荒川静香
ところで荒川静香はどんな歌声があうだろうと考えてみたけど、彼女の競技用演技はトリノの時の演技しか知らないのでちょっと難しい。
だけど、レジェロなんかぴったりなのではないだろうか?
「魔笛」の夜の女王の超絶技巧アリアなんかも素敵だけど、「ランメルモールのルチア」のルチアなんかものすごくあいそう。
狂乱の場として有名なルチアのアリア《彼の優しい歌声が》なんか、荒川さんのフィギュア界の至宝と言ってもいいぐらい美しい滑りで躍られると、それこそため息ものだと思います。
狂乱の場とか超絶技巧アリアとか、なんかレジェロって女性のヒステリックな歌声のように聞こえますが、実は違います。ルチアの狂乱の場はその名称にふさわしくないものすごい美しい歌なのです。
ルチアという可憐なお姫様が無理矢理好きでもない相手と結婚させられて、しかもそれを好きな人に誤解されて、結婚式の初夜気が狂って新夫を刺し殺してしまうのです。
そして彼女はそのまま大広間へやって来て、恋人と過ごした楽しかった思い出を切々と歌うのがこの狂乱の場。彼女が可憐に歌うからこそこのシーンが盛り上がるのです。
この可憐で切ない、そして狂ったように美しい歌を一度荒川さんに踊ってもらいたいなぁと思うのですよ。
荒川静香の踊りって悪くいえば技巧的、よく言えばものすごく透明感のある踊りだと思います。なんか、人間の感情の一切をはぎ取って、フィギュアスケートそのものになりきっている感じがするのです。
トリノで躍った「トゥーランドット」の《誰も寝てはならない》。これ実はトゥーランドット姫の歌ではなく、彼女に求婚している王子の勝利の歌なのです。
まぁ、ぶっちゃけ男性の歌。しかも女性を組み敷いての勝利宣言の歌なので、かなり男性的な歌です。
しかし荒川静香が躍ると、なぜか女性の歌のような気がしてくるんですよね。物語とか心情とかそんなの関係ない。ただ美しい歌を美しいままに踊ったら女性の歌になりましたって、そんな感じがするのです。
実はレジェロは技巧的で華やかなコロラトゥーラを要求されことが多いです。だからココの音域を別名コロラトゥーラと呼ばれることがありますが、コロラトゥーラとは本当は色づけという意味です。
つまり「あ~」などの一つの音節を伸ばして、そこに装飾音符を一杯つけて歌う技巧的な部分をコロラトゥーラと呼びます。
この技巧的で華やかというところが荒川静香にぴったりな感じがしません?
彼女は、日本人選手の大体がそうであるように、あまり顔の表現力はありません。顔だけでなく全体的に表現力は乏しいかなとも思います。
ですがなぜかリンクに立つとそれだけで見栄えがするような華やかさを持っているのです。そして背面に美しくそったイナバウアーを見ても分かるとおり、高レベルの技術力を持っています。
トリノで優勝したとき、優勝候補のサーシャ・コーエンやイリーナ・スルツカヤが転んだためにラッキーで優勝したかのように言われたこともありましたが、そんなことはありません。彼女は自分の実力で金メダルを取ったのです。ジャンプもスピンも何もかも彼女はコーエンとスルツカヤを圧倒しています。
そして、ジャンプやスピンの美しさもさることながら、それ以上にスパイラルの美しさは並大抵のものではありません。スパイラルって一番地味なパートで、まぁトップレベルの選手ならレベル4は当たり前というところですが、彼女の場合それでも群を抜いての美しさです。
普通、浅田真央選手でもスパイラルが終わるとパタンと足が落ちてしまうことがあるのです。こう言ってはなんですが、ジャンプとかスピンやステップの緊張と比べてスパイラルって選手にとって休憩時間なんでしょうかね? ともかく3秒たつと、はぁやれやれという感じで足をおろす選手が多いです。
そんな中荒川さんは、足が上がったまま落ちてこない。そのまま手を入れ替えたりエッジを変えたり出来る。しかも、上がっている足は微動だにしない。
なんだあの足は、鉄骨でも入れているのか!? と初めて見たときものすごく驚きました。
まぁ、そんなところが彼女の演技を機械的な印象にしてしまうのですが。しかしコロラトゥーラソプラノも人間の声でないような技巧を駆使して歌いますが、そこに音そのものの純粋な美しさが凝縮されているので、荒川さんの演技もその高い技術力の向こうにフィギュアスケートそのものの純粋な美しさが凝縮されているのだと思います。
少なくとも彼女の演技は「美しい~!」と単純に感動することが出来ます。これはなかなか到達できない極致なんじゃないかなと思います。
ところで荒川静香はどんな歌声があうだろうと考えてみたけど、彼女の競技用演技はトリノの時の演技しか知らないのでちょっと難しい。
だけど、レジェロなんかぴったりなのではないだろうか?
「魔笛」の夜の女王の超絶技巧アリアなんかも素敵だけど、「ランメルモールのルチア」のルチアなんかものすごくあいそう。
狂乱の場として有名なルチアのアリア《彼の優しい歌声が》なんか、荒川さんのフィギュア界の至宝と言ってもいいぐらい美しい滑りで躍られると、それこそため息ものだと思います。
狂乱の場とか超絶技巧アリアとか、なんかレジェロって女性のヒステリックな歌声のように聞こえますが、実は違います。ルチアの狂乱の場はその名称にふさわしくないものすごい美しい歌なのです。
ルチアという可憐なお姫様が無理矢理好きでもない相手と結婚させられて、しかもそれを好きな人に誤解されて、結婚式の初夜気が狂って新夫を刺し殺してしまうのです。
そして彼女はそのまま大広間へやって来て、恋人と過ごした楽しかった思い出を切々と歌うのがこの狂乱の場。彼女が可憐に歌うからこそこのシーンが盛り上がるのです。
この可憐で切ない、そして狂ったように美しい歌を一度荒川さんに踊ってもらいたいなぁと思うのですよ。
荒川静香の踊りって悪くいえば技巧的、よく言えばものすごく透明感のある踊りだと思います。なんか、人間の感情の一切をはぎ取って、フィギュアスケートそのものになりきっている感じがするのです。
トリノで躍った「トゥーランドット」の《誰も寝てはならない》。これ実はトゥーランドット姫の歌ではなく、彼女に求婚している王子の勝利の歌なのです。
まぁ、ぶっちゃけ男性の歌。しかも女性を組み敷いての勝利宣言の歌なので、かなり男性的な歌です。
しかし荒川静香が躍ると、なぜか女性の歌のような気がしてくるんですよね。物語とか心情とかそんなの関係ない。ただ美しい歌を美しいままに踊ったら女性の歌になりましたって、そんな感じがするのです。
実はレジェロは技巧的で華やかなコロラトゥーラを要求されことが多いです。だからココの音域を別名コロラトゥーラと呼ばれることがありますが、コロラトゥーラとは本当は色づけという意味です。
つまり「あ~」などの一つの音節を伸ばして、そこに装飾音符を一杯つけて歌う技巧的な部分をコロラトゥーラと呼びます。
この技巧的で華やかというところが荒川静香にぴったりな感じがしません?
彼女は、日本人選手の大体がそうであるように、あまり顔の表現力はありません。顔だけでなく全体的に表現力は乏しいかなとも思います。
ですがなぜかリンクに立つとそれだけで見栄えがするような華やかさを持っているのです。そして背面に美しくそったイナバウアーを見ても分かるとおり、高レベルの技術力を持っています。
トリノで優勝したとき、優勝候補のサーシャ・コーエンやイリーナ・スルツカヤが転んだためにラッキーで優勝したかのように言われたこともありましたが、そんなことはありません。彼女は自分の実力で金メダルを取ったのです。ジャンプもスピンも何もかも彼女はコーエンとスルツカヤを圧倒しています。
そして、ジャンプやスピンの美しさもさることながら、それ以上にスパイラルの美しさは並大抵のものではありません。スパイラルって一番地味なパートで、まぁトップレベルの選手ならレベル4は当たり前というところですが、彼女の場合それでも群を抜いての美しさです。
普通、浅田真央選手でもスパイラルが終わるとパタンと足が落ちてしまうことがあるのです。こう言ってはなんですが、ジャンプとかスピンやステップの緊張と比べてスパイラルって選手にとって休憩時間なんでしょうかね? ともかく3秒たつと、はぁやれやれという感じで足をおろす選手が多いです。
そんな中荒川さんは、足が上がったまま落ちてこない。そのまま手を入れ替えたりエッジを変えたり出来る。しかも、上がっている足は微動だにしない。
なんだあの足は、鉄骨でも入れているのか!? と初めて見たときものすごく驚きました。
まぁ、そんなところが彼女の演技を機械的な印象にしてしまうのですが。しかしコロラトゥーラソプラノも人間の声でないような技巧を駆使して歌いますが、そこに音そのものの純粋な美しさが凝縮されているので、荒川さんの演技もその高い技術力の向こうにフィギュアスケートそのものの純粋な美しさが凝縮されているのだと思います。
少なくとも彼女の演技は「美しい~!」と単純に感動することが出来ます。これはなかなか到達できない極致なんじゃないかなと思います。
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