面も無い事は無い。そしてその先にまた、何かの破綻は常に発生し続ける訳だが。
先生が、答案用紙を配った後で答えを朗読していく、様なそれは授業と言えるのか?それは謎ではあるのだが。受験者の告げ口でもない限りはそれで「優秀な生徒」成績それは創れてしまう現実はある。どのみち高校でさえ、そこで学んだ事のどれだけが社会で意味があるだろう?だ。効率化の果てにある世界は、何かの欠落に陥っている、そう言うのはある。
不効率であろうと高校生活、そこでの部活その他の「無意味」を経ていないと、何かの本当に習得せねば成らない物、それはそこに載らない訳だが。
今本当に深刻に成っているのは、「無駄な事」それへの否定、かもしれない。よく聞くようになってしまった、「やる事がない」余裕があっても。それへの返答を自分の立場からも言い難い現実はある。「無意味だ」と言う”それ”が、何故か多く累積してしまった、そう言う事だろうか。旅行に行ったりゲームに興じたり、その昔だったら「休みが欲しい」への渇望でさえあったものはしかし、今は何かの喪失と共に、その魅力を失ってしまっている、そう言うのは或いはある。
昔は、何を目指していたのだろう?
ともかく今もまだ、自分も未達ではある。