あややの家

あややとその家族のつれづれ

我家の妄想☆スピッツSTORY 18 『オーロラになれなかった人のために』は別格

2018-01-16 | スピッツ

    :オーロラになれなかった人のために


コンサートに行って以来どうしてもこの『我が家の妄想スピッツ』の続きを書く気になれないでいました。

やはり私のspitz感は的外れではなかったと確信したのです。マサムネ氏は予想していた通り埋め尽くされた会場の人へは何らメッセージを放っていなかった。。。ライブは唯一の人への大事な儀式であり、埋め尽くされた人間はその儀式に必要な構成要素であって、我々に向けた上滑りなMCは当然何の言霊も入っているわけもなく。思いの全てはアルバムの曲に埋め込まれて、刻み込まれているのです。曲こそすべて。だからライブでも忠実に曲の世界に誘ってくれるのです。

マサムネ氏の、スピッツというバンドの頑ななロック魂を目の当たりにして、もう第三者があれこれ邪推するのはおこがましい気がしてきました。そっと曲に思いを馳せながら祈ることが適当な自分の立ち位置じゃないかと。スピッツはデビュー当時から何一つ変わってないのです。新曲の『歌うさぎ』、歌詞から舞台でぴょんぴょん跳ねる自分たちをうさぎになぞらえているように思えますが、『歌うサギ(詐欺)』という己を嘲笑したもう一つの意味もあるのではとこの曲が出た時に思い当たりました。意図的にこの言葉を選んでいるのではないでしょうか。案外最近の曲はナチュラルにカミングアウトされているものが多くなってきたように思います。さらに昇華されたステージに入っているような。。。だからこそ初期のアルバムは一見訳の分からないワードだらけの難解な曲ばかりですが聴けば聴くほど、裏に隠れている原石のきらめきに胸がギュッと締め付けられるのです。まだあと少し自分なりに追ってみよう、ライブのショックから時間が少したってそうやっと思えたのでまた筆を取らせていただきます。

オーロラになれなかった人のためには歌詞カードをめくるとこんな風に文字が並んでます。

に た な オ

ス 人 れ I

ピ の な ロ

ッ た か ラ

ツ め っ に

もちろん右から下に読みます。

でもどうしてこんな風に文字を置いたんだろうと何故かとても引っかかってました。

そして気づいたのです。

 

に た な 

 

ス 人  I

 

ピ  な ロ

 

   

 

ツ め っ に

 


尖がった(スピッツ!)形に読むと

れのッたかラ。。。俺の宝

ただの偶然でしょうか?

見つけてしまった時の罪悪感、そして切なさ。

このアルバムは特別な意味を込めて作られていると我が家では妄想しています。



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横浜で羽を伸ばして☆2

2017-08-27 | スピッツ

         :アリーナに向かって 

 

ポケおやじ:横浜アリーナは初めて行きました。

席は2階席の最後方のライトスタンドみたいな所。これは見えないな。でも約10000人これだけの会場になると観客の大半の人が同じように見えていないだろうな。

ただ、最後方なので後ろの人を気にしなくていいのがメリットと思ったら、後ろに立見席の人が沢山入ってきました。

コンサート開始。「醒めない」「8823」「涙がキラリ☆」「ヒバリのこころ」いきなり続けての演奏で、MCなしでいくつもりかと思わされました。

MCはやはり正宗さんが務めるんですね。あまりやる気のなさそうなMCになんとか盛り上げようとするてっちゃんのコメントという形式でした。予想通りでしたが初めて聞くので新鮮でした。意外とよくしゃべるんですね正宗さん。

正宗さんの歌声はライブでもブレることなく完璧な美しい物でした。

途中で今回が1000回目のライブだと発表がありました。正宗さん曰く数えていたわけでもなくなんだかあまり根拠は無いそうなのですが。毎回1000回って言ってるのではないか?不安になって翌日のスピッツのコンサートに行ったG氏に尋ねたら「今日が1001回」と言っていたそうです。記念すべき公称1000回目のライブに行けてラッキーでした。

「ヘビーメロウ」「冷たい頬」「君が思い出になる前に」「チェリー」「さらさら」「惑星のかけら」「メモリーズ・カスタム」「エスカルゴ」「ロビンソン」「猫になりたい」「楓」「夜を駆ける」「日なたの窓に憧れて」「正夢」「運命の人」「恋する凡人」「けもの道」「俺のすべて」「1987→」「ハチの針」「恋のうた」

1番大好きな「正夢」で涙が止まらなくなっている所で「運命の人」でもう前が見えなくなる位泣きました。アンジェラも大泣き。

あと、「ヒットするとは思っていなかった」との前置きから入った「ロビンソン」。「冷たい頬」「君が思い出になる前に」なんかも聴けると思っていなかったので正に夢心地。

コンサート前に買ったグッズを土産にしました。ゆうかさまには「名前をつけてやるタオル」なおなおには「チャームセット」。自分たちにはTシャツとトートバック。

今後はムダ金になるだろうけどファンクラブに入ってコンサート逃さず行けるようにしようと決意しました。今度のツアーは何年後かなー。

 

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コンサートまでひと月ちょっと

2017-07-17 | スピッツ

  :CYCLE HIT 2006-2017


アンジェラ:ヘビーメロウ、歌うさぎ、1987➡

新しい曲を体に溶け込ませて~

楽しみです

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あぁぁぁぁこんな事があるなんて!!!

2017-06-19 | スピッツ

     :パァァ~

 

アンジェラ:つい先ほど天から突然こんなプレゼントが降ってこようとは

ポケおやじの会社の人から

SPITZ 30th ANNIVERSARY TOUR THIRTY30FIFTY50 17/8/23 (水) 横浜アリーナ

のチケットを2枚頂けることに

ご夫婦で行こうと申し込んだものが2回分(23、24の連日)当たったそうで

23日の分を如何でしょうかと

ポケおやじもあまりのお話に驚嘆

私は腰が抜けそうです~

SPIZのライブのチケットはあまりにもハードルが高くて

さすがのポケおやじも諦めていたんです。

 

 

あんなことやこんなこと、もう何でも頑張れます

神様ありがとう

夢の中にいるような陶酔感。。。このまま「醒めない」で。。。

 

 

 

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 17 『オーロラになれなかった人のために』に潜水!

2017-04-17 | スピッツ

              :このアルバムに込められているもの


このアルバムはミニアルバムなので公式のアルバムに数えられておらず、シングル曲もありません。全てオリジナル曲。スピッツはシングルB面の曲等目立たない所に意味深い曲を置く傾向があるので(我が家の推察)、このアルバムなんて正にその条件を満たすマサムネさんの歌に込めた意味が最も色濃く隠れているのではと我家では判断しています。

マサムネ氏にとって大切な何かが絶対に埋め込まれている筈です。それだけにとても手強そうですが。。。


まず首を傾げるのは『オーロラになれなかった人のために』というアルバム名。曲にも見当たりませんし、そもそも「オーロラ」になるとかならないとか意味が解りませんね。「オーロラ」とは何を指しているんでしょうか。

我家ではこの「オーロラ」という言葉にはいくつもの意味が重ねられているとみています。

ます天体の極域近辺でみられる極光。神話や伝説ではこのオーロラが死者と生者の世界を結び付けていると信じられていたり、エスキモー伝説では生前の行いが良いと死後「オーロラの国」(天国のようなところ)へ旅立つと言われているそうです。死と生を結び付けるイメージがこの言葉にはあるようです。

彼女は「オーロラの国」に行ったのかもしれないし、「僕」はその後を追えず行けなかった人=オーロラになれなかった人なのかもしれません。

それからこのジャケット表紙にある西洋梨の品種のこともオーロラと呼ばれています。未熟なうちは黄緑色で完熟すると黄色い色になります。ジャケット表紙の果実は青っぽいのでまだ若い果実のようですね。これを擬人化して妄想するのなら若者、未成年のイメージともとれます。完熟したオーロラ=大人だとすれば、「オーロラになれなかった人」とはそうなる前に洋梨=世無し(或いは用無しな存在)=この世界からいなくなってしまった若者(=彼女)を暗喩しているように思えるのですがこじつけ過ぎでしょうか。。。


そしてもう一つ、「オーロラ」とは。。。ズバリ「オーロラ姫」!!眠れる森の美女のヒロインです。

彼女はオーロラ姫のように永い眠りから愛する王子様のキスで目覚めることを望んでいたのかもしれません。

でも目覚めないまま逝ってしまった。。。「オーロラになれなかった人のために」とは『オーロラ姫になれなかった彼女のために』捧げられたアルバムと言えるのではないでしょうか。

 

次回に続く!

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 16 猫の正体を暴く(『名前をつけてやる』妄想最終回)

2016-09-28 | スピッツ

    :この猫の正体は。。。



いよいよ今回をもって2ndアルバム『名前をつけてやる』の妄想から解き放たれたいと思います。

アルバムの猫ちゃんの秘密がいよいよ。。。

 

10曲目 『恋のうた』

この「恋」はこれまでの曲の流れで語られているように、普通の恋ではなくどうやらこの世の人ではなくなった彼女に抱いている強い気持ちだということが分かります。もう同じ世界にはいない彼女に対する気持ちは離れるどころか「きのうよりも あしたよりも 今の君が恋しいから」とどんどん加速的に膨らんでいて「ミルク色の細い道を振り返ることなく歩いてる」そんな「おかしな夢ばかり見て」いると繰返しうたっています。「君と出会えたことを僕 ずっと大事にしたいから 僕がこの世に生まれてきたわけにしたいから」自分の存在意義は君(彼女)と出会い君がこの世に存在していなくても今心で感じる君(彼女)に恋をしながら生きることだ、と宣言しているのです。『ミルク色』という表現はその後の曲にもたびたび出てきます。白い道とも歌われたり、何か自身が歩んでいこうとする人生のイメージなんでしょうか。

上記のように冒頭の方にある「だけどここに 浮かんでいる 君の頭の上にいる」という表現以外はかなり素直な解釈が出来るんですが^^;この部分がマサムネ氏お得意のけむに巻く戦法 ただこの歌詞が彼女がこの世の人ではないということを表しているんだとも思います。もう全くの妄想なんですがお付き合いください。この部分のシチュエーションを描くとすれば。。。亡くなって荼毘に付されている彼女はその肉体の上に魂が「浮かんでいる」状態で横たわっていて、その頭の上にある祭壇の前に「僕」がお線香をあげ祈りながら彼女を強く思っている光景なのではないかと。いかがでしょうか。

この「恋のうた」は「僕」の揺るぎないこれから彼女のいない世界を彼女を思いながら(歌いながら)歩いていこうとする『ひばりのこころ』に通ずる誓いの曲、決意の曲だと我が家では捉えています。

 

最終曲 『魔女旅に出る』

もちろん魔女とは彼女のことでしょう。僕にとって彼女は亡くなっても僕を虜にし続ける魔女なのでしょうから。冒頭「ほら 苺の味に似てるよ」とあります。苺の味に似てるとは何なのでしょうね。彼女との最後の別れのキスを表現したのではともとれます。死に化粧した彼女の唇は苺のように紅くそんな香りがしたのかもしれません(また僕の妄想の中でのことともとれます)。この世に存在していた彼女との別れのキスで彼女の旅立ちを静かに見送る決意がついたことを「もう迷うこともない 僕は一人いのりながら 旅立つ君を見てるよ」と歌われています。

そして我が家が注目した歌詞は「手を離したならすぐ 猫の顔で歌ってやる」!つまり僕(マサムネ氏自身?)はここで猫の皮を被って歌うと明言しているのです。このアルバムジャケットの猫、この猫こそ猫の皮を被った僕、いやマサムネ氏自身の姿なんじゃないでしょうか。よし、これでいくぞ!と決意の表情に見えてきませんか?そして裏側の猫はむにゅ~っと引っ張られてまさに化けの皮を剥がされかかっているところに見えてきます笑

『名前をつけてやる』のアルバムタイトルとこの猫が『吾輩は猫である、名前はまだない』のイメージに見事にカモフラージュされていてその巧みさにマサムネ氏のアルバムに対する幾重にも張り巡らされた意味をさらに深追いしたくなってしまします。猫はマサムネ氏の化身なのかもしれません。そしてマサムネ氏自身が我々に見せている姿も真実は別な次元にあって何かを隠すために猫の皮を被って装っているのではと思わずにはいられません。

サビの部分、猫の皮を被って「ラララ」と歌う「僕」に彼女が「泣かないで」「行かなくちゃ」と言っているのではないかと推察しています。猫の皮の下には涙でぐちゃぐちゃの本当の「僕」がいるのかもしれません。でもここは主語が無いのでいろいろな解釈ができる部分ですね。彼女が旅たちをためらっているのを僕が背中を押すように歌っているともとれます。我が家的には最後の「いつでもここにいるからね」もやはり彼女が「いつでもここに(あなたの心の中に)いるからね」と囁いて僕を慰めているように思えるのですが、逆に僕がいつも君を思いながらこの場所(二人の思い出の場所)を守っているよともとれなくもないですね。わざと確信的にマサムネ氏は主語を抜いてこの言葉をおいたのでしょう。真意は彼にしかわからない。。。

「今 ガラスの星が消えても」は彼女の儚い肉体が今この瞬間この世から無くなってもの意に。また、「空高く書いた文字 いつか君を照らすだろう」は僕が彼女のことを歌にした言葉がいつか大きなうねりとなって君がこの世に存在していたことを知らしめることになるだろうと解釈しています。彼女を歌い続けることで彼女は僕と生き続けるということなのでしょうか。

「歪んだ鏡の向こうに 忘れていた道がある」は普通の人には見えない、魔女だけが(或いは僕も)入れる道が鏡の向こうに続いているから「まだらの靴を捨てて」=現生の煩悩を脱ぎ捨ててその道を歩んでいこうと言ってるのかと。

この曲は彼女の旅立ちと共に「僕」も猫の皮を被って歩みだす初めの一歩を歌った曲なのではないでしょうか。



以上でひとまず、『名前をつけてやる』の妄想の海から這い出ようと思います。危うく溺れそうになったり深海へ引きずり込まれたままになるのではと思いながら必死に妄想しまくりました。拙い妄想にお付き合い下さりありがとうございました。

また次作のアルバムにも細々と挑戦してみたいと思います。

 

 

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 15 「あわ」でカミングアウトしていること

2016-09-07 | スピッツ

    :2ndアルバム『名前をつけてやる』より



いよいよ我が家の妄想の極み節をお聞かせするときがきました。

この妄想無しではスピッツを深く味わえないとさえ我が家では感じています。

皆さんが受け入れられるか否かはお任せいたします。

 

9曲目『あわ』

この曲こそが「僕」の秘密をはっきりと告白している、といったら驚かれるでしょうか。

我が家はこの曲の意味がわかった時(あくまでも妄想ですが)戦慄しました。そしてスピッツ曲のいくつかの不可解な謎が氷解したのです。

それでは、心して。

歌詞の通り妄想していきます。

「こっそりみんな聞いちゃったよ 本当はさかさまだってさ」彼女が僕に言っていたこと、それは逆さまのことだった。。。何がさかさまだったなのかは語られていませんが、恐らくその後に「小さな大きなまなざしは 空に抜けていった」とあるので彼女が生前、自身の病状のことを僕にはもっと軽く伝えていたのかもしれないですね。すぐ良くなるから待っていてねと言っていたのかもしれません。彼女はうそぶいたまま空にのぼっていってしまった。

そしてすぐ次に「すぐにショーユのシミも落ちたよ ほら びっくり大笑い」と素っ頓狂な歌詞とメロディーが。ものすごい違和感を感じませんか?食卓にある醤油をこぼして服にでもついてしまい、それが直ぐに落ちたからといって大笑いすることでしょうか。この「ショーユのシミ」とはショーユのような色のシミ、つまり血痕なんじゃないかな、と我が家では妄想しています。彼女の死のあと、僕も何らかのアクションを起こしたとしても不思議なこととは思えません。ファーストアルバムでも自殺願望があったことは十分推察出来ました(とんび飛べなかった等)。僕自身を傷つけた痕跡がシャツなどについていて落ちないと思い込んでいたのにあっさり落ちてしまったことに驚いたのではないでしょうか。日が浅ければ血液は水溶性なので洗濯すれば落ちてしまいます。「びっくり 大笑い」とはあっけなく自分の決意(彼女の後を追う気持ち)がシャボンのあわに溶けてしまったことに重ね、自分の中途半端な行為を自身であざ笑ったのでは。

さらに「あわになって溶けだした」という言葉にもう一つイメージを重ねられるのはアンデルセンの人魚姫の最後、あとオズの魔法使いの魔女の死などが浮かびます。人魚姫は愛する人を殺すことが出来ず魔女によってかけられた魔法で海の泡になってしまい、オズの魔法使いはドロシーに誤って水をかけられ泡になって消えてしまいます。彼女を魔女、あるいは魔法をかけられた少女に見立てて重ねているようにも思えます。何をかいわんや、このアルバムの最後の曲は「魔女旅に出る」ですし。

つまり雨の朝、「あわ」になって溶けだしたのは僕でもあり彼女でもあるように思われてなりません。

 

「寒いな畳のにおい」以降のシチュエーションを妄想していきます。これは彼女の葬儀が終わった後日、彼女の実家に訪れ畳の部屋(祭壇がある部屋)に通された場面から始まると我が家では妄想しています。「優しい人やっぱりやだな しっかりなんてできないけど 僕はここにいた」恐らくですが彼女の家族から「娘からお優しい人だったと聞いています。これからあなたはしっかり生きていって下さいね」などと声を掛けられたことに対しての思いなのかなと。「僕」のことを彼女は家族に「彼氏」ではなく「優しい人」と紹介していたのかもしれません。それが「いやだな」と素直に思ったのでしょう。今さらながら彼氏でありたかったな、と。

そしてまた「でっかいお尻が大好きだ ゆっくり歩こうよ」と素っ頓狂なメロディーと不明な歌詞が畳みかけるように続きます。「わざとがっかりしたふり かごの中 誰も見ちゃいないさ」。。。これは一体何なのでしょう?実はここからがこの曲の真髄なのです!!

さあ我が家と一緒に妄想全開にして下さい!!OKでしょうか?

僕の中で明らかにスイッチが切替わった、あるいは今日彼女の家を訪れた真の目的を果たす時が来たのです。

祭壇には焼かれて間もない彼女の御骨が骨壺に。「僕」は「ガッカリしたふり」をしてゆっくりその骨壺に近づきます。家族も見ていない時だったのかもしれません。「僕」はかごの中、つまり骨壺の中から「機関銃を持ち出し」たのです。機関銃とは紛れもない彼女の骨です。僕は確信犯だったんでしょうか!機関銃のような尖った骨だとすれば尾てい骨なのかもしれないですね。「でっかいお尻」に暗喩されています。尖っている=スピッツ!!なんという偶然?「僕」はそれを持ち出して「飛行船をおいかけた」=「空に抜けていった」彼女を追いかけ始めたと歌っているわけです。

この妄想はいかがでしょうか。「僕」は密かに彼女の骨を持って生きているのです。この曲の歌詞が載っているページのイメージ画は魚の化石の絵!この曲でさらりとカミングアウトしているんです、マサムネ氏はすでに。

 

驚かれましたか?我が家はみんな背筋が凍りそうになりました><「僕」の狂気の源泉はこの曲の中に詰め込まれていたのです。

 

このことを踏まえると『惑星のかけら』の「骨の髄まで愛してよ 惑星のかけら~」の歌詞も納得、「かけら」とは彼女の骨の隠喩なのでしょう。『クリスピー』に至ってはこれも骨のことだとすると「クリスピーはもらった」のサビの歌詞も「もらった」=奪ったとすれば大納得、さらに「ちょっとチョコレートの ちょっとカスタードの ちょっとチェリーソースのクリスピー」というのには骨の色のことを暗喩していると思われ、ブラックだなぁとマサムネ氏のお尻から悪魔のしっぽがでているような気持ちにさせられます。この曲をアップテンポで可愛いと思われている方がいたら私は手の平を前で合わせてしまうでしょう^^;スピッツ曲にはこんな衝撃的なことが用意周到に隠されているのです。

改めてスピッツ曲は甘く優しく心地よい音楽を我々にプレゼントしてくれているわけではないのだと。

私は「あわ」にアワアワさせられて妄想の海で溺れそうになりましたー(;'∀')受け入れられない方もいるかと存じます。でもやはりこの妄想無しではスピッツ曲が成り立たないと我が家では考えております。

 

さて次回は「恋のうた」と「魔女旅に出る」、このアルバムの表紙の謎にも迫ってみようと思います!

 

 

 

 

 

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 14 幻はどっち? 

2016-08-03 | スピッツ

    :2ndアルバム「名前をつけてやる」に潜水中



最新アルバムのタイトル曲『醒めない』の中でも

「まだまだ醒めないアタマん中で…」と歌われているように

我々が感じている現実が彼(歌の中の僕、あるいはマサムネ氏自身?)にとっては夢の中なのか。。。そんなことを思ってしまいます。

初期のこのアルバム(2ndアルバム)の中にもさりげなくその真意が垣間見れる歌詞が埋め込まれているのを発見しました。

というか我が家ではそう解釈して聴いています。

 

7曲目『胸に咲いた黄色い花』

ずっとこの曲は何気なく聴き流していていたんですがある時ポケおやじが「この曲、『明日になればこの幻も終わる』ってあるけど『この幻』っていうのは歌の中の『君の心宿した花』が僕の胸に咲いたことが幻というんじゃなくて「僕」にとってこの彼女がいない世界のことを幻って言ってる気がする」つまりこれまでの彼女の消えてしまった世界こそが幻なんだということではないかというポケおやじの指摘でした。

確かに『このまま僕のそばにいてずっと もう消えないでね』と胸に咲いた黄色い花に何度も念を押しているのに『明日になればこの幻も終わる』っていうのはすごく違和感が。そして『君と笑う みんな捨てて』とも言っているので「君と一緒にいること」=「みんなのいない世界」ということに。

それではこれは君のいないこの幻の世界(現生)を捨てて君の所へ行くという自殺前の歌なのではと優しいメロディーラインにのせて何て恐ろしい事を歌っているんだ~と家族でその狂気に震撼しました。ただよく聴いてみると『君と笑う みんな捨てて』の後に『街の音にもまれながら』、とあるので完全にこの世を捨ててということではなく我々が感じているこの現実の中にいながら二人だけの世界を感じて生きていこうということなのかもしれません、っていうかせめてそうであって欲しい。

だとしても。。。彼女の化身である黄色い花を胸に抱いて今生を生きていくことが幻でない彼の世界というのなら、彼の目に映っているこの世界は。。。幻の海なんでしょうか。そして僕と君が再び出会う時こそが本当の世界。

思いのほか深い迷路に誘い込まれてしまいました。

 

8曲目『待ち合わせ』

『そして君は来ない 百万年前に約束した場所へ』気の遠くなるような時間を超えた約束。でも約束した場所は『待ち合わせの星』。宇宙スケールでいうならば百万年なんて一瞬の時間なのかもしれません。『飾りのない恋 ドロドロの』すごくリアルな表現に苦しくなります。でもその流す涙は澄んだ水のように君との日々を映し出している。。。その星は何処に、彼女とどんな約束の言葉を交わしたんでしょうか。


次回はこのアルバムの中で一番ショッキングだった『あわ』にブクブク潜っていきたいと思います。なぜショッキングだったのか。。。歌詞カードの化石のイメージがまさにこの曲に重なってしまったんです。我が家の妄想にたぶん驚かれることだと思います。

それではまた。

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待ちに待って☆

2016-07-28 | スピッツ

    :スピッツ 『醒めない』 

 

アンジェラ:昨日27日発売日に我が家へ

是非大音量でじっくり聴こうとポケおやじ案で

夜、近くにある畑に囲まれた迷惑のかからないところに車を止めて二人で聴きました。

 

昭和のサウンドを意識して払拭したようなテンションの高いアップテンポな曲が多い印象でした。

これからじっくりと聴き込んでいきたいです

 

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 13 『プール』 とは?

2016-07-06 | スピッツ

      :2nd アルバム『名前をつけてやる』

 

マサムネ氏の歌詞にはよく主語や状況が抜かれていて、言葉が連なるイメージだけに泳がされてしまうことがよくあります。それはマサムネ氏が用意周到に仕掛けた魔法だと我が家では考えています。歌の中の「僕」(あるいはマサムネ氏自身?)は公衆にアピールしているイメージとはかけ離れたもう一つの世界に身を置いているように感じるのです。それは美であり狂気であり苦しみであり快楽でもある世界。。。

 

6曲目 『プール』

題名の『プール』ですが歌詞の中には出てきません。学校にあるようなプールを想像してしまいがちなのは「夏」、「水しぶきはね上げて」「バタ足」「泳ぎだす」の言葉が挿入されているからでしょう。一見、君と会った夏を思い出している爽やかな曲のように感じてしまいますが本当にそうなのでしょうか。

出だしのところは会えた彼女と「ねっころがって くるくるにからまってふざけた」様子だと捉えれば、蜘蛛のイメージと重ね合わせていて(蜘蛛の足の数は僕と彼女の手足の数と同じという推察がネットに出ていました)、本当に甘美で素敵な表現だなと思います(ちなみにこの歌詞のイメージ画はタランチュラのようですね。ここにも何か秘密があると思い頭をひねりましたがまったく解りませんでした)でもその後の「風のように 少しだけ揺れながら」は「くるくるになってからまってふざけた」という動きのある表現とは少し異なる違和感を覚えます。

「風のように 少しだけ揺れながら」とは誰(何)のことなのか。よく考えると「ふざけた」とはあるけれど「ふざけ合った」とは言っていない。もしかしたらふざけていたのは「僕」一人!?ともとれなくはないですね。風のようにということは見えなくて存在しているもののことを言っているのだとしたら、蜘蛛の糸にぶら下がっているような僕を風のような存在になってしまった君が揺らしたということなのか。。。そうなると「君に会えた」というのは一体いつの君なのかという疑問が沸々と。。。昔を思い出してなのか、今生きている君に会えたのか、それとももう動かない君を目の前にしているということなのか、すでにいなくなってしまった君が夢、あるいは僕の妄想の中に出て来て会ったということなのか。

その後の歌詞にも死の世界の匂いが感じられます。

「街のドブ川にあった」から喚起させられるのは火葬場、葬儀場。そこから「笹舟に乗って流れた」ということなのでこの世の儚い乗り物にのって(棺)「霧のように かすかに消えながら」と捉えられます。また「独りを忘れた世界」=孤独という意識のない世界=現世ではない世界とすると、そういう世界から開放されてのびのびと「水しぶき はねあげて」これまでとは違った「大きな姿」で次なる世界に「泳ぎだす」君を僕は見たのではないでしょうか。そんな世界に「白い花降りやまず」とあります。今生との別れの花が彼女の旅立ちを祝福しているかのように。

上記のような妄想の世界でこの『プール』を泳いでみると、果たしてこのプールとは、彼女との記憶のプールともとれるし彼女と会える場所、時間の淀みのことを暗喩しているように思われてならないのですがいかがでしょうか。

 

なかなかこのアルバム(『名前をつけてやる』)も恐ろしく難解な曲揃いで妄想がないととても消化できるものではありません。当時これを聴いただけのファンは何を感じていたのか不思議になります。今だからやっと解きほぐされていく本当のスピッツの姿、初期のアルバムこそ危険で美しい宝石が散りばめられていると確信しています。次回曲以降、ますますハードに、そして真髄に近づいていくことになりそうです。

ご興味のある方、是非一緒に妄想をフルスロットルで

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スピッツのニューアルバムがもうすぐ!

2016-05-28 | スピッツ

      今日のあやゴコロ:まだまだ。。。

 

ポケおやじ:スピッツのニューアルバム「醒めない」が7月28日に発売されるそうです。

「醒めない」 もうこのアルバム名はイメージ通りというか。我が家では早くもこの「醒めない」は誰が何に「醒めない」のか妄想に熱くなっております。

さてスピッツ。大規模なツアーも決まったようなのでファンクラブに入会しようと思ったら、後出しはお断りらしく現在ファンクラブに入っている人しかチケット抽選対象にならないそうです。

で、ネットで調べたらどの道ファンクラブに入会している人でもチケット当たらないみたいですね。こりゃ見ることはかなわないな。近年は発売当日でも確実にチケットが取れるスタレビのコンサートしか行ってなかったから。

その圧倒的な人気に目が醒める思いでした。

 

アンジェラ:ポケおやじの何かが発動したらしく、明日から我が家にはわんさかこれまでのスピッツのコンサートのブルーレイやDVDが届くようですブルーレイは我が家では見れないのでは?とポケおやじに聞いたらブルーレイも買ったとのこと何があったポケおやじ超嬉しいですけど。。。大丈夫覚醒しちゃったか

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 12 『鈴虫を飼う』 『ミーコとギター』

2016-05-25 | スピッツ

2016/04/26 に公開

41st single 『みなと』
発売日:2016年4月27日

スピッツ / みなと

 

4月に新曲『みなと』をリリースしましたねこの曲は聞けば聞くほど、昔から一貫としてマサムネ氏が歌に込め続けているものがより削ぎ落とされてストレートに歌われていると感じました。それだけにせつなさもひとしお(涙 『我が家の妄想☆スピッツ』で1stアルバムから辿っていく意義がますますあるな、と感じました。マサムネワールドにもっと深く、少しでも近づきたい!その思いだけで難攻不落のスピッツ曲に妄想全開で迫っていきたいと思います

前回より大分時間が空きましたが引き続き2ndアルバム『名前をつけてやる』をじっくり潜水していきたいと思います!

 

4曲目 鈴虫を飼う

鈴虫を昔我が家も飼ったことがありました。ひと夏夜毎に鳴き声が家中に響き渡り、うとうとしながら清らかな呼び鈴の音が呼応するような音色に包まれていると『ゆめうつつ』幻想的な世界に誘われているような不思議な気持ちになります。

冒頭『天使から』という歌詞をおいているわけですが、なんとなく彼女の存在がもうここ(この世)にはないことを暗喩しているように思えますがどうでしょうか。

儚げに一生懸命に鳴く鈴虫が鳴く夜、『僕』ののどぼとけも揺れて。。。『一人きり ゆめうつつの部屋』の囲われたゲージのような中で鈴虫の音に溶け込んで、一人きりになってしまった寂しさ、彼女に会いたいおもいが溢れこらえきれず膝を抱えて嗚咽する姿が浮かび上がります。

綺麗な幻想的な空間とは対照的に『乗り換えする駅で汚れた便器に腰かがめ そいつが言うように見つけた穴から抜け出して』『油で黒ずんだ舗道にへばりついたガムのように 慣らされていく日々にだらしなく笑う俺もいて』というとてもエグイ歌詞にハッとさせられます。

まだ何とか彼女と会える方法があるのではないかーそれは誰も見向きもしない忌み嫌われる場所からこそ聞こえてくる悪魔的な方法でもしかしたら。。。と本気で考えている彼の中に潜む狂気が顔を出しているのが分かります。また誰かが唾棄したであろう道端にへばりついたガムに自分をなぞらえて、その情けなさを思いっきり嘲笑している歌詞から、この世界に残された深い悲しみが伝わってきます。

 

5曲目 『ミーコとギター』

「ミーコ」とは誰なのか、「ミーコの彼は彼じゃない」とは何なのか、「大きな゛パパとミーコ゛のようなギター」とはどういうことなのか

全くなんのヒントもなく聞けば聞くほど頭がぐるぐるしてきます。とてもミステリアスな曲の一つです。

まずミーコなんていかにも猫の名前のようですね(表紙の猫ちゃんともオーバーラップしてしまいます)。彼女の名前は愛称でミーコと呼ばれる名前だったんでしょうか。唐突で申し訳ないのですが、ひとつひっかかるのはスピッツ曲に三日月という言葉が結構使われていること、後の三日月ロックの中の『ミカンズのテーマ』なんかも合わせてこじつけで妄想したんですが、三日月=ミカズキ=みか好き。。。ミカンズのテーマに於いては『甘くてすっぱい』なんて歌詞があるのでミカンのことかな、などと思い込まされてしまいますが、じつはミカを思うバンドだからミカンズなのでは。。。!なぁんてことはどうでしょうかね。彼女の名前はミカ!これは全くの妄想ですが、ミカ→ミーコ何となく。。。

さてミーコは強い声で歌いぎこちなくギターを弾く女性のようです。『だけどはかない』は妄想ですがこれまでの曲の内容から推察して儚い声ということではなく儚い人だったのではと思います。そんなミーコに『僕』は本当は自分に憧れて欲しかったけれどそれは叶わず、彼女に憧れの気持ちを抱き続けているようです。この彼女に対する『憧れ』という表現はその後マサムネ曲の中に繰り返し出てきますのでやはり亡くなってしまった『彼女』のことなのだと。

ミーコには表向きの彼がいるようです。でも彼はミーコの本当の彼じゃない、誰も知らないことのはずなのに主人公はそれが誰なのかを知っているかのような口ぶりです。『いつかは二人で幸せになりたかった』とは『僕』と『彼女』が、という主語がくるのでしょうか。そうだとすればミーコの本当の彼は『僕』。。。ということを匂わせているように思えます。でも思い描いていたようには幸せにはなれなかった。。。それは彼女が亡くなってしまうと考えれば合点がいきます。

そして彼女がいなくなっても手垢まみれのギターを弾き続けているというのは、この手垢まみれのギターにミーコとの思い出があると考えればどうでしょうか。たどたどしく弾いていたのはミーコが『僕』のギターを弾いていたからに違いないと思われます。誰にも知られず彼女が僕のギターを弾いたり、歌ったりした密やかな時間があったと考えられます。

それでは、「大きな゛パパとミーコ゛のようなギター」とは何ぞや?もうこれは独断的な妄想だけなんですが、大きな(君との思い出の詰まった)ギター、それはあの頃のミーコからしたら今の自分はそのお父さん(パパ)位の歳だけれど、ギターの音色に君の歌声を重ねてずっとずっと歌って行くよ。。。

すみません妄想全開です、が、我が家ではそんな風にこの歌の絵を心に描いて聴いております。

 

それでは切なさに震えながらまた次の曲に潜っていきたいと思います。

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 11~「名前をつけてやるは」誰の名前をつけるのか

2016-04-20 | スピッツ

       :オレはだれニャ?

 

表題曲でもある「名前をつけてやる」これはストレート勝負に来たなという感じがしました。

表紙は意志をもった毅然とした感じのねこちゃん。思わず「我輩は猫である。名前はまだない。」といっているような世界観に引き込まれてしまいます。

でも名前がつけられるのは拾い猫だけ、じゃありませんよね。

猫を表紙に出すことで「名前をつけてやる」の本来の意味が隠されていると我が家では考えています。

普通人間が名前を付けられるのは生まれてきたときで、名前を付けるのは親です。

その前提でこの曲を妄想してみました。

 

3曲目 表題曲『名前をつけてやる』。。。

サビを見ると

「~名前をつけてやる 残りの夜が来て むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て 名前をつけてやる 本気で考えちゃった 誰より立派で 誰よりもバカみたいな~」

これはもうストレートに彼女と体を重ねたい思いが限界まできていて、子どもができた時のことまで真剣に考えてしまっている心情を素直に吐露しているんだと思います。

しかし「回転木馬回らず 駅前のくす玉も割れず無言の合図の上で 最後の日が今日だった」と。

「回転木馬」とは同じ場所をぐるぐると回り続ける玩具ということから、二人にとって夢のような時間が永遠に続くことを暗喩していると考えると、もっと広義でいえば生命の輪を繋ぎ続ける意味まであるのかもしれません。それが叶わなかった。

「駅前のくす玉も割れず」は駅前のくす玉が割れる時とはどんな時かを想像してみると、駅が開通した時かなと。つまり彼女と「通じなかった」ので割れなかったの意味なのだと解釈しました。

そして「最後の日が今日だった」といっています。彼女とそういう関係をもてる最後のチャンスを逃してしまった。。。「最後の日が今日だった」とはこの先彼女が消えてしまう、会えなくなってしまったところから遡って後付で悔恨の念を抱いているのか、その時に彼女が病気か何かで入院しなければならずその残された日がその日だと分かっていた上で嘆いているのかは分かりません。

とにかく思いは果たせなかった。。。もう二度と。ものすごくやるせない切ない思いがひしひしと伝わって胸が熱くなります。

彼女との子どもを本気で作りたかったのでしょうね。そうすれば彼女の命は繋がっていくのですから。。。

今とはまた違った若いマサムネさんの声がストレートに胸に響く曲です。

 

では名前をつけてもらってないこの表紙の猫ちゃんは果たしてカモフラージュだけの存在なのか。。。

それはまたこのアルバムに潜りきったあとで分かってきます。

意味のないことなど無いんだとスピッツに触れていると感じます。

 

それでは次回からも曲順に妄想全開でがんばります^^

 

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 10~『ウサギのバイク』と『日曜日』

2016-03-30 | スピッツ

                  :2ndアルバム

 

いよいよ2ndアルバム『名前をつけてやる』の難曲に妄想を働かせます

 

『ウサギのバイク』と『日曜日』の歌詞が書かれているページには白い猫のぬいぐるみが横たわっています。まるで今しがた落下しその命を潰えたかのような、あるいは燃えている(燃やされている?)ような不穏なイメージに受け取れるのですがいかがでしょうか。人形であることでカモフラージュされていますがぬいぐるみの無表情さがかえって意識を失った人、あるいは死人を連想させます。

さて『ウサギのバイク』も『日曜日』もそんなことを感じさせないような爽やかで元気なメロディーラインで歌われています。この不穏なイメージ画との違和感がなんとも引っかかるわけです。

1stアルバム『スピッツ』の流れを我が家なりに妄想したものをもう一度引っ張ってみます。

《家族で辿り着いた1stアルバムの構成、流れ》

彼女と過ごした時間(彼女と体を重ねた時)の記憶、思い出

「ニノウデの世界」「海とピンク」

彼女の死

「ビー玉」「五千光年の夢」「月に帰る」

葬儀

「テレビ」「タンポポ」

彼女との逃避行の思い出、僕の自殺願望あるいは未遂

「死神の岬へ」「トンビ飛べなかった」「夏の魔物」「うめぼし」

彼女の死を受け入れながらのもがきと生きていく術を得るに至る

「ヒバリのこころ」

 

 

ということで「彼女の死」にまつわることが1stアルバム同様、このアルバムにおいても歌われているに違いなく、そこを意識して潜水していきたいと思います。

 

1曲目『ウサギのバイク』。。。

「ウサギのバイクで逃げ出そう 枯れ葉を舞い上げて 優しいあの娘も連れて行こう 氷の丘を越えて」

「ウサギのバイク」とは何なのか、はっきりしたことは分かりませんが彼女も一緒に連れて行こうと歌われているので「僕」が彼女とどこからか逃げ出す手段に使う乗り物なのでしょう。ウサギというと「不思議の国のアリス」を思い出しますね。アリスはウサギに誘われるようにして不思議の国に入っていきます。この時アリスは夢の入り口、つまり夢うつつの状態だったとすると「脈拍のおかしなリズム」という部分から彼女に置き換えてみると、もしかしたら彼女が生死を彷徨っていた時、というふうに妄想することはできないでしょうか。「僕」が物語の魔法に仮託して自分がウサギになって彼女を死の世界から引離そうとしているように思えます。後の曲「春の歌」等でも彼女が春を待たないで枯れ葉の季節頃に亡くなっていることが覗われます。

「今にも壊れそうな ウサギのバイク」の儚さ、脆さが実際の逃避行とは違う何かおとぎ話のようなイメージを喚起させる曲です。

「彼女」が病か何かに倒れた、あるいは危篤状態になった時のことを歌っているのではと想像してみました。

 

2曲目『日曜日』。。。

「日曜日」とは恐らく重要な曜日であるとみています。後の曲「運命の人」でも冒頭で「バスの揺れ方で人生の意味が 分かった日曜日」とあります。我が家の妄想ではスピッツ曲の『バス』というキーワードは救急車やタンカー、霊柩車の隠喩ではと考えています。実際「運命の人」のPVではタンカーで病院か解剖室かに運ばれた死人をメンバーが演じてますよね。「日曜日」とは彼女が倒れた、あるいは危篤状態になった、もしかしたら亡くなった日なのではないでしょうか。「晴れた空だ日曜日~」と高らかに歌っていますがこの日曜日は彼女の身に何かが起こった日なのでしょう。

「戦車は二人をのせて」とありますが「戦車」とは何なのでしょうね。戦車に二人が乗り込んでではなく戦車が主体的に二人をのせている、ともとれる表現です。その「戦車は唾液に溶けて」しまうようです。つまり何者かに飲み込まれてしまう。途中にはうたた寝をしている鬼の群れもいると書かれています。そこからさらに「骨の足で駆けおりて幻の森へ行く」とあることから「幻の森」とはメルヘンチックな場所ではなく、もしかしたら「あの世」なのではと思い当たりました。つまり「戦車」はあの世の入り口まで運ぶ装甲した車=霊柩車なのでは。。。それとも彼女を運ぶ棺のことを言ってるのか。。。我が家の妄想です、あくまでも。でもどうでしょうか。

彼女と「夢で手に入れた魔法」で「幻の森」に行くのではなく、「蜂になろうよ」と言ってるように思います。「淡い記憶の花」とは二人の短くも思い出の詰まった蜜月では。その蜜(月の記憶)のある花をさがしに蜂になろうと。蜂になればあの世に行かず離れ離れにならずにすむと夢の中で「ほら吹きカラス」に言われたのかもしれないですね。

気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが「色白 女神のなぐさめのうたよりも ホラ吹きカラスの話に魅かれたから」 の歌詞の直後に魔女の(ような)狂気に満ちた笑い声が入っています。ホラ吹きカラスとは色白の女神とは対称にある魔女の使いのような存在なのかもしれません。この歌詞の部分はとても興味深いところで、「僕」がこの「彼女」と再び会う、復活させるための方法として、天使(色白女神)でなく魔女に頼る方法を選んだ という意志を決定した場面なんじゃないかと思えます。確かに死者復活は神より悪魔の専売特許でしょうから。後の曲でも「黒い翼」「夢追い虫」は悪魔の道を選んだことをを歌っていると(我が家では)考えていますが、それはまた後日。

 

初めとても違和感のあった『ウサギのバイク』と『日曜日』、この二曲と猫のぬいぐるみの不穏なイメージが我が家では見事に重なってしまいました。

2ndアルバム『名前をつけてやる』も決して一筋縄ではいかない難曲ぞろいのアルバムです。マサムネ氏の真意が複雑に隠されているな、と迷宮に入った気分です。次回は表題曲『名前をつけてやる』を思いっきり妄想します!

 

 

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我が家の妄想☆スピッツSTORY 9~2ndアルバム「名前をつけてやる」に潜水☆

2016-03-16 | スピッツ

      :我輩は猫である。名前はまだ無い。

 

我が家の妄想力を全開にしてセカンドアルバムの謎に迫りたいと思います! 

まずはアルバムタイトル「名前をつけてやる」(表題曲は3曲目に入っています)。

これはストレート勝負に来たなという感じがしました。

ご覧いただいての通りの表紙。何か決意したような表情の猫ちゃんと

裏にはウニュ~ッと伸ばされている猫ちゃんが。

何かを意味しているような、してないような。。。

一見するとアルバムのタイトルと相まってこの猫ちゃんの名前をつけるのか?などと刷り込まれてしまいます。

でも名前がつけられるのは拾い猫だけじゃありませんよね。

では一体何に『名前をつけてやる』のか。

これについては表題曲(3曲目)で妄想を働かせて見たいと思います。

猫を表紙に出すことで「名前をつけてやる」の本来の意味がうまく隠されている、そう我が家では確信しています。

そして裏の伸ばされた猫ちゃんの意味もちゃんとこのアルバムで語られているのです。

???な言葉、違和感のあるところにこそ何かある!

ファーストアルバムで語られた『僕』と『彼女』の物語は

このアルバムでもパラレルワールドのように新たな色彩を放ちつつ

さりげなくギョッとするような衝撃的なキーワードが埋め込まれていました。

『僕』の、あるいはマサムネ氏の狂気の世界の美しさに魅せられながら

難曲ばかりのアルバムでかなり未消化ですが

次回から我が家なりにこのアルバムの真意を探っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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