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私達の育てた小さな緑が失われようとしています

緑のまちを望んで、私たちは緑を育てました。その小さな緑が失われようとしています。

1秒でできるプレゼン:パンフレット

2005年05月06日 | 広報戦略
「あなたのNPOはどんな活動をしているのですか?」
こう質問されたとき、質問者はどれくらい時間を私たちにくれるだろう?
私たちが説明する活動内容に、親身に耳を傾けてくれる時間のことである。わざわざ質問しているのだから1分くらいの時間はくれるかもしれない。1分あれば目的や事業など、なんとか説明できるかもしれない。あれもこれも事業に手を出している人は、3分、いや最低5分はほしいというかもしれない。熱心な方なら興味を持って話を聞いてくれるかもしれない。
では、こんな状況のときはどうだろう。
「自分から積極的に説明していかなければいけない状況のときは?」
「相手があなたの活動にたいして興味を持たないときは?」
「時間が10秒もないときは?」
仲間を獲得したいとき、活動を知ってもらいたいとき、寄付をしてほしいとき、など自分たちがなにかしたいときは、たいてい相手の状況はそんな場合が多い。
そんなとき、内ポケットから、さっとパンフレットを出し、
「こんなことをしてます。興味がありましたらご覧ください」
ということができれば、少なくとも次へのチャンスはつながる。自分たちの活動を1秒で伝えてくれるパンフレットは、ぜひよいものを作りたい。
グリーンプロジェクトの2005年パンフレットが、今月ようやく完成した。表紙のロゴ・デザインと後ろのイラストはGPデザイナー・ナカジマ氏にお願いし、あとはスタッフが自前で作った。参考までにグリーンプロジェクトのパンフを例に、配置と狙いを解説すると、

外面
1、表紙はシンプルにロゴ・URL・団体名とキャッチコピー
2、裏はイラストと活動を促すメッセージとイラストを配置
3、内側にはアクセスマップと事務局連絡先を掲載
まず、パンフレットは表・裏の順で見られる確立が高い。目を引くようにシンプルさやイラストによる興味を引くようにした。内側の地図の上にはつくばエクスプレスキャラクター『スピーフィ』を挿入。この絵は所有者である首都圏新都市鉄道株式会社から許可をもらっている。申請書類の提出等の作業は必要だが、著作権関係はしっかりしないと、のちのち面倒なことになりかねない。

内側
1、左が今年のキーワードをならべ中央の対策と連携
2、右に目指す社会と関連事業を配置
内側は「MOTTAINAI」「気温42.7度」「愛・地球博」というキーワードを並べ、取り組みを連動させた。開けば読んでくれるだろうと、ごちゃごちゃと細かく書いている。

好みやセンスによって、内容や構成は好き好きだが、一度こうやってパンフレットを作ってしまえば、年に1度程度修正をかけるだけで済むので楽だ。
パンフレットの印刷は光沢紙にカラーで、といきたいところだが、予算に限りがあるNPOでは思い切ってふんぱつするか、抑えるか悩みどころだ。私たちのパンフレットは、地元のNPOセンターの輪転機を活用しているので、紙代プラス版代だけで手作り感(安っぽいとはいわない)のあるパンフとなっている。
 イベントなどでチラシを配るとときどきほめてくれる人がいて、とってもうれしい。
 パンフレットはコミュニケーションの第一歩であるだけに、ぜひこだわりのパンフレットをつくっていただきたい。

テレパシーと掲示板:市民活動のアナログネットワーク

2005年03月18日 | 広報戦略
「支出の中で、通信費が少ないのですが、情報連絡はどうしているんですか?」

ある講座で収支報告書を見せたところ、受講者からそのような質問をいただいた。
そう言われてみれば年間の通信費が2万円にも満たない。もし仮に50人の会員を抱えるNPOが2ヶ月に1回機関紙を郵送すれば、それだけで軽がると予算を超えてしまう(事務所を設けているわけではないので電話代などは個人に負担していただいている)。他のNPOは大変だなあと、そのとき気付かされた。

「うちは畑に来て活動することが大前提なので、連絡は基本的に畑の黒板ですませています」

というと、質問した方はぽかーんとしていた。

インターネットや携帯などの通信ツールが発達している現代にもかかわらず、現場では掲示板と口伝えといった昔ながらのアナログツールを使っている。
「畑にいます」-まるで宮沢賢治の世界だ。
連絡事項を知らない人がいても
「掲示板を見ないのが悪い」
「畑に来ないとねー」
と、時代錯誤で不親切なルールにもかかわらず、それがグループ内ではまかり通っている。資料なども基本的にすべて手渡。したがってボランティアへの通信費は発生していない。
 年6回発行している機関紙は、協賛企業などに郵送しているが、交流を図るいい機会と、それも一部近場の企業へは手渡しで届けている。結果、通信費が発生しない。
 改めて考えると、現場を持っている強みとは言え、お金がない弱みとは言え、ずいぶんずさんで「いい加減」な情報伝達をしていると思う(反省)。

ところがどんなずさんな連絡をしても、情報は的確にボランティアに伝わっているからこれ不思議。

カヌーイストで作家の野田知佑氏は、アラスカ・ユーコン川を下った体験記で、下流の住民に旅行者の情報が伝達される現象を『インディアン・テレグラフ』と言って不思議がっていたが、私たちの現場でもそのような現象が見られる。さながらテレパシーでもつかっているかのようだ。
テレパシーのヒミツ、-それはスタッフやボランティアの井戸端会議にある。
子供、孫、会社、酒場などあらゆる場面での口コミネットワークを持った住民たちによるお茶を飲みながらの井戸端会議が不定期に開催され、掲示板の連絡事項が雑談の合間に伝達されている。地域コミュニティが充実してくると、密なアナログネットワークができてくるものなのだろうか。

こういうアナログの情報伝達システムは、都会ではほとんど見られなくなった。隣に誰が住んでいようが無関心な社会。そんな中、こういう濃い地域ネットワークに触れることは逆に新鮮だ。
そういえば私が子供のころは、誰もいないはずの家に帰ると、近所のおばちゃんが座っていてお茶を飲んでいたことがあった。鍵も閉めず、人の家も自分の家も自由に行き来していた。いまではそんな時代があったことのほうが不思議に感じる。

インターネットをはじめとするデジタル情報伝達が発達する一方で、人と人を繫ぐアナログの「良い(いい)加減なシステム」はますます重要になってくるだろう。人は便利さだけで生きていけるものではない。ケータイやネットに依存すればするほど、人間のコミュニケーション能力は低下し、社会はトラブルを抱えていく。
「人と人をつなぐ」ことは、今後ますます重要性をますだろうし、NPOがもつアナログネットワークは、大げさに言えば社会のセーフティネットになる可能性もある。人と人がつながる場で、思いやる気持ちを学び、いざこざを防ぐ術を学び、人がひとりで生きているのではないことを学ぶ。
昔ながらのアナログネットワークによる市民社会を担う人材育成と、しなやかな組織を作ることは、NPOの社会的役割のひとつであると思う。

そうして我が組織の収支報告書を見ると、通信費のかわりに、ネットワーク作りのためにボランテァイスタッフによるかなりの時間と労力が費やされていることが見えてくる。

テレパシーと掲示板が通信費削減のコツだ(・・・コツか?)。
ではなぜそんな状況が作られるのか?それについてはまた別の機会に紹介したい。

進化する広報のツール

2005年03月04日 | 広報戦略
 ここ最近、インターネットが普及するスピードと進化の速さひしひしと感じている。そして市民活動における広報という概念そのものも、インターネットによって大きく変わるような予感がしている。
 今回、市民活動の広報として私たちが重要視しているインターネットについて書こうと思ったのだが、私自身その変化についていけず、自己矛盾した文章を整理できない。頭で理解していることと、現場の試行錯誤でやっていることが一致しないのだ。
 この文を書いているうちに整理できればいいのだが・・・。


 まず、市民活動における一般的な広報について
 一般に大企業や行政の広報は「広く」「早く」「多く」である。テレビCMや自治体発行の機関紙などがその例だが、こういった広く網をかける広報のやり方はコストがかかり、小さな市民活動には不向きだ。チラシを撒くにしても、電話で知らせるにしても資本力がない組織ではできることは限られてくる。
 NPOの広報のコツは「深く」「ゆっくりと」「口コミで」である。
 NPOにとっての広報の究極的な目的は、活動への理解や組織への協力を得ることである。企業のように消費者への購買行動を喚起するものではなく、伝えた人をファンにし、味方にするのが広報の目的である。したがって広報に「熱意」がこもっている必要がある。「熱」のこもった広報というのはなかなか難しいものだ。人と会い、語り、ネットワークをつくり、協力を獲得しながら、着実に広めていくことで成長していく。

 しかしここ最近、これまでの一般論が崩れつつある。
 個人がインターネットという通信手段を使って、「広く」「世界に」「熱を」「簡単に」伝えられるようになってきたのだ。その象徴的なツールが『ブログ』だ。
「そんなバカな!」
という方は、この『実録鬼嫁日記』を見て大笑いしながらその可能性を確かめていただきたい。
 これまでNPOの広報は「深く」「ゆっくりと」「口コミで」だったが、インターネットの活用により、コストをかけなくても「広く」「早く」「多く」が技術的には可能になってしまった。仮想現実のはずのインターネットが、立体的な双方向性コミュニケーションツールに進化しているのだ(おそらく我々の方がインターネットの機能に気づいただけなのだろうが)。
昨年、東京ビッグサイトで行われた『環境goo大賞2004:フィードバックミーティング』でも、ブログなどのツールを活用した「双方向性」がテーマにあがっていた(ちなみに我がGPWEBは1次審査を通過したものの、受賞には至らなかった、残念)。
 私は全くのド素人なので、ネットの活用法の細かいところまでは説明できないのだが、NPOがこれまでの広報を大切にしつつ、HP・メルマガ・ブログなどインターネット・ツールを有効に活用することで、広報の幅は飛躍的に広がると考える。これまでの概念や使い方の限度を破り、新しい広報を創造できる段階に入ったのかもしれない。
つまり
「NPOはインターネットを有効に活用すべし」
と言いたかったわけです(この一言を言うまでの前置きの長いこと)。

 インターネットという『道具』がいかに進化しようと、これまでどおり市民活動の広報は「人と人のネットワーク」であることに変わりはない。それは確信している。
 ただ、受信・発信といった『情報の網』は、NPOの飛び道具としてますます使いやすくなっている。その両方をうまく使いこなすことができれば、活動はさらにダイナミックになるのではないか。
 果たしてそんなことができるのか。いま、その仮説に基づいてサイトを作っているところで、自信をもって断言できないのだが・・・。

NPOになぜ広報が必要か?

2005年03月01日 | 広報戦略
もしも私たちに広報についての意識がなかったら、エコプチテラス(市民菜園、以下エコプチ)は数多くある市民菜園のひとつになっていただろう。一見ふつうの畑に、取材・視察・フィールドワークなど、毎月のように現地を訪ねてくることもなかったに違いない。
私たちの活動が「普通の市民菜園」と違うのは、広報についての考え方と仕掛け方である。
私たちの組織目標がエコプチの運営であるならば、運営に関わる狭い範囲での広報だけを考えればよい。エコプチの運営自体には、広報が必要であるとは思わない。「エコプチに足を運ぶことでエコロジカルなライフスタイルになる」
が仕組みなので、現場での広報は黒板・口コミと電話で事足りてしまう。
しかしこれでは現地を訪れることのない外部の人は、活動の情報を得ることができない。エコ・プチテラスは、環境に負荷をかけない事業の具体例を提示することであり
「外部が活動の情報を得られない」
ということは、公益的な目標を持つ私たちにとって致命的だ。外部のあらゆる協力をえなければ組織の目標も達成できないのだから。

多くのNPOは、「外部に情報を開く」ことの重要性と、自らにもたらされる効果に十分気付いていないように思う。

資金的な裏づけや事業が確立している一部の例を除き、多くのNPOはボランティアや協賛者など外部からの多様な支援・協力なしに、活動を活性化させることはできない。またNPOの「志」に賛同したい外部の人がいるのに、それを知る機会をNPOが提供できないのは大きなチャンス・ロスだ。外部からの支援を得るには、まず活動を知ってもらうことが必要だ。情報を開くことで外部に無数存在する協力者と「志」をネットワーク化し、それによって組織は力を蓄えることができる。

広報のもうひとつの効果は、「情報の開示による信用の獲得」だ。

多くのNPOは活動実績も少なく、信頼されていない。最近はあやしい活動をしている団体もあり、NPO=善という構図は完全に崩れている。自分たちは信頼されていない存在であることを、まず自覚する必要がある。その上で、社会からの信頼を勝ち得ていくに自分たちの活動の様子を積極的に公開し、理解を得る努力が必要になる。

「自分たちは頑張っている」「いいことをしている」
というボランティアがいる。それが単なる「ボランティア」なら敬意を表するが、「ボランティアとして組織を運営するスタッフ」として発言するなら「それは甘えです」というしかない。いいことしている企業が儲かるならこんな楽なことはない。有給であろうと無給であろうと組織を運営する以上、その舵取りにはシビアな視点を持つべきだ。いいことしているのなら、なぜそれを広める努力をしないのか?全員がボランティアで運営される組織には、ときどきそういった「甘え」が見られる。
個人のがんばりという視点から一歩下がり、より広い視野で「組織の広報にたいする意識」をもつ必要がNPOにはある。外部を意識することで、効果的な広報戦略をつくることができる。

 そもそも広報の技術以前に、社会の課題解決という公的視点に立ち、市民に成果を還元していくために広く情報を公開していく姿勢は、NPOの原点なのではないだろうか?