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私達の育てた小さな緑が失われようとしています

緑のまちを望んで、私たちは緑を育てました。その小さな緑が失われようとしています。

リスクを予測する

2005年12月14日 | ボランティアマネジメント
 今年は初めてキウイが収穫できた。
 苗木を植えてから3年。雌雄25本から800個の実が収穫できた。
予想の4000個よりははるかに少なかったが、こぶし大の大きさの果実は、スーパーに並べても遜色がない。味も濃厚でおいしい。
みんなで思わずニンマリした。
収穫したキウイは、協賛企業やこれまでお世話になった方へお礼として郵送した。たくさんの方にお世話になったので、試食分以外、私たちの手元にはほとんど残らなかったが、みんな満足した様子だった。
無事収穫を行うことができたが、影では苦労もあった。
 収穫を向かえるまでの数ヶ月、キウイ管理担当のJさんは毎日気が気ではなかった。
「キウイが盗まれたらどうしよう」
 スーパーで1個100円で売っているような大きなキウイがブラブラしている公園があったら、思わず1個くらい取ってポケットにしまってみたくなるのが人というものだろう。これまたちょうど手の届く高さにキウイがぶらぶらしているのだ。
しかし、生産者にとっては丹精込めてつくった果実が盗まれるという行為は残酷そのもの。朝来たらすべて取られてしまった、などという事態になれば、寝込んでしまうものが続出するだろう。ボランティア活動をする意欲もうせるかもしれない。
「誰でも入って遊べる公共空間としての菜園」
は、『盗難』というリスクから逃れる事はできない。そして、ボランティア活動はそのような悪意に対して無防備で弱い。
 今年はたまたま運がよかったが、地元の新聞などで記事になったため、来年はどうなるかわからない。私個人は、キウイの盗難は遅かれ早かれ起こるものと思っている。
むしろ心配なのは、キウイが盗難された事によって、内部スタッフが疑心暗鬼になり、保守的・閉鎖的な空間作りに向かってしまうことだ。それは
「一人でも多くの人が、環境問題を身近に考えるきっかけ作りの場」
という目標を見失うことにつながりかねない。オープンな場所・オープンな組織は私たちが高く評価されているところであり、その文化を失えばイコール組織の価値も落ちる。
リスクの順位として、キウイが盗まれること以上に、組織が閉鎖的になってしまうことのほうが重大な問題である。予測できるリスクについては、あらかじめ対応をしておく必要があるが、なんとも気が重い準備だ。

「キウイはもともとヒートアイランド対策が目的なんだから、果実はおまけ。欲をかいちゃいけないね」
「もしキウイが盗まれたら、ケーブルテレビに来てもらって、みんなで泣きながらそれをニュースにしてもらおう」
「盗んだ人がおいしいキウイを食べられるように、熟し方のアドバイスを紙に書いてつるしておこう」
となにげない会話の中に、繰り返しそのような事を話している。キウイが盗まれる事態に備え、そのショックを軽減させる心の準備をさせるための刷り込みだ。みんな冗談のように聞き流しているが、こちらはあながち冗談ではない。万が一、現実になっても言うことは同じなのだから。
悪意に負けず、自分たちの活動に自信を持ち、感謝と笑顔を失わないしなやかな組織であってほしい。そして杞憂であってほしいと願いつつ、解決にもならないリスクマネジメントをするのであった。

 対応すべきリスクと、受け入れるべきリスクは何か?組織の方向性を見失わないために、確認しておくべき「私達にとって大切なこと」はなにか?
 そんなことを考えていると、手に取ったキウイがなおさらいとおしい。

得意なこと・好きなことを活かす

2005年04月08日 | ボランティアマネジメント
今年で3回目を迎える菜の花祭りは、大成功に終わった。
スタッフが朝から場所作りやバーベキューの準備に精を出してくれた。とくに広報をしていないとはいえ、50名以上の方が参加し、肉や野菜を焼くスタッフは大忙しだった。園芸部が苦労して育てた菜の花の黄色のじゅうたんが咲き乱れていた。

今回のメインイベントは、ボランティアのMさんのハーモニカとI さんのウクレレがユニット『森と松』を結成し、菜の花をバックに生演奏を行うことだ。
I さんのウクレレの腕前は評判だったが、M さんがハーモニカ演奏者だとは知らなかった。若い頃、全国大会まで出場したという。
「吹くのはハーモニカじゃなくてホラでしょ?」
と私がいうとムキになって怒った。当日は懐かしい曲を4曲演奏し、手作り歌詞カードを配ってみんなで合唱した。I さん・Mさんは今回の演奏のために何度も練習をしたという。鳴り止まない拍手とアンコールの声、さらにはおひねりまで飛び交い、二人は満足げな様子だった。手作りで暖かいミニコンサートであった。

今回のコンサートは、ボランティアマネジメントについて学ぶべきことが多くあった。
ボランティアの持つ特徴に
「やりたいこと」を「やりたいとき」に「やりたいだけ」
活動する性質があると以前書いた。それがNPOを運営する側にとって時に予測不能な状態を産み、事業を安定的に行う障害になることもある。
しかしその逆に、得意な分野、好きなことについては予測をはるかに超えた能力を発揮することもある。『森と松』のふたりはまさに後者であった。
社員に対して賃金という対価を支払う企業とは違う観点を、NPO運営者は持つ必要がある。ボランティアが『対価』と感じるものは多種多様、有形無形である。ボランティアの潜在能力を引き出し、それを表現する『場』をつくることがどうすればできるか?ボランティアマネジメントのコツはそこにある。
キムチ作り教室、リース作り教室、アルミ缶リサイクル、施設整備、花壇整備など、グリーンプロジェクトの活動を支える担当者は、いずれもそれが好きであったり得意であったりする。その人の好きなこと・得意なことを聞いて、その人を軸に『エコ』というフィルターをかけながら事業を作っていくといってもいいかもしれない。ボランティアには相応の責任とプレッシャーを与え、責任以上の「ありがとう」や「笑顔」を対価として提供する。そういう関係が理想的だ。

ただし、ボランティアの技術や専門性を開花させるだけでは、ミッションを持つ組織は方向性を維持できない。そこにはボランティアを束ねるコーディネーターの存在が欠かせない。わが組織では副代表や幹事などがその役目を果たしている。話をよく聞き、意思を尊重し、組織の方向性とすりあわせるきめ細かな調整を日常的に行っている。組織の中で5%のコーディネーターが、95%のスペシャリストの舞台づくりをしている。
コーディネーターは裏方のたいへんなポジションだが、面白いことにその役割を果たす副代表や幹事は、それを苦にせず、むしろ得意としていることだ。
企業であれNPOであれ、組織には適材適所というものがあるのだろう。

ボランティアの性質を知る

2005年03月22日 | ボランティアマネジメント
 資金調達が得意でない現在のNPOにとって、またNPOの性質上、「資源」としてのボランティアの獲得は、不可欠な要素だ(「獲得」という言葉は適切な表現ではないかもしれない。ボランティアはNPOの目指す方向に共感したときに、初めて力になってくれるものだから)。
「市民が担う公共」を模索するNPOにとって、多くの市民が活動に共感し、その延長にボランティアとして労力を提供できる「場」をつくることは、NPOの重要な役割のひとつであり、NPOとボランティアとは車の両輪であると考える。
 NPOがボランティアの性質を知り、ボランティアが輝ける仕組みを作ることができれば、市民活動は大きな活力源を手に入れることができる。しかし一方で、ボランティアはこれまた扱いが難しいのが特徴である。ボランティアは
「やりたいことを」
「やりたいときに」
「やりたいだけ」
しかやらないという本質を持っているからだ。
企業であれば労働の対価として賃金を貰うのでやりたくないことでもやるが、ボランティアにはそういった「対価」や「縛り」がない。自分のやっていることに価値を見出せなくなってしまた瞬間、力を出すことができなくなる。
 また「ボランティアの自発性は揮発性」といわれるように、「活動したい!」と思ったときが力の出るピークで、時を追うごとに自発性は薄れていく。震災などの災害直後は「ボランティア難民」と呼ばれるほど人が集まるが、時がたつほどにその関わりは薄れていくのがその例だ。
 どこまでも献身的なボランティアがいる一方で、無責任なボランティアや過激なボランティア、さまよえる難民ボランティアなど、ボランティアの温度差は激しい。したがってボランティアを束ねるコーディネーターは、つねにボランティアに振り回されることになり、その労力とコストはバカにならない。
 組織としての「継続性」が求められるNPOにとってボランティアがもつ本質的な性質は大きな矛盾だ。ボランティアの「自発性」を担保しつつ、NPOの「継続性」を維持する-この両面をかみ合わせるために「ボランティアマネジメント」が必要になってくる(アメリカ経営学者のジョン・コッター氏は著書『リーダーシップ論(ダイヤモンド社)』で「マネジメントとは複雑な環境にうまく対処する力量を指す」とのべている)。

 ボランティア・マネジメントのコツは「ボランティアが求めているものは何か?」を常に配慮し、「期待以上のやりがい」を提供することと同時に、ボランティアの自由と責任の範囲を明確に示すことだ。
 このような考え方は、なにもボランティアのみにあてはまることではない。財団や寄付者などの資金提供者や事業協力者など、あらゆる関係者と「WIN・WIN」の関係を構築しながら、社会的課題に取り組む姿勢を持つことは、NPO運営にとって重要なポイントである(つづく)。

ボランティアスタッフの人材育成

2005年03月03日 | ボランティアマネジメント
 韓国・釜山市からの視察をきっかけに、スタッフ間では現在静かな『韓流ブーム』がおこっている。韓国語会話集を買ってきてあいさつの勉強をするスタッフまで出てきた。
 ある日、ボランティアのOさんがやってきて、開口一番
「アルジェリアー!」
と元気に言った。みなは一瞬黙ったあと、おそるおそる
「・・・それって、『アニョハセヨー』のこと?」
聞き返すと、
「ああ、そうそうそれ!」
と真っ赤になり、みんなで大笑いした。韓国語マスターへの道は遠そうだ。
 
 釜山市からの視察に限らず、外部からの取材や視察の際は、都合がつくボランティアに同席を促している。先方にそのニーズがあろうとなかろうと、
「これがうちのやり方ですから」
と言って通している。
 取材や視察を「スタッフの人材育成の場」と捉えているからだ。
 取材では必ずここができた経緯、この組織の目標、運営の仕組み、マネジメントのコツ、将来目指すもの、など同じ内容のことを話す。それを繰り返し一緒に聞いてもらうことで、組織が目指そうとしている目標を内部のスタッフにも理解してもらうことが目的だ。取材の質問がきっかけで、内部同士の話が盛り上がり、気づくと質問者をそっちのけにして議論してることも間々ある。
また、取材に慣れてきたスタッフには、応対をお任せすることもある。隣で座っている分には気楽だが、いざ自分が答えるとなると、とたんに責任感が生まれ勉強してくるようになる。
「ゴミをリサイクルするようになってゴミの出す量が減った」
「キウイの大きな葉から水分が出て空気を冷やすんです」
など、自身の体験談を交え、じつに活き活きと話をしている。
 それが新聞記事や映像になった日には大変だ。ますますやる気を出して精力的に活動するようになる。
 人から認められることや、注目され世間に紹介されることで、かくもボランティアのモチベーションは高まり、能力開発につながるのかと、いささか驚きを持って見ている。
だれでもほめられればうれしいものだ。ましてそれが自分のためでなく、誰かのためにしていることであればなおさらだ。
 勉強や会議といったものがキライなスタッフが多いだけに、できるだけ外部から遊びに来てもらい、本人も気づかないうちに楽しみながら勉強してもらっている。
こんな人材育成のやり方も現場ではアリだ。