自分の主観的把握の問題だ。
それは解っている、が。
遂にか、Windows11の発売。色々悶着の有ったwindows10から、結局は”次”が出てしまうと言う状況、そこだけでも不満と言うか、微妙なそれは残りつつ。それでも、ネットの評価的には「あまり問題が無い」今回は、それは間違いない、らしい。そこで購入への衝動は発生している…が、しかしそこには失意と自己否定が混在する。
自分はまだwindows8.1だ、状況的には11にするスペックも無いらしい。しかし?アップグレード出来たとしても、定例だ、あまり意味はないと言うか…「次」の環境を要求されている、それは間違いない。windows8.1も、じわじわと使えなくされて行った、のはいつもの事ではあり、文句は言いつつ諦めもある、しかし。
なんか状況が悪い、人力発電機が、無い。
「新しいPCを買うべきなのだ」が。そこへのルートが、根本的に切れている。色々と試行錯誤の結果はでも、個人の状況としては、良くなっていない。それだけに、その当時の、古い呟きが重い。
「漫画って良いよね、ともかく作者の胸先三寸でどうにでもなるし」
ゲームと言う、それは良くも悪くもプレイヤーに”現実”を見せてはしまう。理解はしていても、もちろん自分はその、危機を前に一歩も引かず多少の傷は受けつつも敵を倒す!主人公では無いのだ、それを自覚させされる、そこに有るのは何かの絶望ではある。「お前がやらなくて誰がやるんだ」そう言う状況にしかし、前に有るのは、無理と解っている壁だ。
クリアしていく人々にしろ、そのゲームその物にしろ、クリアは出来るのだ、多くの徒労と試行錯誤の末にか。ただ、「現実には」そのリトライには、重い制限がある、2回目があったらラッキー位だ、それで駄目なら、そこで終わりである。
この呟きは、状況の変化で益々重くは成りつつ、ある。
意識の問題もある、”その”呟きの元は、求める人力発電機的な構造に、それほど要求が無い。願いは、非常に自己中心的で、自身の願いの為に他者が後退していくのを当然と理解している、そう言う物かもしれない、そんな感じの方が強い。世の為人の為に行動しなければ!そう言うのには、重い不信と否定感がある、求めているのは自分の悦楽でしかない、が。
断罪して良いほど、それは罪深い訳でもなく、或いは”現状”が理不尽である、そこには正論もある。
今の理解でゲームセンターが衰退した理由、それは「市場管理者」結論で言えば天皇家の意向、”それ”に恭順するのを拒否したからだ。反社会性を廃し、公序良俗を守りなさい、問題ある要素は押える様に。似た様な何かだろう、そこに有る不満それは、或いは「新世紀エヴァンゲリオン」、それを支えた支持層とも、何かの合致はあるのだ。
「青天を衝け」で、幾つかの国の国旗、”その上下が逆に成っていた”のは、そう言う”何か”との衝突だろうか。
何かの正義が広がる時、それへの反発それは、社会に否定される…その狭間に居る。
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