あややの家

あややとその家族のつれづれ

ポケおやじのこだわりメガネ/映画を2倍楽しく観る方法

2018-09-13 | ポケおやじのこだわりメガネ

  :バベットの晩餐会より


ポケおやじ:「バベットの晩餐会」を見ました。テレビでやってたので。

面白いとの噂を聞いて一度見たいなとは思っていたのですが、機会がなく見逃していました。

1987年の映画なんですね。噂を聞いてから30年近く経っている事に驚きました。

デンマーク映画…。

デンマーク映画で見たことあるのってシドニー・W・ピンク監督イブ・メルキオール脚本という「巨大アメーバの惑星」コンビが再タッグを組んだ1961年のデンマーク観光怪獣映画(!)「冷凍凶獣の惨殺」しか思いつかない。あれは深夜テレビで見たが見事なC級映画だった。

 で「バベットの晩餐会」アンジェラと見ました。

日本で言うと幕末から明治にかけてのデンマークの寒々しい海辺の集落の敬虔なカソリック伝道姉妹のお話なんですが、思わぬでも些細な事件が描かれます。

大きな物語もなく、監督も役者も公開された時は取り沙汰されたのだろうけど主演のステファーヌ・オードラン以外は日本での知名度は30年経った今日でも薄いと思います。

それらがかえって、空気を醸し出しているんですね。宗教画を思わせる映像の美しさも相俟って。その時代のその場所に放り込まれ、その時代の人々の状況を実際に見ているような。

 

そしてこの作品のテーマ「幸せとは。人は何によって生きていくか。」が浮き出すように描かれます。

それはとても印象深い物なのですが、それ以外にも印象に残ったものがいくつかありました。

 

たとえば海辺の光景ですね。「そこのみにて光輝く」の函館の海辺も凄かったけど、デンマークの海辺生きていけないくらい凄く殺伐としている。以前だったらそこで興味は終わっていたと思うのですが、今なおなおがベルギーにいて、デンマークの海と同じ海に面したガイドブックで見たベルギーのマリンリゾートが殺伐としていたのに思い当たりました。

バベットが逃げてきた時期の革命。「時期的にナポレオン3世がらみかな」第二帝政崩壊とパリ・コミューン革命でしたね。なおなおを世界史の勉強で教えた所だから推測がつきました。

人間30年も経つと映画も少し違った部分が気にかかるようになります。そういう自分の生きてきた人生と引っ掛かりどころがあると映画が映画の枠を超えぐっと生き生きしてきます。

色々と「バベットの晩餐会」は満足度の高い映画でした。このような映画は10年20年と年をとってから見ると楽しさ更に倍増かもしれません。程よくお年を召した方にお勧めです。

 

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ポケおやじのこだわりメガネ/スタンド・バイ・ミーの線路の上の鹿の正体は?

2018-04-09 | ポケおやじのこだわりメガネ

    :後からじわじわきます

 

ポケおやじ:昨日の続きです30年ぶり位に見る映画「スタンド・バイ・ミー」。

まず、大人がダメな街という設定に前回は気が付きませんでした。1000人位の皆顔見知りの田舎町、そこからの脱出の物語。

3日前から行方不明になっている少年が、30キロ先の森の奥で列車に跳ねられ死体のまま野ざらしになっていることを知った主人公達4人組は、親に偽って死体探しの冒険の旅に出掛けます。

車が使えない主人公達は、遠回りの車道ではなく近道の線路沿いを進みます。人生とは悪い兄たちのように人の作った道を消費するよう自動車で突っ走るのではなく、道は自分たちで作り自分たちの足で歩いて行かねばならないと暗示されています。どのみち人生(道)の最後には死(死体)が待っているのですが。

道を切り開くことでしかここからは抜け出せない。この街でその事に気づいているのは主人公と1番の親友と死んだ兄貴だけだったということです。

で、線路の脇で野宿した4人組、早朝そこで主人公は自分だけ鹿を見ます。

 

線路の上の鹿。 死に繋がる線路=人生 でしょう。では線路の上に現れる鹿は何でしょう。角の無い鹿なのでメスなのだと思います。人生の上に現れる女性=それは一生の伴侶でしょう。

主人公はその鹿を1人っきりで見ます。横で寝ている自分の全てを分かってくれる最高の親友さえも起こさずに。そしてその事は大人になって作家になっても人生最高の親友にさえ言わなかったのです。 何故?。

それは友情と愛情は一緒には存在できない物だからです。自分だけが鹿を見た秘密が友情を傷つける物だと12歳の主人公は無意識に気が付いていたのです。

だから、親友が死んでから初めて主人公は鹿にあった秘密を物語ったのです。

 

こじつけに思う方もいると思うので、もういくつか傍証を挙げると。

この映画には未婚の女性が出て来ません。女性が出てくると人生最高の親友の話がぼやけてしまうからでしょう。

最後に8、9歳位(?)の主人公の息子(双子?)が2人出てくる、その後家族でドライブに出かけるが奥さんが一切登場しません。奥さんが出てくると、主人公が語った人生最高の親友の話が台無しになるからです。

終盤に主人公が最後に親友にあったのは10年前になるというセリフが出てきます。8、9歳位の息子がいるので、主人公が友人に最後に会ったのは主人公の結婚式でしょう。

30年前には意識できなかったけれどあの旅は、必ず来るべき友情の終焉を暗示する物語なのだと、今回見直すことで気付かされました。

 

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ポケおやじのこだわりメガネ/スタンド・バイ・ミーの線路の道は何の象徴か

2018-04-08 | ポケおやじのこだわりメガネ

    :久しぶりに見返して

 

ポケおやじ:スタンド・バイ・ミーを観ました。前に観たのはテレビ初放映の時だったかもしれないので30年位前になります。

当時大学生だった私はスティーヴン・キングなのに何も大事件が起こらない話にビックリしました。正直味の薄い感じで面白いとは感じませんでしたね。

で、原作は「恐怖の四季」の中に収められた秋の物語「死体」。これまたさっぱり面白くなかった。

大体スティーヴン・キングの短編は私の性に合わないらしくて数冊読んで面白く感じたのは無かった。短編を原作にした映画「ミスト」なんて、どうやってあの原作を2時間の映画に出来るのか想像がつかない(映画は観ていないので…)。話の運びに寄り道が多く落ちが無いのが合わないのでしょうか。

でも、会話の端端が結構面白い。ダサい物のたとえにシュリッツのビールみたいなものだみたいなセリフがあって、数年後近所の量販店でシュリッツのビールが100円で売っていて箱買いして飲んでみたら普通に美味かった。

まあ、作品としては今一つな印象を持っていたスタンド・バイ・ミーですが、何となく気になっている作品でした。DVDを手に取る機会があってもう一回見てみようと思ったわけです。

まあ色々感じる所がありましたね。

まず、大人がダメな街という設定に前回は気が付きませんでした。1000人位の皆顔見知りの田舎町の止まった時間空間の中で親も含め腐っている。そこからの脱出の物語。その中で死んだ主人公の兄貴以外の兄の世代も同じように腐った大人への道へ進んでいってしまっている。

そして主人公達の未来は悪い兄貴達や大人のようにダメな大人になる事しか道が無い。人生のように一本道しかない田舎の道を人の家のポストをバットでぶっ壊しながら車で突っ走る兄たちの生きざまがそれを象徴しています。

死んだ主人公の兄貴はフットボールの名選手でした。1957年高校生が貧困にあえぐ炭鉱の町の退廃した中から必死で抜け出す様を描いた実話小説「ロケットボーイズ」(「遠い空の向こうに」の題で映画化されている)でも兄貴が高校のフットボールの名選手でそれが唯一のこの街から出ていく方法として描かれていました。これが1950年代のアメリカの地方の典型の光景なのでしょうね。

主人公達は12歳の夏。アメリカなので夏が終われば彼らは中学生。クラスも変わり、その後の進路も決まってきます。これも前回見た時は気が付きませんでした。

3日前から行方不明になっている少年が、30キロ先の森の奥で列車に跳ねられ死体のまま野ざらしになっていることを知った主人公達4人組は、親に偽って死体探しに出掛けます。

車が使えない主人公達は、遠回りの車道ではなく近道の線路沿いを進みます。人生とは悪い兄たちのように人の作った道を消費するよう自動車で突っ走るのではなく、道は自分たちで作り自分たちの足で歩いて行かねばならないと暗示されています。どのみち人生(道)の最後には死(死体)が待っているのですが。

1番の親友に親にも認められていない物語作りの上手さを認められ小説家になるよう勧められている主人公(現在主人公は成功した小説家になっている)が4人組の前で披露したブルーベリーパイの大食い大会の作り話はいかにもスティーヴン・キングの短編らしく話の運びに寄り道が多く落ちが無いのですが、親友以外の友人は「落ちは?」等と全く理解を示そうとしません。

嘔吐の連続でかなり汚い話なので以前見た時はなぜこんなエピソードを挟んだのか意味が分からなかったのですが、作家になった主人公が考えた話を、人の話として全く理解しなかったり、食べ物や話を消費するだけで自分では何も作り出そうともしない2人の友人は、今は付き合いも無くなってあの退廃した町の住人になっている事が語られます。

道を切り開くことでしかここからは抜け出せない。この街でその事に気づいているのは主人公と1番の親友と死んだ兄貴だけだったということです。

で、線路の脇で野宿した4人組、早朝そこで主人公は自分だけ鹿を見ます。ここがこの作品の肝になっていることに今回気が付きました。

長くなったのでこの鹿の正体については明日書きます。


 

 

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ポケおやじのこだわりメガネ/時空を超える想い

2018-02-23 | ポケおやじのこだわりメガネ

          :メキシコにて

 

ポケおやじ:「世界最大の水中洞窟でマヤ文明の遺跡や化石を発見 メキシコ」ヤフーニュースより

まあ、かなり原始の頃の物のようなのでどのくらいの規模の遺跡なのか分からないけど楽しみです。

私の少ない海外経験の中でも印象に残っているのはメキシコの新婚旅行。遺跡を一杯見た。

ティオテイワカンは観光地として整備されていて面白くなかったけど、少しマイナーだったチチェンイツァーのピラミッドの中腹から直前の驟雨上がりの家ひとつ無い低潅木地帯に急速に蒸気が立ち上る様は、自分が天空の城ラピュタの登場人物になったような物凄い感動だった。

メキシコのいくつかの遺跡は地面に埋まっていたのを掘り返して発掘したそうだが、チチェンイツァーのピラミッドから見るといくつか不自然な山があって、あれもあれも遺跡が埋まっているんだろうなと素人目にも分かるのだが当時は未だ手がついていないとのことだった。

ウシュマルも未整備だったけれどカバー神殿を見た衝撃は今でも忘れられない。他の遺跡ほどメジャーじゃないので観光客は少なく(外人2人しかいなくて、雨が降ってきて誰もいなくなってアンジェラと私だけで神殿の中を何十分も探検した)しかも遺跡が壊れたまま蝕まれていくまま神像が地面に放置されていた。

これを作った人々の想いは今は断切られて、その想いが空を漂っているそう感じた。

もう25年近く前の話。

同級生にメキシコからの留学生のいることもあって、メキシコに興味のあるなおなおが調べたところ今は遺跡もずいぶんと整備されてしまっているそうだ。そのままで観光化されていないからこそ見たいものがある所は、人が集まるので整備され観光地化されてゆく。

 

 今日、夢枕獏原作、谷口シローの漫画「神々の山嶺」を読み終わった。

よく取材して描込んである名作。この作品で問われているのは人は何故命を賭して山に登るのかということ。マロリーのエベレスト初登頂が成し遂げられたかどうかの謎を狂言廻しに、伝わるはずの無い人の想いが伝わる奇跡を描く。

 エベレストがマロリーが行方不明になった1924年も今も変わらない峻厳さを持つからこそ、時を超え肉体を超えてマロリーや主人公羽生の想いがこちらに伝わってくるのだろう。

では、観光地の整備が進みSNSが発達した現代非常に継続が難しい変わらない峻厳さ無しには肉体を超えて想いがこちらに伝わることは無いのだろうか。

先日ブログにも書いたけど東金野井貝塚には驚かされた。その驚きは今は海とは全く無縁な場所に古代の貝が無造作に手に取れる状況で大量にあることもあるけど、それだけではなかった。ここに古代生活をしていた人がいて自分たちが生きていく糧として食した貝の墓として塚を作ったのではないか。そういうここに古代生活をしていた人の想いが感じられたことが驚きだったのだ。

しかもそういうものが普段生活している所からさほど離れない所に観光とも無縁に今は神社になって何気なくぽつんとあった。

時空を超える想いは近くにだってある。それに気がつく想いさえあれば。

 

 

 

 

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メダルの無い13日間

2018-02-13 | ポケおやじのこだわりメガネ
お題「平昌オリンピックで楽しみは?」に参加中!

   今日のあやゴコロ:メダルを授けよう

 

ポケおやじ:この3連休はテレビを見てダラダラと過ごした。幸せでした。主に見たテレビはドラマの溜まった分と平昌オリンピックの生中継。いい時間にやっているから思わず見てしまう。


冬季オリンピックと言えば思い出すのが「白い恋人たち」。

私が生まれた3か月後の1968年の2月に冬季グルノーブルオリンピックが行われた。その模様は監督クロード・ルルーシュ音楽フランシス・レイの記録映画「白い恋人たち」に一部捉えられている。

「白い恋人たち」の原題は「13 Jours en France」「フランスにおける13日間」。オリンピックの全期全13日間を散文詩のように美しく描き出す。


13日目と言えば2006年トリノオリンピック。開幕から13日目の夜だったと思う。メダルラッシュを叫び続けるTVとは裏腹に、日本は1つのメダルも得ないままこの日が終わり、大会が終わりに向かおうとしていた。

そこで荒川静香選手の金メダル。この大会唯一のメダルが奇跡のようにもたらされた事は記憶に新しい。


トリノオリンピックは奇跡の1つの金メダルよって救われた。今回大会が始まる前に思い浮かべたのがこの時の記憶。

逆に言えばネガティブ思考の私には今回平昌でメダル無だって十分ありうると考えていた。

今日(2月12日)はジャンプ女子とスピードスケート女子1500メートルで今大会数少ない日本のメダルが期待できそうだが、逆にここでとれないなら日本メダルなしの覚悟を決めなければと思っていた。

が、たまたまチャンネルを合わせたフリースタイルスキー 男子モーグルで原大智選手の快走の末の今大会初の銅メダルを見れた。高梨沙羅選手高木美帆選手も期待通りメダルをゲットしてくれて正直ほっとした。

長野オリンピックに次ぐメダルを獲得したのが前回のソチオリンピックのメダル8個(内金1)。どこまで迫れるかちょっとだけ楽しみになってきた。


2006年トリノオリンピックは13日目にやっとメダルがとれた訳だが、会期は16日間あり、結局残りの3日間もメダルが無く終わった。

1968年グルノーブルオリンピックの13日間。映画「白い恋人たち」には描かれる筈もないが次回札幌オリンピックが決まっていた日本はウィキペデイアによると選手62人を送り込んだにも関わらず入賞もなく惨敗したそうだ。

平昌オリンピック大会3日目で3つのメダルが出た日本だが、残りの13日間にメダルが一つも取れなかったなんて新しい13日間のジンクスにはなって欲しくないな。


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チキアーギとは何か

2018-01-13 | ポケおやじのこだわりメガネ

       :この情報誌

 

ポケおやじ:JRで無料配布されている情報誌「Please」12月号を読んでいた上司F氏が「これ少し妙だよな」というのでその文章を紹介します。

 

薩摩のうまかもんはいちき串木野にありー遠洋漁業の港町実はつけあげ(さつま揚げ)発祥の地

串木野は、日本屈指の遠洋まぐろ漁業の街。ここが「つけあげ」発祥地といわれるのは、昔から大量に揚がる魚をすり身にし、家々で加工したことから来ているようだ。元は島津斉彬の時代に薩摩に入ってきた琉球の”チキアーギ”だと言われている。(略)

私は何が少し妙なのか分からなかった。皆さんは分かりますか?

 

 

F氏曰く

 薩摩の「つけあげ」の元は琉球の”チキアーギ”だとしているが本当にそうなのか?「チキアーギ」の語源は「つけあげ」でしょう。

薩摩に「つけあげ」というものがあった→琉球もそれを参考にしたので「チキアーギ」という名前になった。

これがスムーズな流れなのでは。つまり薩摩から琉球に伝わったと考えるのが妥当ではないかと。

 もし情報誌「Please」の説に従うのなら

琉球に「チキアーギ」というものがあった→薩摩もそれを参考にしたので「つけあげ」という名前になった→以降揚げることの語源は沖縄の「アーギ」から日本全土に広まった

という流れになります。それはちょっと不自然なんじゃないか、ということです。

 それだと江戸幕末に琉球が日本の文化の源流にして中心だったって感じですかね。

本当にそうなんだろうか?

私も疑問に思ったので調べてみました。

ネット上位に出てくるWeblioの沖縄大百科でも

「魚肉に人参とごぼうをいれて油であげた練り製品。さつま揚げは鹿児島では『つけあげ』とも呼ばれ、沖縄の『チキアギ』がそのルーツといわれている。」

ウィキペディアでも同様ですね。

考えないでこれをそのまま引用しているから「言われている」という責任所在の無い言い方になってしまうんでしょうね。

 

この話をしたらアンジェラ「『つけ揚げ』は『揚げ』てはいるけど『つけ』てないよね。元々由緒ある地名をとって『イチキ(市来)揚げ』と言われていたのが琉球に伝わって『(イ)チキアーギ』『つけ揚げ』になったんじゃないかな。

なるほど「イチキアゲ」→「チキアーギ」→「ツケアゲ」これは素人目にはありそうな話です。 

さて本当はどうだったんでしょうかねー

想像力を働かせて考えるって面白いですね。

 

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分からない記事

2017-11-12 | ポケおやじのこだわりメガネ

   :この記事

 

ポケおやじ:日経ビジネス17年9月11号の記事を読み返していて、分からなかった記事を一つ。

「政府が日本郵政株の追加売却を検討 株価が映す『経営無策』の現実」

記事を要約すると 日本郵政の政府株売却に際し、市場の評価が低い事、それを示す指標PBR(株価純資産倍率=「株価を1株当たりの純資産で割ったもので、PERが1倍を割り込むということは『会社を解散した方が株主は儲かる』」)が約0・4倍という競合他社より低い評価にとどまっており3メガバンクの約0・6倍、ヤマトの約1・7倍や日本通運の約1・3倍との差が大きい。「企業失格という意味」との指摘を紹介している。

という問題点を指摘している。

最初日本郵政ヤバいんだなと思って読み飛ばしていたが、今日捨てる前に改めて変だなと思った。

PBRが低い事を問題視し日本郵政を「会社を解散した方が」「企業失格」とすることで日本郵政の株は危ないとしているのが主旨であろう。ではPBRが低い事にどんな問題があるのだろうか「PERが1倍を割り込むということは『会社を解散した方が株主は儲かる』?

PERって変な指標で1倍が純資産=発行株価総額なのはすぐわかるけれど、0・4倍だと資産割れしているように感じてしまう。この文章はそれを逆手に取っている気がする。PERが0・4倍というのはその企業の純資産が10兆円あったとしたら=発行株価総額は4兆円なので解散しても6兆円余るという事だ。

だから、「郵政株に対する市場の評価は低」い「企業失格」というのは言えてもそれは逆に言えば日本郵政の株が万が一の場合でも本来は2・5倍の価値を持つべきお買い得株だという事に過ぎない。株というのは人気投票だとしたら低い時に買って高い時に売るのがセオリーだろう。

逆に危ないのは実力以上に人気が出ている時。ヤマトの約1・7倍というのは企業の純資産が10兆円あったとしたら=発行株価総額は17兆円なので万が一の場合7兆円足りないという事だ。よほどこちらの方が危ないように感じる。

 

この情報を元にヤマトに比べて日本郵政の株がお買い得だし、ヤマト人気は過熱気味かもしれないという記事も書ける。それ以前にこの記事をこの時期に載せることに何の意味があるのだろうか。

日本郵政の株を安くした方が得な人がどこかにいてこの記事を書かせたのだろうか。ともかく日本郵政の株はお買い得ではないかと思います。私もお金が有ったら買いたい。

 

 

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ポケおやじのこだわりメガネ/小林秀雄とキングギドラ センター問題に隠された意図を解くー

2017-08-18 | ポケおやじのこだわりメガネ

          :国語センター過去問題集

 

ポケおやじ:なおなおに現国を教えるためここ数年来のセンタの現国の過去問に片っ端から目を通している。

センターの問題集はゆうかさま受験の時に買っていたのだが、まさかこんなに早く使う事になるとは予想していなかったので2年前に一旦捨ててしまっていた。

それで買いなおしたのだが、過去問が数社から出ている事に気付いた。どれがいいのだろう。アマゾンのレビューを読むと「国語は解答の解釈がまちまちだからいくつかもっていたほうがいい」とか書いてある。

ゆうかさまが言うには「『数学社』のが解答がきちんとしてていいよ」とのこと。

1冊約1000円とはいえ、そんなに色んな会社の物を購入するのもためらわれる。ところが、ブックオフオンラインを見てみたら200-300円で中古が売っていたので3冊買ってみた。

普通に使う分にはどこもそんなに変わらない印象だったが、「数学社」のは分厚くて答えが探しにくくて詳し過ぎてかえって使いにくかった。だが、10年分位過去問を見ていると「この答え答えになっていないじゃないか」というのが他社の解答には2回あって、そのいずれもが「数学社」の解答では分かりやすいようにがっちりと書かれていて感心した。

国語の過去問を1冊買うなら「数学社」。出来たら2冊買うと効率がいいんだなと分かった。

 

あと、新品より中古の過去問を購入するメリットがある。それは前に解いた人の解き方が分かる事。ある過去問の持ち主は、小説の解き方で主人公の心理描写のみに線を引いていた。

確かに小説の場合聞かれるのは心理だけだし、それだけだとごちゃごちゃしない。それを応用して私はなおなおに「全ての登場人物の心理描写だけに線を引く」という方法を教えた所、結構解ける様になった。

また、別の過去問の論説文では因果関係接続詞などを細かく区分けしている人がいた。これ区分けするだけで大変な作業になるんじゃないかなと思って、その人の解答を見たら間違いだらけ。

そこで、今回私の編出した論説文超シンプル必勝法をなおなおに伝授した。

「である」「なのだ」等結論が出ている文章だけに線を引き、「ではないか」「という」「ではない」等断定していない文章は無視する。この方法は有効らしく、なおなおも喜んで使ってくれている。

 予備校発行の過去問なので皆色んな予備校のノウハウで悪戦苦闘解いているのだろうな。こんな分かりやすい方法で自分も教えて欲しかったなあと思う。

 

センター過去問で小林秀雄氏の「鍔」という文章を読んだ。小林秀雄氏の文章は私には難解で、社会人になって読み返した「モオツァルト・無常という事」もやっぱりよく分からなかった。

だから小林秀雄と聞いただけでしり込みして「解けるかな」と思いながら読んだ。分かりやすくて凄くおもしろい論説文だった。

かいつまんで言うと

平安時代には身分を表す飾りにしか過ぎなかった刀は戦国時代には実用になった。「鍔」は相手の刀を受け止める命を守るための実用の物となった。殺伐とした戦いが休みなく続くと人間は人間性を見失う。その安らぎが自然と実用と装飾を兼備えた「鍔」の細工へとつながっていく。実用と装飾を兼備えた「鍔」は江戸時代の装飾となった「鍔」には無い美がある。先日武田信玄のゆかりの神社に行ってみたら鷺の仲間が壷ほどもある巣を作っていた、そこにやってきた侵入者である私を警戒しながら舞う姿に武田の「鍔」の鶴丸文様の始まりを見た。

2013年の問題は受験生泣かせの難問だったとしとして記録に残っている。確かに学生には難しいだろう。センターの問題としては適切ではないかもしれない。

特に最後の章でそれまでの流れと無関係なように突然作者の神社での体験談になる所が更なる混乱を生んだのだと思う。

でも、この小林秀雄氏の生涯を一寸でも知っていると(私も一寸しか知らない)凄く面白くて深読み出来る文章だ。

文芸界の大家であった小林秀雄氏は日本の大東亜戦争(第2次世界大戦)を肯定していた。戦後多くの文人が、戦争の反省・糾弾に転じる中小林秀雄氏は「僕は無智だから反省なぞしない」との立場に立った。ただし、戦後の最初の論文が「モオツァルト」であったように、戦争肯定のような文章を書いたのかどうかは私はよく調べていないが書いていないと思う。

「鍔」は1962年に書かれた文章だそうだ。

この文章の戦国時代を大東亜戦争、江戸時代を現代に置き換えると、小林秀雄が戦争によって生まれた物(文化や生き方)に美を覚えているのではないかと考えられる。

そして、やや唐突に展開される武田信玄ゆかりの神社での出来事を考えてみる。

侵入者(ここでは小林秀雄氏)が海外の敵国だとしたら、それを警戒する鷺は日本の軍や武士や国家だろう。鶴丸文様は日の丸のようだ。鶴丸文様は1959年からJALのマークなので鷺は日の丸戦闘機を想起させる。

その日の丸戦闘機が侵入者から守るものは神社…日本国独特の象徴である神社にある巣…国民や家族家庭である。

 

これ、文意として間違いないと思うが、これを読取れたのは受験生はおろか大人でもあまりいないだろう。文章には戦争のセの字も書いてないから。そしてそんな意味なんか読取っても大学合格に関係ないから。

だが、この文章を書いた小林秀雄氏同様センターの出題者は日本の大東亜戦争は日本の武の戦いであった事をここで読取って「そういう考えもあるんだ」とこの機会に考えて欲しいのだろう。

他の問題を読んでもセンターの現国は相当に頭を使わされるけれど面白くて考えさせられる出題者の意図が強く出たものばかりだと感心させられた。

小林秀雄氏の「鍔」が書かれた2年後の1964年「三大怪獣 地球最大の決戦」が封切られた。ゴジラ最大のライバル、キングギドラの襲来だ。私も子供の頃に見たっきりで再見していないが宇宙から日本を侵略に来たキングギドラはゴジラが壊したことのない神社を完膚なまでに叩き壊す場面があるそうだ。

 物事のヒントはいつも何気なく目の前にポトリと落ちている。誰かに気がついて欲しいなと思いながら。でも、それは見ようとしないと見えないものなのだろう。

 

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縁切寺は後醍醐天皇と豊臣家と鎌倉源氏…3大怨霊の納め場である 後編

2017-07-14 | ポケおやじのこだわりメガネ

   :西郷墓所

 

ポケおやじ:東慶寺(縁切寺・駆込寺)が安達家・護良親王・豊臣秀頼の3つの怨霊を抑える場であると推測。

でも安達家は何故弘安8年(1285年)東慶寺が開創した年に「霜月騒動」で「安達宗景(開山覚山尼の兄)が源姓を称した事をもって将軍になる野心あり」等という讒言で北条に一族500人が滅ぼされたのでしょうか。

根拠があるからではないでしょうか。

 

安達宗景の曽祖父安達景盛(藤九郎の子)は源頼朝の御落胤説(「保暦間記」)があるそうだ。

藤九郎の子安達景盛の母丹後内侍は源頼朝の乳母である比企尼の長女だとのこと。比企尼は伊豆に流された頼朝を影から手助けしていたようだ。

藤九郎がどのような経緯で丹後内侍を娶ったのかは知らないが、多数の落とし種伝説を持つ源頼朝が手を付けていた可能性はあってもおもしろい。

その真偽を知っているのは伊豆での時間を過ごした頼朝と藤九郎と北条正子と北条時政と安達景盛の母だけだったのかも。

安達景盛は生年月日不明というのも引っかかりどころ。

頼家が同世代?の安達景盛を嫌っていたのも事情を聞いていたからではないだろうか。

 

つまり安達家の正当性は源氏の血によって、源氏の血は安達家によって担保されていた可能性はある。

この後東慶寺に封じられた怨霊の規模を考えると安達家の滅亡より鎌倉源氏の滅亡の方が貴であり祟りが大きそうだ。源 頼家、実朝、公暁は末裔まで実質北条家により滅ぼされているので、鎌倉源氏は北条氏によって滅びている筈ですが、もし安達景盛が源頼朝の御落胤であれば、開山覚山尼は滅びた鎌倉源氏の密かな末裔ということになる。

雷が落ちると菅原道真の祟りだとかしかり。日本では古来天災が起こると、それは怨霊の仕業とされてきました。怨霊を恐れる気持ちがあれば、天災である元寇が起こり、源氏に近い安達氏を滅ぼさざる終えなかったのも北条が自ら滅ぼした源氏の祟りだと考えるのは当然の流れだと思う。

ならば東慶寺は鎌倉源氏の怨霊を封じる場になる。

 

スケールが大きくなってきた所でもう1つ。

用堂尼は護良親王の怨霊封じでしょうが、その後足利将軍家により護良親王の父後醍醐天皇の南朝は天皇家として抹消される。そういう意味ではこれは親王殺害と足利尊氏北朝によって天皇正当性を封じられ、消え去った南朝の怨霊封じの役割も果たしている。

正当性を無視した天皇家の一系統の廃絶。これこそ最大に祟る物でしょう。後醍醐天皇のは怨霊の法則通りに娘用堂尼に祭られていたのです。

「源頼朝」「後醍醐天皇」「豊臣秀吉」という滅ぼされたまつろわぬものの怨霊の超大物が揃っているのが東慶寺なのだ。

そしてこの怨霊封じの法則は北条家、足利家、徳川家。時の為政者によって何百年もの時を超えて粛々と行われてきているのが分かる。15代16代と続くにはこのようなコツがいるのでしょうか。

 

東慶寺には西郷墓所というのもあったので、これも怨霊つながりかと思ったら、西郷隆盛ではなく西郷春女という方のお墓だそうでそれは早とちりでした。

 

最後の謎。用堂尼の階段は明治以降に付けられたそうです。怨霊が出ないため参道がなかったでしょうが、明治になって何が変わったのでしょうか。明治に南朝北朝の正当性が論議されたのは知っていたのでウィキペディアを見てみると「1911年(明治44年)明治天皇の裁断で三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされることとなった」とあります。

これがきっかけで南朝の北朝(現在の天皇家)への祟りは無くなるので(怨霊の出入り口になる)階段が付いたのではないか…と書こうとしたら。「女性の離婚請求権が明治5年(1872年)に認め られ、縁切寺としての役割を終えました。」という別の文章も見つけました。

縁切寺としての機能を終えた後、観光で生きていく事になって観光用に階段を付けた 。これが正解でしょうね。時代が時代なら自分も入れない所なんだと改めて思いました。

 

 

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縁切寺は後醍醐天皇と豊臣家と…3大怨霊の納め場である 中編

2017-07-07 | ポケおやじのこだわりメガネ

            :この階段を上がると


ポケおやじ:後醍醐天皇の娘用堂尼の墓が東慶寺にある理由を日本古来の怨霊信仰に基づいて考えてみる。


以下当ブログ「武田勝頼怨霊説 その1~NHK歴史秘話ヒストリアの矛盾~」より流用。

 

梅原猛著「法隆寺論・隠された十字架」この本の推論を大雑把に紹介すると、

 

1. 日本では怨霊抑制のために神道があり、怨霊抑制のために仏教が取り入れられてきた。

2. 怨霊は聖徳太子や大国の主の命など子孫を断たれたものが、もっとも凶暴だと考えられてきた。

3. 出雲や、諏訪の古より、怨霊抑制に最も効果があるのは子孫により祭られることだ。 

4. 怨霊は50年、100年という節目で祟ると考えられてきた。

5. 最も効果のある鎮魂法は祟り人に(出雲大社や諏訪神社、法隆寺など)現治世者より大きな建物や墓を作ったり、その過去の業績をことさら大袈裟に記紀に記録に残したり、人馬が空を飛べたり、10人の話が聴けたり、学問の神にしたり)することが効果があると考えられてきた。

6. それでも祟る場合、出雲大社や法隆寺の中門のように出入りの出来難いようにして封じ込める例もあった。

7.怨霊は時の政権に楯突き滅ぼされた貴人という共通の特徴を持っている

8.新たなる怨霊を抑えるには古い怨霊を使う

以上流用終わり

 

ネットで見ると大塔宮(鎌倉宮)の膝元にある荏柄天神の石碑には「当社ヲ以テ鬼門ノ鎮守トナス」と記載されているそうなので、鎌倉の鬼門に納められている大塔宮護良親王が怨霊なのは間違いない。

 

東慶寺が大塔宮護良親王の怨霊を抑える為のシステムだと考えて、上記の条件を当て嵌めて考えてみる 。

 

先ず3.怨霊が護良親王なら姉である用堂尼はまずまず適役だろう。

5.用堂尼の墓はこの寺の中で最も大きい祠だ。また用堂尼は墓の規模といい、寺の歴代の住職の中でも開山覚山尼(北条時宗の正室出身の安達家は滅亡)20代天秀法泰尼と共に別格の扱いをされている。天秀法泰尼は豊臣秀頼の息女!! で、大阪の陣豊臣家滅亡後徳川家康に任じられたそうだ。

大塔宮護良親王が祀られている大塔宮(鎌倉宮)は学問の神様であり、大塔宮(鎌倉宮)の膝元にある荏柄天神は平安京に祟りをなしたと伝わる学問の神様菅原道真が祀られている。

6.ここがポイント。用堂尼の墓だけ石段はなかった。これも立派な開山覚山尼と用堂尼の墓の2つは山を背負って本堂や山門方面は遮られておりしかも本堂や山門とは180度逆の方を向いている(天秀法泰尼の立派な墓はその前に置かれている)。 用堂尼の墓の目の前には蓋をするように歴代の住職の墓が並んでいる。これは怨霊が出てこないための封印だろう。   

 

東慶寺が3つの怨霊を抑える場というのはこれで分かった。安達家・護良親王・豊臣秀頼。この中で私が知らなかったのは安達家。ネットで調べると鎌倉時代北条家と並び称される名家だったそうで、安達盛長は、源頼朝の伊豆流人時代からの側近藤九郎…。先日まで5年前の大河ドラマ「平清盛」まとめて見てたんで落ちぶれている源頼朝を元気に支える藤九郎を毎日のように見てたんです。

安達盛長こと藤九郎の玄孫(やしゃご 孫の孫)が開山覚山尼なんです。そんな頼朝ゆかりの名家が何故滅びたかと言うと弘安8年(1285年)「霜月騒動」という権力争いによる誅伐事件があり、安達泰盛の子・安達宗景(開山覚尼の兄)が源姓を称した事をもって将軍になる野心ありとの讒言(うそ)により北条家らにより安達一族500人以上が惨殺されたとのこと。

弘安8年(1285年)東慶寺が開創。「霜月騒動」も同年。(「霜月騒動」以前に東慶寺は開創された事になっていますが、奈良や平安の神仏の年号が都合によって入れ替えられることも梅原猛著「法隆寺論・隠された十字架」で論じられているのですが説明が難しいのでここでは省略させていただきます)

弘安8年(1285年)は2度目の元寇の役から4年経っており、恩賞の問題等で御家人の鎌倉幕府への憤懣は募っていた。調停役だった元寇の役勝利の立役者北条時宗の死の翌年事件は起こっている。そこらへんがどのように結びついて多分罪も無い安達家誅伐に繋がったのかは想像するしかない。

東慶寺は、「霜月騒動」の年に根絶された安達一族生残りの側である開山覚尼により東慶寺が開創されたことは、この寺が、「霜月騒動」の安達家滅亡の怨霊封じのために創設されたという事を明確に物語っている。

ここで、奇妙な印象を受けるのは何故「安達宗景(開山覚山尼の兄)が源姓を称した事をもって将軍になる野心あり」等という讒言が成立つかと言う事です。変ですよね。

それは私の勝手な憶測ですが根拠があるからではないでしょうか。

                                                    以下次号(金曜日予定)

 

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縁切寺は後醍醐天皇と豊臣家と…3大怨霊の納め場である 前編

2017-06-30 | ポケおやじのこだわりメガネ

     : この階段を上ると

 

ポケおやじ:先日東慶寺(縁切寺・駆込寺)に行った時、後醍醐天皇皇女用堂尼の墓があった。

これには我父母は全く興味を持っていなかったが、後醍醐天皇と鎌倉の組み合わせだけでこれは凄そうと私は思ってしまいました。階段を昇ってみると、ああやはり。怨霊の定番大きめな墓がただ1つ山肌を削った祠に。

用堂尼は大塔宮護良親王の姉なので、28才の親王殺害後菩提を弔うために5代目住職として入寺されたそうだ。驚いた事に 護良親王の土の牢(大塔宮〔鎌倉宮・荏柄天神〕にある有名なのは復元)やお墓のある鎌倉二階堂は東慶寺の寺領だったらしい。東慶寺には護良親王の幼名「尊雲法親王」が書かれた位牌もあるそうだ。東慶寺は皇太子にも成り得た皇族幽閉殺害に関わり深く、弔いの役割も果たしたのだ。

東慶寺のホームページを見ると明治以前は、用堂尼の墓の石段はなかったとの記載がある。大体において他の墓は山門(本堂)に向かって建っているのに、この用堂尼の墓は山を背負って本堂や山門は遮られておりしかも本堂や山門とは180度逆の方を向いている。

更に用堂尼の墓の目の前には蓋をするように歴代の住職の墓が並んでいる。ゾクゾクきました。

久々に怨霊物3回に分けて書きます。

 

 

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映画の臭い 震災の空気

2017-03-11 | ポケおやじのこだわりメガネ

 :学生の頃閉館した名画座でもらってきたポスター(グルニエ掃除で出てきました)



※映画「君の名は」「海賊と呼ばれた男」のネタバレがあります。

ポケおやじ:昔三鷹に三鷹オスカーという名画座があった。デビッド・リンチ特集とか渋いプログラムをぴあを持って行くと100円割引で700円3本立てでやるのでたまに見に行っていた。

ルネ・ラルーの伝説の名作「ファンタスティック・プラネット」等いろんな名作怪作をここで見た。結構広い劇場で座席もクッションがあっていい環境、だが「ファンタスティック・プラネット」「デューン砂の惑星」等美しい名作を思い出す時トイレ臭も思い出してしまう。

三鷹オスカーのトイレはスクリーンの両脇にあった。暗闇の中上映中にトイレに行く人がいるとトイレの光が強烈に目に入る。あと上映中、臭いも流れてきた。当時の映画には臭いや雑音があった。

 

「シンゴジラ」が日本アカデミー賞をとった。1954年。「ゴジラ」は放射能を帯びた戦争=核兵器の申し子だったのに対し、2016年「シンゴジラ」は地震=原発事故の申し子になる。

政府の対応をマクロからミクロまで徹底して描く事で「シンゴジラ」という人災でもある災害に振回される日本という国の悪さ良さが浮彫りになる。面白いと唸らされつつも実は物足りなさも感じた。

物足りなさの原因は、震災の政界裏話になっている事。

あの未曾有の震災危機で政界がTVに映っている以外でどのようなドタバタを演じていたか。これは興味深いテーマだとは思う。だが、TVの映像の既視感が続くと危機は映像を通したリアリティーに変質していく。特に震災から時間がたった今では。

あの日、震災のリアルはTVではなかった。通じない携帯の替わりに公衆電話を探し、家族の声を聞いた事。血相を変えて1人会社を飛び出していった上司が、気恥ずかしそうに戻ってきた事。停電。断水。動かない電車と、地震の警告音。売切れの陳列棚。ガソリンスタンドの行列の排気ガスの臭い。深夜寒い千住大橋を歩いて渡る人々。

不安は五感を通して締付けるようだった。「シンゴジラ」にはあの感じが少ない。

個々の人々の物語が作品のテーマの追求の流れを止めてしまうのでシンプルにしたのだと思う。でも、その端折った所は人間のいる所なのだ。血・性・痛み・苦しみ「エヴァンゲリオン」はそういうものも描いていた。それを描かないとテレビで不安気に東京で見た3月11日の事を思い起こす、3月11日の特集番組にとどまってしまう。

震災以降、震災を描かなくては映画は作れなくなっている。戦争後「ゴジラ」がつくられたようにそれは当然の事だ。映画で震災を描く事の重みは、映画の娯楽やテーマの自由さを縛る可能性がある。だがその縛りを逆に生かせたらそれは逃げていない凄い作品が出来る可能性もある。

震災を捉えた映画として卓越していたのは「風立ちぬ」(2013)だった。関東大震災と第二次世界大戦におけるゼロ戦技術者の敗戦と東日本大震災と原子力技術者の敗北が私には重なって見えた。

元来宮崎駿氏は「ハウルの動く城」(2004)で東京大空襲や戦後の焼け野原を思わせる場面をたっぷりと描いている。自らの1つのメインテーマである戦争。戦争と震災が重なって伝えるべき物がかえって見えたのだろう。

 

今年見た「君の名は」(2016)は隕石ということにしてあるけれど、震災を描いた映画だ。しかも過去震災で死んでしまった人を好きになる。「君の名は」(1953)という戦後を描いた映画の題名を持ってきた所も「ゴジラ」(1954)同様第二次世界大戦と東日本大震災を重ねているのだろう。

「君の名は」も震災を乗越える思いが作品のテーマであり、見る人に勇気を与える。

 

今年見た映画でとても勇気を与えられたのが山口から始まって日本の石油界を生き抜いた出光創業者をモデルにした「海賊と呼ばれた男」(2016)。

冒頭B29から投下される焼夷弾の詳細な描写があり、それが日本の街の人々に降り注ぐ様子がワンショットで描かれる。決して長くは無い冒頭の数分間。

アンジェラの父は北千住の自宅に焼夷弾が落ちて不発で命拾いをしている。父や母の話で戦争をある程度知っているつもりでいた。だがこのシーンはアンジェラも私もこれほど「戦争」というものの恐怖と絶望を感じた事のない強烈なものだった。

その後も石油をめぐる街や国家ぐるみのひりひりするような戦いが続き、「海賊と呼ばれた男」は時間の経つのを完全に忘れ去るような強烈な戦前戦後を戦い抜いた人生の追体験だった。

戦争と震災。当時と今日本が置かれている国際状況が上手くリンクして心揺さぶられる。そしてその状況に自分が置かれているという臨場感もうまく伝えている。

でも、どうやればCGだらけの映画で山崎貴監督は臨場感を伝える事ができたのだろう。


 高度成長期前から死ぬまで東京に住み働き抜いた叔父は生前山崎貴監督の「3丁目の夕日」(2005)を見て「東京はあんなにきれいじゃなかった、排気ガスとスモッグでいつも煙たかったし、道路もあんなに舗装されていなかった」と言っていた。CGではその時代に生きていた人間には空気が伝わってこなかったのだ。

その反省があったのか「海賊と呼ばれた男」ではタバコを喫う場面が「けむたいな」と思うほどに出てくる。確かに昭和はタバコの煙の世界だった。

廃タンクの清掃等臭く息苦しい場面も多い。

時代の空気を再現できれば過去を描く映画の臨場感は否応にも増す。

今の映画館はとても綺麗でソファもゆったりしていて前の観客の頭も気にならない作りになっている。客も少ない。

食物の持ち込みも禁止。入替制なので掃除も行き届いておりいびきをかいている人もいない。映画館は昔では考えられないほど清潔で無臭だ。

そのような空間の中で「臭い」がない映画は自分が何を見ているのか分からなくなる。

だからこそ映画に臭いをつけることが効果があるのだろう。


震災を今どのようにとらえ乗越えていくかというのは五感を総動員させるべきものなのだと思わされる。

山口で育ち戦後の石油業界で働いた88才の我父に今度「海賊と呼ばれた男」を見てもらいたいな。

 

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2017年の広島カープはリーグ優勝出来ないでしょう

2016-11-02 | ポケおやじのこだわりメガネ

            今日のあやゴコロ: 

 

 

ポケおやじ:カープを40年近く応援する私の予想。

どこよりも早い来年の予想です。

去年は条件付ですがこの時期に広島カープの優勝を予想しました。

日本一に届かなかった理由はルナの故障もあると思っています。そこらへんはまた機会があったら書きます。

来年の広島カープですが、連続リーグ優勝は出来ないでしょう。

以下2015年10月18日の我がブログ 「2016年来年のカープは100パーセント優勝します(条件付)」等から引用しながら書きます。

 

カープは今球界を蝕むFA等に背を向けて育成した投手と一発ある外人中心にチームを作る昔気質のチームです。プロ野球界の人間国宝集団といっても良いでしょう。

従来のやり方を何十年も貫いているので過去のデータより優勝のパターンを考えてみました。

 

1983年~2015年までで広島カープは4回のリーグ優勝を決めています。その時の先発投手の成績に着目すると、

①「エースが30試合以上先発し15勝以上勝ち星を上げている。」(4回の内優勝3回、5位1回)(300010)

②「先発ローテーション投手の内4人が10勝以上勝ち星を上げている。」(3回の内優勝2回3位1回)(201000)

この2点が浮かび上がりました。

ちなみに

「先発ローテーション投手の内3人が10勝以上勝ち星を上げている。」だと優勝なし、2位3回 3位2回 4位1回になります。(032100)

「先発ローテーション投手の内3人が10勝以上勝ち星を上げている。」上に「15勝投手がいる」場合でも2位2回です。(020000) 

つまり広島が優勝するには10勝投手が4人いるか、エースが30試合以上先発し15勝以上勝ち星を上げるのが必要なのです。

 

更に優勝した3回の前年の投手成績を見てみました。

3回とも「前年に10勝以上の投手が3人」出ていました。

つまり優勝する前年には優勝の下地が出来ていたわけです。

 

過去優勝した3回の年には、前述の通り前年の10勝投手3人も活躍していますが、それ以上に大きかったのが新戦力です。新人だったり復活組みだったり3回とも新たな10勝投手が1-3人加わっています。

 

☆優勝した3回の前年、10勝投手3人の前年度成績まとめ。

優勝前年先発3人で37勝→優勝年先発3人で 37勝(+新10勝投手2人)                                               優勝前年先発3人で37勝→優勝年先発3人で 27勝(+新10勝投手3人)                                               優勝前年先発3人で35勝→優勝年先発3人で 34勝(+新10勝投手1人) 

 

2016年の優勝はこれまでのパターンと少し違いがありました。

30試合投げたエースがいなかったので①「エースが30試合以上先発し15勝以上勝ち星を上げている。」(4回の内優勝3回、5位1回)には該当しません。ただし15勝以上投手が2人出るというサプライズがありました。

そして②「先発ローテーション投手の内4人が10勝以上勝ち星を上げている。」(3回の内優勝2回3位1回)にも該当しません。そのかわり15勝以上投手が2人10勝投手が1人で帳尻が合っています。

では予想できる来年の10勝投手3人の来年の成績は?

2016年先発3人で41勝でしたが10勝した黒田投手は引退し、16勝野村投手15勝ジョンソン投手2人は今年出来過ぎだったと思いますので、野村投手12勝ジョンソン投手14勝も出来れば御の字でしょう。

連続でマエケン黒田投手が抜け先発の層が薄くなっている来年。広島カープが優勝するには野村投手ジョンソン投手の活躍に加え10勝投手2、3人の加入が必須です。

では10勝投手はどこにいるでしょうか

①ヘーゲンズが先発として活躍する(これは半々くらいありそう)

②外人枠はもうないので戸田投手岡田投手薮田投手大瀬良投手福井投手新人投手(期待順)から誰かが10勝する(これはきつそう)

③今年同様野村投手ジョンソン投手が15勝する(これもきつそう)

この3つが全て(一応2つでも可)成れば連続優勝できるでしょう。  

今年は野村投手のまさかの大化けがありましたが去年と違って来年は外人枠に空きが無いので新戦力の余地がありません。ドラフトも即戦力の先発投手は取れなかったようですし。 

過去の例で考えると来年のカープには上がり目が無いということが言えそうです。

では来年のリーグ優勝は?外人枠が全く機能していなかった DeNAが外人次第では有力そうだけど多分山口俊投手が抜けるので、やはり戦力の揃った巨人か阪神が有力だと思います。普通に考えたら巨人ですね。どちらか外人が当たった球団が優勝するでしょう。                                        

 

 

 

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広島カープ優勝

2016-09-11 | ポケおやじのこだわりメガネ

           :25年ぶり

 

ポケおやじ:あっけなく優勝しちゃった。

 

2015年10月8日のブログ

「2016年来年のカープは100パーセント優勝します(条件付)」

 

4月15日のブログ

「マネーボールによると今年の広島カープは優勝するそうだ。」

 

5月18日のブログ

「夏休みまでにルナ選手が戻ってきたら広島カープは優勝します」

 

私は誰よりも早くカープの今年の優勝を予想していたと自慢したいです。

 

球場にも行ってないし、今年は試合まともに見てないので実感のない内に優勝しちゃった感じです。

 

緒方監督若い選手を見事に育てましたね。選手が若いからこの全盛期は長く続きそうです。先ずは良かった。

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夏季オリンピックメダル 皮算用

2016-07-29 | ポケおやじのこだわりメガネ

            :梅雨が明け夏本番

 

 

ポケおやじ:前回のロンドンオリンピックで日本史上最多38個のメダルを獲得した日本ですが、今回リオではどうでしょうか。

引続き日本の獲得メダルが増える確率が高いと思います。

それ以上に確実なのが日本の国別順位が高くなる事です。

 

実はオリンピック競技は大会ごとに増えています。

1964東京オリンピックの時の全メダル数   金メダル163 銀メダル167 銅メダル174 計504個

2012ロンドンオリンピックの時の全メダル数    金メダル302 銀メダル304 銅メダル356 計962個

このまま競技が増え続けると2020東京オリンピックの総メダル数は1964年の倍増ということもあるかも?

 

競技が増えれば日本の獲得メダル数が増える。当たり前のような気がしますがそうでもないのです。

 

夏季日本の獲得メダル数(金・銀・銅)

1964年東京          16・5・8  計29

1968年メキシコシティー   11・7・7   計25

1972年ミュンヘン       13・8・8  計29

1976年モントリオール    9・6・10  計25

1984年ロサンゼルス     10・8・14 計32

1988年ソウル         4・3・7     計14

1992年バルセロナ      3・8・11  計22

1996年アトランタ       3・6・5     計14

2000年シドニー        5・8・5   計18

2004年アテネ         16・9・12  計37

2008年北京          9・6・10   計25

2012年ロンドン        7・14・17  計38

 

やや低下気味の横ばいといったところでしょうか。

2004年アテネオリンピック以降日本の獲得メダル数が急に多くなっているのが目立ちますね。1988年ソウルオリンピックと1996年アトランタのメダルの少なさも気になります。

ではこの表を男女別メダル数にしてみます。 

 

大会名              日本男子獲得メダル 日本女子獲得メダル

1964年東京          15・5・7  計27   1・0・1  計2

1968年メキシコシティー   11・6・7   計24   0・1・0  計1

1972年ミュンヘン       12・7・8  計27   1・1・0  計2

1976年モントリオール    8・6・10  計24   1・0・0  計1

1984年ロサンゼルス     10・8・11 計32   0・0・3  計3

1988年ソウル         4・2・5     計11   0・1・2  計3

1992年バルセロナ      2・4・7   計13   1・4・4  計9

1996年アトランタ       2・3・2     計8    1・3・3  計7

2000年シドニー        3・2・0   計5        2・6・5  計13

2004年アテネ         7・5・8     計20      9・4・4  計17

2008年北京          4・5・5     計14      5・2・5   計12   

2012年ロンドン        3・8・10    計21     4・6・10  計17

 

日本のメダル減を支えたのは競技が増えた女子競技だったんですね。

1992年バルセロナと2004年アテネで女子のメダルが異常なまでに激増しています。実はバルセロナでは女子柔道がアテネでは女子レスリングが採用されているのです。納得。

一方ソウル以降急激に凋落した夏季男子オリンピックメダル数は女子の活躍に覆い隠されていましたがシドニーオリンピックで5個になっていたのです。男子の競技数は基本変わっていないと思われる中でのこの激減はなんでしょう。

激減のきっかけになった1984年ロサンゼルスと1988年ソウルを比べてみると日本のお家芸である体操、柔道、レスリングでのメダル数が9・8・6→3・2・5に激減しているのです。         

 

この未曾有の危機はどうやって回復したのでしょう。

それはお家芸の復活です。2000年シドニーでは何れもメダル0だった体操と男子水泳が2004年アテネでは3・2・4 計9のメダルを稼ぎ出したのです。水泳の男子メダルは16年ぶり、体操は12年ぶりのメダルでした。

水泳も体操も柔道レスリングと共に日本のお家芸です。しかも団体競技の野球やバレーボールと違って複数のメダルを稼ぎだしやすい。

 その得意分野でメダルを稼げばいいのです。あと、女性が参加する新競技で勝てそうなやつを強化することですね。

 

では話し戻って前回以上に日本の国別順位が高くなる理由は?

1つは日本が2004年アテネ以降お家芸の水泳体操柔道レスリングでメダルを稼ぐと言う方程式を編出したからですね。これで日本のメダル数は大崩れしなくなりました。

そして日本の国別順位が確実に上昇する理由は、2012年ロンドンで日本柔道が金メダル1個の大敗したからです。それでも日本は過去最高数のメダルに輝きました。ここ20年来の実績に戻れば柔道で金メダル4個は狙えるでしょう。国別順位は銀銅関係なし金メダルの数で殆ど決まってしまいますから。

 

柔道は東京オリンピックから採用されこの年日本に4階級で金3つ計4つのメダルをもたらしました。

それが1984ロサンゼルスの時には8階級になっているのです。倍の結果が欲しいところですね。

1992バルセロナでは女子柔道が採用されています。男子7階級女子7階級になったので1964東京オリンピック比3・5倍の結果が欲しいところですが(机上メダル14個うち金メダル10個!!!)。

 さて、日本にはもうひとつお家芸があります。女子レスリングですね。2004アテネより採用され4階級でメダル4(うち金2)を獲得以降3大会計12機会で11メダル(うち金7)をもたらしています。

「有力な種目でいくつものメダルを獲得する」。オリンピックで日本人のメダルが見たければ大事なのは国際オリンピック委員会に取入って柔道、レスリングの階級の更なる細分化を図る事でしょう。

ところが、レスリング、数年前オリンピック除外のピンチだったのを思い出し当時の記事をネットで見てみました。中核競技から外れたレスリングは紆余曲折の末2020東京オリンピックでの実施がキリギリ決まったとのこと。その変更点の一つが

男子を現行の16→14階級に 女子を現行の4→6階級にする

これ、真面目にレスリングやってる男性には申し訳ないけど、2020東京オリンピックにおいて日本は女子レスリングでメダルをあと2つ(うち金1つ)とっていいよって言われてるような物ではないでしょうか。

これも日本のロビー活動の賜物なんですかね。

1964東京の後1968メキシコオリンピックでは柔道は採用されませんでした。メダルの数なんて駆引きの賜物です。

2020東京オリンピックの次はレスリングが無くなっちゃわない様にJOCしっかりとしたロビー活動をしてもらわないとまた日本のメダル数減っちゃうかもしれないので今から心配です。

 

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