今年は初めてキウイが収穫できた。
苗木を植えてから3年。雌雄25本から800個の実が収穫できた。
予想の4000個よりははるかに少なかったが、こぶし大の大きさの果実は、スーパーに並べても遜色がない。味も濃厚でおいしい。
みんなで思わずニンマリした。
収穫したキウイは、協賛企業やこれまでお世話になった方へお礼として郵送した。たくさんの方にお世話になったので、試食分以外、私たちの手元にはほとんど残らなかったが、みんな満足した様子だった。
無事収穫を行うことができたが、影では苦労もあった。
収穫を向かえるまでの数ヶ月、キウイ管理担当のJさんは毎日気が気ではなかった。
「キウイが盗まれたらどうしよう」
スーパーで1個100円で売っているような大きなキウイがブラブラしている公園があったら、思わず1個くらい取ってポケットにしまってみたくなるのが人というものだろう。これまたちょうど手の届く高さにキウイがぶらぶらしているのだ。
しかし、生産者にとっては丹精込めてつくった果実が盗まれるという行為は残酷そのもの。朝来たらすべて取られてしまった、などという事態になれば、寝込んでしまうものが続出するだろう。ボランティア活動をする意欲もうせるかもしれない。
「誰でも入って遊べる公共空間としての菜園」
は、『盗難』というリスクから逃れる事はできない。そして、ボランティア活動はそのような悪意に対して無防備で弱い。
今年はたまたま運がよかったが、地元の新聞などで記事になったため、来年はどうなるかわからない。私個人は、キウイの盗難は遅かれ早かれ起こるものと思っている。
むしろ心配なのは、キウイが盗難された事によって、内部スタッフが疑心暗鬼になり、保守的・閉鎖的な空間作りに向かってしまうことだ。それは
「一人でも多くの人が、環境問題を身近に考えるきっかけ作りの場」
という目標を見失うことにつながりかねない。オープンな場所・オープンな組織は私たちが高く評価されているところであり、その文化を失えばイコール組織の価値も落ちる。
リスクの順位として、キウイが盗まれること以上に、組織が閉鎖的になってしまうことのほうが重大な問題である。予測できるリスクについては、あらかじめ対応をしておく必要があるが、なんとも気が重い準備だ。
「キウイはもともとヒートアイランド対策が目的なんだから、果実はおまけ。欲をかいちゃいけないね」
「もしキウイが盗まれたら、ケーブルテレビに来てもらって、みんなで泣きながらそれをニュースにしてもらおう」
「盗んだ人がおいしいキウイを食べられるように、熟し方のアドバイスを紙に書いてつるしておこう」
となにげない会話の中に、繰り返しそのような事を話している。キウイが盗まれる事態に備え、そのショックを軽減させる心の準備をさせるための刷り込みだ。みんな冗談のように聞き流しているが、こちらはあながち冗談ではない。万が一、現実になっても言うことは同じなのだから。
悪意に負けず、自分たちの活動に自信を持ち、感謝と笑顔を失わないしなやかな組織であってほしい。そして杞憂であってほしいと願いつつ、解決にもならないリスクマネジメントをするのであった。
対応すべきリスクと、受け入れるべきリスクは何か?組織の方向性を見失わないために、確認しておくべき「私達にとって大切なこと」はなにか?
そんなことを考えていると、手に取ったキウイがなおさらいとおしい。
苗木を植えてから3年。雌雄25本から800個の実が収穫できた。
予想の4000個よりははるかに少なかったが、こぶし大の大きさの果実は、スーパーに並べても遜色がない。味も濃厚でおいしい。
みんなで思わずニンマリした。
収穫したキウイは、協賛企業やこれまでお世話になった方へお礼として郵送した。たくさんの方にお世話になったので、試食分以外、私たちの手元にはほとんど残らなかったが、みんな満足した様子だった。
無事収穫を行うことができたが、影では苦労もあった。
収穫を向かえるまでの数ヶ月、キウイ管理担当のJさんは毎日気が気ではなかった。
「キウイが盗まれたらどうしよう」
スーパーで1個100円で売っているような大きなキウイがブラブラしている公園があったら、思わず1個くらい取ってポケットにしまってみたくなるのが人というものだろう。これまたちょうど手の届く高さにキウイがぶらぶらしているのだ。
しかし、生産者にとっては丹精込めてつくった果実が盗まれるという行為は残酷そのもの。朝来たらすべて取られてしまった、などという事態になれば、寝込んでしまうものが続出するだろう。ボランティア活動をする意欲もうせるかもしれない。
「誰でも入って遊べる公共空間としての菜園」
は、『盗難』というリスクから逃れる事はできない。そして、ボランティア活動はそのような悪意に対して無防備で弱い。
今年はたまたま運がよかったが、地元の新聞などで記事になったため、来年はどうなるかわからない。私個人は、キウイの盗難は遅かれ早かれ起こるものと思っている。
むしろ心配なのは、キウイが盗難された事によって、内部スタッフが疑心暗鬼になり、保守的・閉鎖的な空間作りに向かってしまうことだ。それは
「一人でも多くの人が、環境問題を身近に考えるきっかけ作りの場」
という目標を見失うことにつながりかねない。オープンな場所・オープンな組織は私たちが高く評価されているところであり、その文化を失えばイコール組織の価値も落ちる。
リスクの順位として、キウイが盗まれること以上に、組織が閉鎖的になってしまうことのほうが重大な問題である。予測できるリスクについては、あらかじめ対応をしておく必要があるが、なんとも気が重い準備だ。
「キウイはもともとヒートアイランド対策が目的なんだから、果実はおまけ。欲をかいちゃいけないね」
「もしキウイが盗まれたら、ケーブルテレビに来てもらって、みんなで泣きながらそれをニュースにしてもらおう」
「盗んだ人がおいしいキウイを食べられるように、熟し方のアドバイスを紙に書いてつるしておこう」
となにげない会話の中に、繰り返しそのような事を話している。キウイが盗まれる事態に備え、そのショックを軽減させる心の準備をさせるための刷り込みだ。みんな冗談のように聞き流しているが、こちらはあながち冗談ではない。万が一、現実になっても言うことは同じなのだから。
悪意に負けず、自分たちの活動に自信を持ち、感謝と笑顔を失わないしなやかな組織であってほしい。そして杞憂であってほしいと願いつつ、解決にもならないリスクマネジメントをするのであった。
対応すべきリスクと、受け入れるべきリスクは何か?組織の方向性を見失わないために、確認しておくべき「私達にとって大切なこと」はなにか?
そんなことを考えていると、手に取ったキウイがなおさらいとおしい。