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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

カルトを敵視する権力と言うカルト

2025-03-27 07:48:29 | 日記

「昭和ってそんなに良い時代だったか?」と言うのが、まあ今の深刻では、ある。

あの時代に作家性を要求してしまった、というのは。業界その物の罪、だろうか。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。

「貴方を断罪します」と言う、しかし主観だった場合のその後

 

こう言う話の最善、というのが…今も手探りなのが、困る様な違うような、だ。

まず、「テレビ番組が放送されている」のは、”誰か”が制作費を支払い、それによって雇われた人々が番組を創り、そして”それ”を放送する設備が維持されているから、ではある。”これ”が維持されている限りは、放送に携わった人々はまず、他の仕事をする必要は無い。他の業界にしたら「お客が”発生”した」と言ってもいい、彼らは自身らの領域には来ない、「養う必要は無い」訳だ。雇用可能数が10人の時?新規の就労者が一人でも入ってきたら、単純には日常の利益が1割減る、訳で。逆に言えば?一人でも減れば、利益は1割上がるのである。

今の問題はしかしこの時、何故か「雇用可能数が9人に減ってしまう」事では、ある。

何故か?単純にはテレビは企業からの広告費で成り立っているが。番組制作で消費した筈の人件費、「広告費」を、単純には企業が創生できていないから、だ。広告費と言う”余計なコスト”が販売する製品の値段に上乗せされていたら、高くなったそれを買う人は限られてしまう。その時、そのままでは末端も逆に、窮乏してしまう事には。

それでは、広告を出す意味が無い。企業が広告を止めたら、この構造その物も失われる事に成る、失業者が。

何が問題か?客が、視聴者が。企業が広告費を投入した商品を、その1割高い値段で買わない、事だ。買わせる事が出来れば?雇用も構造も護られる。何故買わないか?それは、多岐に渡る。ここで説明のベクトル的には理由として、「面白くなかったから」は、言いたい。制作された番組が、視聴者にとって有益だ、「面白い」に成らなかった時、”余計”なお金を支払う理由は、失われる。

逆?に言えば、番組が面白い、のなら。その分企業の利益は上がって、問題は起きない、のだ。

「どうやって?」を、自分もまだ、実証した、と言えない部分が…何だか悩ましい部分だ。かなり状況は改善している筈、だが「現実的な」眼前の状況は変わっていない。単純に言えば視聴数=面白い、ではあるのだが。カウンタ制御が有る、時、そこでどれだけ面白いを創っても、それは結果に成らない状況ではある。

そして、カウンタ制御それは今も、自分の視点では陰謀論に近い話だ、或いは人気が出ない奴のひがみ。

ともかくカウンタ制御を「警察が」容認していた、やっていた?可能性がまあ、出てきていて。理由的には地下鉄サリン事件、その後遺症というかで警察による「カルト」それへの監視が密かに、異様に?強化された結果、「ちょっと人気が出た」程度でもその作者は総じてカルト扱いされていて、”それ”を抑制する事が肯定されていた、というのがまあ、今の理解。そして?彼らが、警察が「許可する」内容が、単純に言えば面白くなかった、というのが、その後の経済的な破綻を産んでいた、という把握には成る。

この状況の結果、しかし。更に深刻は「警察にしろマジンガーZとグレートマジンガーの区別は付かなかった」と言う状況ではあり。つまり、彼等にとっても「危険なカルト」と「重要な思想」或いは理解、その区別は付いてなかった、という事ではある。結果的に警視総監辺りが自身のヒキニート、の”意見”を重視してしまう、事になった、感じで。彼?の「俺より人気がある奴はカルト」と言う、それがその後の状況を創っていった結果、単純には雇用も利益も急激に失われ、就職氷河期世代は発生し結果的には今も、彼らは奈落の底で足掻いている、事には成ってしまった、訳で。

一応、流石に、問題には成った?”感じ”は、する。”彼”の介入でどれだけコンテンツが利益を奪われたか?だ。良くも悪くもその「具体的な一例」として、艦これの「麻宮レキシントン」問題がまあ、有ったらしい。殺人予告さえする程の否定感がそこに発生してしまった訳だが…ああいう事を、”彼”は今迄ずっと続けていた、訳だ…カルトを抑止する、という名目で。

そしてもちろんこの時、カルトなのはその、警視総監の身内ヒキニートの方、ではある。

麻宮騎亜氏がそうなのか?は、今も混沌ではある、商業作家は当然か、それほどに自由は許されていない。ただまあ、良く考えなくても彼の作品はそんな面白いか?は、まあちょっと有って。理由は衝突している、だからテンパった彼は立場で暴走したのか、それともだから、”上”の要求には逆らえなかった、のか。真相はまだ闇の中だ、もし「警察の密かで甚大な不祥事」だとしたら、誰がそれを告発するのか?ではある。しかし自分も、自身のYoutubeのBANや、カウンタ数値の現状が”それが理由だった”としたら、腑に落ちる話で、そして。それがここまで続いた?事には少し、状況の深刻さを考えない事も、無い。

今も雰囲気の話、だ。警視総監クラスの内輪ヒキニートは、流石に問題を問われた。ただ?警察の「では、何が善悪の指針に成るんですか?」その喪失は変わっていない、のかも。自分も自身の思想を正義である、と押し付ける、事には…思想的にも抵抗はある。本来ならカウンタ数値が上がる、利益が出る、市場的に一般論に成っていく、等々の「理由」が発生して、みたいな流れだった筈だが。それは最初から挫かれていた訳で。

一応、「物理的な数値は変えられない」と言う限界はある、トラフィックが圧迫されている?などは問題に成る筈ではある。物理的数値の「改竄」は深刻な社会問題に成っていく、人気がある筈なのに全く売れず?は、カウンタ数値の改竄その疑いが強い、が。思想の物理的事象、だろうか。関東大震災クラスが起きて無実の人々も数多奈落に堕ちるべきか、それとも。まあ、変化は緩やかな方が良い、かもしれない。

警察が、オウム真理教クラスのカルトだった…それは、怖い話だ。

 


角度を変えると悪魔が映る

2025-03-25 06:51:32 | 日記

視野範囲的には、”その”人の問題はあくまでも、プライバシーに成っている。「納得している」が。

外部的には理不尽、に感じる部分はある。その辺を妙にツッコミしやがるうぜぇ、問題はまあ、ある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。

そこには不意に、居ない筈の誰かが立っていた。

 

理屈の上では、「ネタの良し悪し」は単にスキルと信用の問題では、ある。祈祷が来るか否か?だ、「誰か助けて」その自分の範囲内にそんな声があり、”それ”に或いは発言、創作として返答して相手が「なるほど」に成ると、そのアイディアが”輝く”。その先でその結果に同意が集まると、”世界”からのお礼、或いは対価、というニュアンスで「人気」が出て利益に、成る。つまり?技術への信用と、結果論での実績、”それ”を積み重ねる事で、「良いアイディア」は発生しやすくなる、訳だ。寝転んでゴロゴロしてればいい訳ではない。

ただその結果、今の「大賀さん」や、特にストリードの連携、そう言う形態も定義される事には成る、が。

アイディアは、ツッコミされまくる事には成る訳だがともかく、審判は”神”には成る、「大衆の意識の総意」だ。お金を目指し、「なら、レタスでも植えれば?」作った事も無い上に、労働者が一人しか居ないのではそれは、現実的じゃない。この時?前者と後者の間には直接的には物理的接点が無い。前者が「自分は良いと思う!」で作品を描き始めて受けない、というのは或いは、こういう場合、ではある。「頑張れば何とか成るでしょう?」それは無理だ、前者の理解では、「何故受けないのか?」それは、この疑問が重なる先には成る。

問題にしてる「独裁創作」は、要するに”こう言う感じ”には成ってしまう、訳だが。だから、中には”そこ”への理解があって。言われた相手が「なるほどね」に成る場合、もある訳だ。独裁創作の中でも、「助言、感謝する」に成った場合、その作品は利益性を持つ可能性が出てくる、事には。

リアリティが大事、というのは”そう言う方向”へも通じる、訳だが。

その時、その技術は、絵が上手い、という技術ではない、訳で。しかし?打開への同調、アイディアに”向こう側”への有効性、それが認められる場合、逆に「という時、レタスはこのように創らねば成りません」と言うそれは、技術ではある。「上手い絵」は、そう言う部分への接続は有って。良くも悪くも、高い技術、は該当する良いアイディアを足場にしないと意味が無い、そう言う事には、成る。コンピューターに精通していても水不足は如何ともしがたい、場合はまあ、多々ある。その場合「諦めるしか」それも、帰結としては正論ではあろうか?古い作品に結構ある「なんか良く解らないけど爆発しておしまい」は、まあそう言う感じだったりはする、かもしれない。「頑張れば何とか成る!」の先の。或いは誰も責める事は出来ない、誰も解らなかった事、だ。とは言え畑一面に植えたレタスが水害で大ダメージ、その時、水害を予測できなかった事は過失か否か、そこは問い難い、事には。

自分も個人的には今もなお、去年の失態をリカバーする術?そう言うのは見えない、感じは深刻ではある。ともかくこう言う感じに?一つの方向に精通…し始めると、スキルが偏る、というのはまあ、ある。理解する範囲が広くなり、祈祷に対して応じられる可能性が高くなる、と。しかし。自身の言った枷みたいな物は自分を縛り始めたりもする、訳だ。自分で自分を救う事は出来ない、あくまでもギブ&テイクの結果ではある。何となくまあ、テイクが無い、というのはちょっと思うがその都度、理由は説明される?のは、ちょっと微妙な混沌ではあるのだが。

・・・しかしその結果、「警視総監のヒキニートが暴走してた」と言う、根拠の薄い主観を語り出して一人納得してしかし「打開された筈なのに!?」第三者視点で見るとどれだけ怪しいだろう?は、まあ考えない事も実は無い。先の見えない感じはある、米不足の真実は何処か、だ。新幹線の連結が、今までは起きなかった?機械信号の不調、で頻発し、そして今まではあまり無かった山火事は今年は既に3回目、ではある。不安は増大したりした、警察機構がクーデターを起こす可能性は?ともかく一応、公務員である限りは給与は大事な話ではある、特に警察や軍隊なら、かなり太い財源を確保してないと直ぐに日干しだ。一応、”それ”は抑えている感じはある、彼らがそれをし得る可能性はまあ、かなり弱いだろう、しかし。その先に有る思惑は、そして”それ”を可能にしている理解、思想は、ちょっと既に視野範囲の限界に至っている、気には成る。

「あんまり幸せそうだと、他の人々が苦痛なんだけど」

その是非ではある。その理解は主観だ、良いアイディアが出ない、人気が上がらない、時。ウケた人へ向ける羨望とそれは、まあ剣呑の原理には成るのだけど。

「…そう?」

それは微妙にズレている、気も、する。

 


姿なきカリスマの目指したモノ

2025-03-23 08:40:10 | 日記

そう言えば、これが本来の「不定期」では、ある。

ちょっと心理的にもバタバタしている感じはまあ、しない事も、無い。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。

「私は敗けない!」とは言いつつ、ラケット歪んでますよ?(-_-;)

 

ちょっとSNSの「Bluesky」に投稿してる結果でか、色々な混乱は発生してる現状では、ある。最近かなり「警察の問題」が肌感覚で危機感を煽ってた、雰囲気は有って。オウム真理教の地下鉄サリン事件の後、カルトを恐れた警察は過剰なまでに”創作”を監視する様になった、思想の発露する場ではあるからだ、が。ただそこで「宗教、思想とカルトって何が違うの?」その問題は深刻な混沌を発露し始めた、そういう事、だろうか?

”それ”もつまり、30年は前からの話、ではある…この辺は果たして?だ。思想を統一する、という事を目的にしたらオウムの存在はかっこうの「大義名分」だった、可能性はある。警察はその危険性を掴んでいなかったのか?不意に、そんな悪夢も想像はしてしまう…彼らは泳がされ、煽られ、そして、もくろみ通りに暴走した、可能性。

…今の「危機感」を考えると、それも不意にリアリティでは、ある。

ともかくか、警察にはマジンガーZとグレートマジンガー、その辺の差は解らない、というのが…今の理解には成る。考えてみると混沌の多い領域だ。売春は禁止だが、自由恋愛は可、賭け事はダメだが、景品なら可。その後の換金に関しては、管轄には成らない。同じくカジノは認められないが、競馬その他はれっきとした「国営の賭場」では、ある。線引きは何処なのか?ここに、不意に「解らない」はある。

古くは、ここも「昭和天皇」それが旗手だった、可能性は有って、そして。平成に入って極論すれば天皇陛下にも「解らない」になった、可能性はまあ…深刻に重い。どっちみち昭和の悪夢を経て、天皇家は象徴である、事に特化する事には成った。現場的には「良きにはからえ」に成った時、その混沌は何かを壊していった、可能性はまあ、あって。

”何か”が、王を、いや神を名乗る事になり、警察も飲み込まれ…そして。その神による支配の先で、オウム真理教の事件が起きた。結果論で言えば京アニ事件、青葉容疑者の”それ”だった可能性はまあ、ある。社会的なその疑問は問うては成らないのだ、しかしそれを無視出来なくなる時?オウム浅原は救い主に見えた。

この辺の感覚をまた、RPGか何かの元ネタにすべきか否か、ちょっと考える部分ではある。

危機感は、危険水域に成りつつ抑制?される、”感じ”には成ったが…ちょっと現実は解らない。流石に法の番人を標榜してる所が無法を容認する訳には行かない、人権侵害その他、それがそこに有るのなら罰するのが立場だ。”それ”を警察の内輪がしていた?という時、それは問題には、成る。ただ、その時例外はある、「標的がカルトだった場合」は別である。そしてカルトと思想の違いが解らない時、それは警察にとっても”任意”だ、反論してくる時点でカルト認定にしても、問題は起きなかった。

実際には、問題は起きたのだけども。

理解、表現的には「ムカつく奴は全部カルト」にしても、警察には判断できなかった、訳だ。内輪、警視総監の関係者?良くある権力者の内輪ニート、そう言う存在が「あいつはカルトなんだよ!」と、言ってしまえば如何に”それ”が非道な事をしていても許されてしまった?可能性はまあ、不意にある。実際にはこの、「俺が神だ!」を言う事その物がカルトではある訳だが…具体的な定義が消失していた時、身内の保身を考えても、それが言う事の方に正義があると言っても、何ら問題は起きなかった。

実際には、深刻な問題は起きたのだけども。

「警察が、創作の表現、内容に密かにか口を出していた」訳だ。そして、従わない場合は”罰する”事さえ出来た。カルト抑制の為なら如何なる手段も容認される時、カウンタ制御は有効で、マスコミへの報道管制も道理で、社会的な排斥、不当な待遇も当然だ。オウム真理教に対しての抑止、否定は社会的にも当然ではある、アレだけの事をしでかした危険思想だ。”それ”としかし、「この俺よりも人気がある?!」的な、それでそのムカつく相手を同一視してカルト認定しても、警察には判断出来なくなっていた。

…そして結論では、その時”その”標的はカルトでは無かった、訳だ。無法なのは、警察の方に成っていく。

「警察がカルトに成っていた」可能性は、ちょっと深刻に重いし、それが今の今まで現れなかった?のも、ちょっと疑問には成る現実では、ある。想定では、現行か、それとも前任か、の警視総監その息子辺りが酷いヒキニートに成っていた結果、というのは想定するが今も、その辺は混沌だ。正に、混沌に陥った彼らは”オウム浅原の様な存在”に傾倒していき、カルトを形成ししかし、オウムとは異なり日本を、いや或いは世界をだ、裏で支配する奇妙なダークキャビネットを形成していた・・・そう言う事態は有ったのかも。

一応、「大賀さん」紛争解決機構それは、今もってなお、「正義」ではある。

故に?その視点から判断した時、その権力者のヒキニートらにより形成された組織は、オウムと同じカルトでしかない。良くも悪くも、だ。紛争解決機構「大賀さん」に従えないならそれは大衆に、民に、”神”に仇名すのと同義である、それは正義では、無い。

ちょっと問われる事態だ。戦争をテレビゲームで代行する、のも世代的な同意は無いし、衆愚政治、というのはインテリが語らんとする話の前振りみたいな物では、ある。「お客様は神様です」も、実際には問題は無い事は無い、そして。思想とカルトの境目は、パチンコとカジノの境目くらいに、実際は曖昧ではある。

NHKは年間50億円強を、かむろぎに支払え
警察は今後、創作領域には介入しない様に
「大賀さん」に従えないなら、それはカルトである

一応、大衆は神である、思想の帰結としてある「紛争解決機構」大賀さんその決定としては、こんな感じには成る。問題は罰せられた、様な感じはある、が。カウンタ制御の先は果たして、だ。

「正義は勝つ」は、深淵な混沌と共には有るのだった。

 


月に一度の草刈り代の是非

2025-03-20 08:37:16 | 日記

「農業の自立は難しい」それは、今の面倒な議題ではある。

良くも悪くも、結局は補助金目当てでは、飼われた状態からは抜け出せない、訳だ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。

「え?作ってない畑ってこうなってるもんじゃないの?」違うんですよお嬢様(-_-;)。

 

自分の把握の原理は果たして?は、ちょっと考える部分。体験的に「上手く行かない」感は、昭和の頃からある、小規模農家の多くが、兼業農家に成っていった経緯もあって。自分はどうにもうまく行かない部分を、既存の人々は乗り越えて?いけるその時、そこに有る溝、ではある。地元では、農家として大成している人の家族に、深刻な問題が発生したりして。自分の努力不足か、それとも。何かの一線を越えねば成らない?というそれは、政治の腐敗にも繋がっていきそうな気はするが…それはしかし、自分にも打開は出来てない。

認識の変化は、果たして、だ。民主主義はそのままでは、自身の暴走、無能さ?みたいなのを補正出来ない。結果として「民尊主義」自分はそう呼ぶ、理性的な決定を越えない様にする事で、ある程度の調整が出来る様になる。民主主義は民尊主義に逆らっては成らないが、民尊主義は民主主義を尊ばねば成らない。「それは人々の為に成るのか?」を議題にして反論が消える迄議論を戦わせる先には、一応の「正義」それは産まれる筈である。それには逆らわない方が、問題ない結果は出せる。

か?

どうしても自分の場合、今に成っても頭でっかち、そんな感じには有るのだった。理念的には「問題は全くない」が、現実的には問題しかない様な状況の中で、ただ、世間は良くなっている、様には見えない。農業に関しては昔からの主張はある、「耕作地を耕作可能な状態に維持していれば、1ha辺り月に15000円出す様にしたらどうか」それは補助金ではなく環境整備費では、ある。それを依頼される時、それは施しではない。ただまあ、感覚から言ってもそれまでの理解からすれば、単なる過剰な補助金でしかないそれはまあ、ある。”民主主義”が今も感覚の上位にある証、みたいな物だろうか、理性的な、その期待される理解には届かない。民尊主義的な説明は、屁理屈と言えば屁理屈だ。

ともかく理解、想定ではその環境整備その財源を、娯楽産業”それ”によって創り出す事で安定する。感覚での「否定感」それを、環境整備費の提供、捻出という理由を持って中和する、訳だ。”そこ”に従事してる事への一般的な否定感それを抑制する。結果?ゲームや漫画、ともかくサブカルチャー的なモノが隆盛する時、農家もまた生活の安定と共に、経済は発達していく、事に成る。

長いので3行にまとめて?

漫画やアニメが売れれば農家の生活も安定する、故に売れる娯楽創作を創れば。

(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾  (--〆)

盛り上がらない。

様な気は、する。

ともかく解っている事は、今に至る迄微妙に実践できてない、そう言う現状ではあって。

「マジンガーZは売れたがグレートマジンガーは微妙だった」と言う理解を、今は世間に要求したいが不意に、反発の様な物も、ある。そして?何かの「理由」みたいな物もある。主観では前者は専守防衛だが、後者は攻撃的防衛、だ。敵の本拠地が有ったら壊滅しに行く、というそれを容認する時、それは逆に、「敵が攻めて来ている理由」かもしれない、訳だ。こちらから攻撃しない限りは、正義は常に自身にある。「それじゃ足りない」と言うのがグレートマジンガーで、そしてそこにはある程度の正論は有る、訳で。前者を評価し後者を否定する時、確かに実はロシア、そのウクライナ侵攻には疑念が産まれる訳だが、とは言え一時的とはいえアメリカの支援を中止させたゼレンスキーはもう、評価出来ない。

という訳で、最終的な決定は「大賀さん」紛争解決機構で。

具体的には「それは人々の為に成るのか?」を議題に、反論が無くなるまで議論する先を最終的な決定にする、時。しかし、この戦争の正義はロシアにこそある。

先と言ってる事が違うじゃないか。

この辺の同意もまた、理解されにくい部分、そう言うべきだろうか。

「それはそれ、これはこれ」と言う理解を、民主主義は?否定しつつ、それでいて不正を容認してしまう、そう言う邪さを内包はしている。一夫一婦絶対主義もそうだ、極論化する時?”それ”は妻以外の女性を切り捨てる事には成る。「それは家族の為にも成らない」時、夫は問題の無い一夫多妻状態を形成する事になる、が。思想が極論化した妻は、その時「自分を否定している」そう、考える事に成ったりする、訳で。

妻は夫の思想、その極論化した理解に成りやすい、というのも、まあ民主主義では通りにくい話には、なる。その時、妻はその家族の中で神に成っていないと我慢できない、とかそう言う絵は、時々ある話、だ。

とは言ってもそれを持って、「つまり民主主義は間違っているという事だ」それもまた、歪んでいる理解。

一応ともかく、様々な問題の後で今、残った正義だ。「民主主義は民尊主義に逆らっては成らない」その結果は、果たして。

 


今後は大人の子供らを見る

2025-03-18 07:55:17 | 日記

不意に気づくと、既に悠仁様も18歳を越えた、成人皇族に成っていた。

色々卒業式、というのは、やっぱり何かの区切り、そう言うのは有るのかもしれない。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。

絵柄の選択を間違えた感はある(・・・)。

 

一応、不意にか、「要求された責任は果たした」と、そんな気には成った。 ぶっちゃけ、20年前には盛んにメディアで語られた話、だ。「次の天皇はどうするのか?」と言う奴。これは、当時にしろ自分の?思想的な問題にはなる、「子供は、親との同意の元で産まれてくる」”そこ”に居るのは、最終的には自己責任である。という結果として問題は繋がる。「誰が天皇陛下なんかやりたがるのか?」だ。そしてまた、”敵”はもちろん、未成熟な幼体こそを狙う訳で。

つまり、「少なくとも成人になる迄は、生命その他に問題なく暮らせねば成らない」と言う条件を満たせないと、後に続く天皇陛下の後継者、”それ”は居ない事に成ってしまう。日本と言う国家、その存亡の危機である。産まれる時点での問題も超え、そして、成人するまでは。そう言えば、それは18年ほど前の話だ、「紛争解決機構」”それ”を創案した、のは。「美鶴さんの長い妄想」それは、そう言えば逆に、「そう言う話だった」かも、しれない。

”主人公が目的地に安全に到着する迄”の、或いはあらゆる問題に対しての、安全を保障するバックアップ。

幸いだ、もちろん本人の意思みたいな物は大事だ、が。それであっても、だ。

良くも悪くも、日本は世界最長の王族、それを有する国家、ではある。逆に言えば「国家」という形態の筆頭、”世界”にとっては実は大先輩、に成る訳だ。2000年以上維持された「同じ形態」その中で、或いは今、日本人は「世界で最も平和な国」それをブランドとして、有る。当然のように?他の国家も出来ればそうで無ければならない、女性が深夜一人で出歩いても、それほどに危険はない…そんな。その時、この”今”が問題ない、という証明は常に問われる事には成る。そして、それが維持可能である、という証明の様な物も。

後継者が居ないんですけど。

それは、ちょっと深刻な悪夢と共にある話、ではあったのだ。

理解の中で、或いは現状の把握の中で。「長が居ない」と言う事態の深刻は、年々か増している、状況はある。昔はむしろ選挙に成った様な話だが、今は押し付け合い、である。「我々がバックアップしますから」選ぶまでの真剣さは、選ばれた後は逆に成る、というのは地元だけの話だろうか?だ。作業内容的な大変さよりも。「長に成る」と言うその否定感は、ここ20年以上か、深刻さを増しているのだった。結果、長になる人々にはいささか、何かの問題を感じる事が多くなっていた、それはまあ、ある。

そんな時代背景の中で、そこで悠仁様は、産まれて居る。

何かの肩の荷が下りた?様な当時の感覚はでも、その後に続く様々な天変地異その他に対しては不意に逆に、不安感をかきたてる物には成った、訳だが。

とは言え良くも悪くも。日本は一応は、「平和で安全な国である」それは、東日本大震災、あの大災害を受けても維持したまま、現状まで続いている。そして、悠仁様も今年で、高校を卒業という運び。「成年皇族になった」それまで問題なく育った、それは。ちょっと大事な話なのかもしれない。何とか天皇家を、”日本”を続ける為に、「青年に成る迄は、ちゃんと護りますから」幸いか、そうだとすると今も?大きな問題は起きないまま…ではある。

当時に誕生したシステムは、一応は動乱を乗り越え、今もそこに有る訳だが。

そして、一つの「問題ない条件」それを乗り越えた、そう言うのは有るのかもしれない。

今もまだ、「紛争解決機構の決定は絶対です」それは、動かない。ゼレンスキーは単なる馬鹿で、ロシアは「大賀さん」上では勝ったのだ。正義は彼らの方に有るが、”世界”民主主義を標榜する側は、”それ”に不服である。20年前、民主主義は何を目指したのか?は謎だ、ともかく今も、それは或いは、当時に設定された紛争解決機構、”それ”により否定されている。だがトランプ大統領はともかく、EU側はまだ、ウクライナの味方だ。標榜的にはゼレンスキーはまだ、ウクライナで70%近い支持率が有る?という話。メディア上の雰囲気では、その数値を疑ったのはトランプ大統領くらいではあり、メディアは総じてトランプ大統領に対して否定的だ。

ともかくそんな状況の中、システムは一つの条件は満たした、それは有るのかもしれない。

東日本大震災も乗り越え、その後も数多続いた厄災を制して、今の日本は再び安定、を期待できる状況には成りつつある。ともかく日本での「長の成り手が居ない」問題は、一つの改善は果たした…そう言って良い、それはある、だろう。高校を卒業するまで問題なく育った。今後は、何をしようと最終的には自己責任である。そして「それが条件だった」としたら一応、一つの達成は見た、そう思っても良いのかも。

要求された条件は、越えた。今後は自己責任だ、その要求を最終的には満たす必要は、無い。

まあそう、ドライに出来る訳もなく、富士山は動かす訳にも行かない、そう言うモノではあるのだが。

後継者問題はまあ、今後も広く浅く続く、そう言う問題ではある。