羊の見る夢

霊性。

美しい心でいるために。

2023-08-04 23:08:28 | 日記
心の扉を開いて神様を迎え入れましょう。

神様を迎え入れた心は例外なく美しい心になります。

神様は花婿のようなもので、心は花嫁のようなものだからです。

美しい心でいるために、神様にひれ伏しています。

神様が私達の心を美しくしてくださっているのは、理由も必要とせず、見返りも求めない神様が私達に好意を抱いていてくれているからです。

花嫁が清らかであると言われるのは、花婿の故です。
花婿がいなければ花嫁の清らかさは悲しみに覆われてしまいます。

神様を見失った清らかな心は悲しみに暮れていますが、神様を見いだせば喜びに包まれるでしょう。

愛に満たされ歓喜に輝いている時には何であれ、それは美しいのです。







神の姿。

2023-08-04 08:46:01 | 日記
神の教えを信じて受け保って居る姿そのままが神の姿。

プレマ(神の愛)に生きたいという願いそのままが神の願い。

この世の苦しみを哀れむ思いそのままが神の哀れみ。

私達誰もが皆、神に帰るためにこの生命を生きている。



愛。

2023-08-04 02:02:33 | 日記
あなたは愛です。
その愛のことをヒンドゥー教ではアートマであると言っています。
その愛のことをキリスト教では神性であると言っています。
その愛のことを仏教では仏性であると言っています。
その愛のことをイスラム教ではアッラー(ザ・ゴッド)であると言っています。

それ故、愛は存在する物の数ある諸性質の中の一つの性質に過ぎないというものではなくて、何が存在していても存在そのものが愛なのです。

あなたは、自分の周りに、自分の内に 、愛を見なければなりません。
そして、自分が愛であると悟らなければなりません。

あなたは自分自身が清らかな時には、世界もまた清らかだと感じます。
自分自身が穢らわしい者である時には、世界もまた穢らわしいものだと感じます。

あなたは自分の内にあるものしか、世界に見ることができないのです。

あなたが自らの内に清らかな愛を見るならば、誰の内にも清らかな愛を見ます。

エゴが死ななければ、愛に生きることはできません。

欲望が死ななければ、犠牲と献身に生きることはできません。

獣性をヤグナの火に投げ込まなければ、霊性の叡知を得ることはできません。

叡知の夜明けが訪れるなら、疑いの心という闇夜は終わります。