町には行政、企業、学校、町会・自治会、NPOなど様々な組織・団体が存在する。それぞれは部分的な連携を行っていはいるが、それらが意識的に柔軟かつ横断的な連携しているとはいえない。ただ小さな地方都市での先進的な事例を見ると、いずれも異なる組織がうまく連携しているところもある。
その違いは何か?
分野によって異なるが、環境分野の市民活動などは、どうしても異なる組織との連携が必要になる。例えば河川浄化活動をしようと思えば、主たる管理者である行政との連携は欠かせないし、現地で活動するためには町会・自治会と連携しておかないと反発を食うこともある。また河川浄化の教育講座を開催するにも学校との連携があればより効果的だろうし、技術や資金提供には企業との連携が欠かせない。
単体で力が出せない多くのNPOは、他の組織と連携しながら、いかに相乗効果(シナジー)を生み出していくかが活路となるだろう。
しかしこの連携というものが一筋縄ではいかない。各組織ごとに制約や特色などの「大きな壁」が存在するからだ。この壁に何の準備もせず正面からぶち当たって痛い目を見ている例をよく聞く。NPOと話していてもっともよく聞くのは「行政の壁」だ。
「口を開けば公平・公正ばっかりで何も協力しない。頭が固すぎる」
と怒りをあらわにする人もいる。私も何度も体験しているのでわからなくもないが、住民の税金を財源としている以上、基本的に行政が法を遵守し、公平・公正でなくては困るのも事実だ。同じように、学校には「教育の視点と子供たちの安全」という優先事項があり、町会・自治会には「地域活動」という優先事項がある。それは市民活動が「組織の存在意義としての目標(ミッション)」という優先事項があるのと同じことだ。ようはそれらの組織が自分の立場のことばかりを主張するので、いつまでたっても平行線でかみ合うことがない。
異なる組織が連携するには、互いの主張の合意点を発見し、その点を念頭に事業を展開する必要がある。それを可能にするのは「キーマン」と呼ばれるコーディネーターの存在だ。組織の「壁」を打ち破る「個人」;成功している事例には必ずこの「キーマン」が「複数」存在する。
「キーマン」はそれぞれの組織の性質を理解し、譲れない点・譲れる点を見つけ出して、それぞれにとってのメリットを提示しながら合意形成(時に妥協点の発見)ができる人材のことである。「キーマン」になる人間はたいてい組織では「アウトサイダー」である。行政マンなら「出る杭は打たれる変わり者」、企業家なら「打率1割のホームランバッター」、学校なら「教育者らしからぬ人気者」、NPOなら「信念のない優柔不断な」、町会なら「しきたりを守らない」などなどの肩書きを持っている場合が多い(ちょっと表現が失礼でスミマセン)。だが「キーマン」に共通するのは、ほとばしるほどの情熱と、ゆるぎない信念と、どうしようもなく惹きつけられる人間的魅力を持っている点でもある。この「キーマン」同士がつながることこそ、連携の第1歩である。組織の連携を考えるとき、仕組みづくりなどの「ハード面」だけを進めようとして失敗する例が多いが、人のつながりという「ソフト面」を無視して、市民活動や異なる組織の連携などありえない、と私は思っている。「仏造って魂入れず」だ。
ただ一方で、日本の社会や教育は「キーマン」を育てるのが苦手だ。「キーマン」はいくつもの視点を持ち、それを柔軟に組み合わせて新しい価値を創造する能力に長けているが、長らくこの社会はそういう人材を必要としてこなかった。しかし「キーマン」は、どの地域のどの組織にも必ず存在する。あなたの町の「眠っているキーマン」は、腐って飲んだくれているかもしれない。そういう時は「出番ですよ」とぜひ起こしていただきたい(笑)。
私が関わっている事業においても「NPOのキーマン」「行政のキーマン」「学校のキーマン」「町会のキーマン」「議会のキーマン」「企業のキーマン」がいて、各「キーマン」が自分の組織で合意点を見つけるために奔走している。彼らが接着剤となって組織が連携し、シナジーによる成果を上げたとき、(悲しいが)はじめて「組織同士」が連携に向けて動くようになる。それまでの間、「キーマン」はルールすれすれのところで冷や汗や脂汗を流しながら裏で動くことになる。苦しい仕事だが、シナジーが生まれたときの快感と達成感はたとえようがない。
一度地域に「キーマン」同志の連携ができれば、その後のプロジェクトはいくらでも立ち上がるし、成功の確率は高まる。
さらに面白いことに「キーマン」は伝染する。これまで潜在能力として眠っていた人が、
「俺にもできるかも」
といってコーディネートを買って出るようになるから不思議だ。きっとみんな怖いんだろう。だが「キーマン」がひとつの成功事例を見せることによって面白いように新たな人材が育成していく。
なぜなら「キーマン」がうみだすシナジーはわくわくするからだ。
その違いは何か?
分野によって異なるが、環境分野の市民活動などは、どうしても異なる組織との連携が必要になる。例えば河川浄化活動をしようと思えば、主たる管理者である行政との連携は欠かせないし、現地で活動するためには町会・自治会と連携しておかないと反発を食うこともある。また河川浄化の教育講座を開催するにも学校との連携があればより効果的だろうし、技術や資金提供には企業との連携が欠かせない。
単体で力が出せない多くのNPOは、他の組織と連携しながら、いかに相乗効果(シナジー)を生み出していくかが活路となるだろう。
しかしこの連携というものが一筋縄ではいかない。各組織ごとに制約や特色などの「大きな壁」が存在するからだ。この壁に何の準備もせず正面からぶち当たって痛い目を見ている例をよく聞く。NPOと話していてもっともよく聞くのは「行政の壁」だ。
「口を開けば公平・公正ばっかりで何も協力しない。頭が固すぎる」
と怒りをあらわにする人もいる。私も何度も体験しているのでわからなくもないが、住民の税金を財源としている以上、基本的に行政が法を遵守し、公平・公正でなくては困るのも事実だ。同じように、学校には「教育の視点と子供たちの安全」という優先事項があり、町会・自治会には「地域活動」という優先事項がある。それは市民活動が「組織の存在意義としての目標(ミッション)」という優先事項があるのと同じことだ。ようはそれらの組織が自分の立場のことばかりを主張するので、いつまでたっても平行線でかみ合うことがない。
異なる組織が連携するには、互いの主張の合意点を発見し、その点を念頭に事業を展開する必要がある。それを可能にするのは「キーマン」と呼ばれるコーディネーターの存在だ。組織の「壁」を打ち破る「個人」;成功している事例には必ずこの「キーマン」が「複数」存在する。
「キーマン」はそれぞれの組織の性質を理解し、譲れない点・譲れる点を見つけ出して、それぞれにとってのメリットを提示しながら合意形成(時に妥協点の発見)ができる人材のことである。「キーマン」になる人間はたいてい組織では「アウトサイダー」である。行政マンなら「出る杭は打たれる変わり者」、企業家なら「打率1割のホームランバッター」、学校なら「教育者らしからぬ人気者」、NPOなら「信念のない優柔不断な」、町会なら「しきたりを守らない」などなどの肩書きを持っている場合が多い(ちょっと表現が失礼でスミマセン)。だが「キーマン」に共通するのは、ほとばしるほどの情熱と、ゆるぎない信念と、どうしようもなく惹きつけられる人間的魅力を持っている点でもある。この「キーマン」同士がつながることこそ、連携の第1歩である。組織の連携を考えるとき、仕組みづくりなどの「ハード面」だけを進めようとして失敗する例が多いが、人のつながりという「ソフト面」を無視して、市民活動や異なる組織の連携などありえない、と私は思っている。「仏造って魂入れず」だ。
ただ一方で、日本の社会や教育は「キーマン」を育てるのが苦手だ。「キーマン」はいくつもの視点を持ち、それを柔軟に組み合わせて新しい価値を創造する能力に長けているが、長らくこの社会はそういう人材を必要としてこなかった。しかし「キーマン」は、どの地域のどの組織にも必ず存在する。あなたの町の「眠っているキーマン」は、腐って飲んだくれているかもしれない。そういう時は「出番ですよ」とぜひ起こしていただきたい(笑)。
私が関わっている事業においても「NPOのキーマン」「行政のキーマン」「学校のキーマン」「町会のキーマン」「議会のキーマン」「企業のキーマン」がいて、各「キーマン」が自分の組織で合意点を見つけるために奔走している。彼らが接着剤となって組織が連携し、シナジーによる成果を上げたとき、(悲しいが)はじめて「組織同士」が連携に向けて動くようになる。それまでの間、「キーマン」はルールすれすれのところで冷や汗や脂汗を流しながら裏で動くことになる。苦しい仕事だが、シナジーが生まれたときの快感と達成感はたとえようがない。
一度地域に「キーマン」同志の連携ができれば、その後のプロジェクトはいくらでも立ち上がるし、成功の確率は高まる。
さらに面白いことに「キーマン」は伝染する。これまで潜在能力として眠っていた人が、
「俺にもできるかも」
といってコーディネートを買って出るようになるから不思議だ。きっとみんな怖いんだろう。だが「キーマン」がひとつの成功事例を見せることによって面白いように新たな人材が育成していく。
なぜなら「キーマン」がうみだすシナジーはわくわくするからだ。