ひまわりと天秤

かつては法曹を目指したけれど、今は世界を飛び回り活躍する
ビジネスマンを目指している人のブログ

戦争の記憶

2009年08月22日 | 自分の思想・考え全般
先日、『硫黄島からの手紙』をみた。
クリント・イーストウッド監督の作品は、ストーリーや構成、役者の感情描写などが素晴らしいので、クリントイーストウッドはすごく好きな監督の1人だ。

ところが、今日は、映画の話ではなく、今日は戦争について思うことを書き綴ることにする。
普段の生活の中では、戦争のことなんか考えないが、8月という月は、8月6日の広島の原爆投下の日、8月9日の長崎の原爆投下の日、8月15日の終戦記念日という日があり、戦争のことについて考えざるを時節であろう。

ところが、僕自身は、ここのところ戦争について考えるということをしていない。
近隣のとある国では、ミサイル発射実験や、核開発が行われようとしており、わが国の安全がひょっとしたら脅かされるかもしれない状況にあるにも関わらずだ。


その原因は、やはり戦争を経験したことがないといことに尽きるのだろう。
徴兵制もなく、自衛隊もアメリカのように他国に自国の軍隊をもって武力行使するということがない我が国民は身近に戦争を感じる機会が他国に比べて圧倒的に少ないと思う。
メディアなどで戦争があってもどこか実感がわかないのは、僕だけではないと思う。

そういった中で、こういった戦争を題材にした映画というのは、多少なりとも、戦争の怖さ、恐ろしさというものを感じさせてくれるので、有意義ではないかと個人的には思う。

この映画の中では、硫黄島で米軍を翻弄した栗林中将の人となりを中心に据えながらも、無意味な精神主義を嫌い、全ての兵士の命を尊重し、現実的な作戦を展開した司令官が描かれている。


敗戦や玉砕することが確実な中で、兵士に対して、自分達がここで戦うことの意味を述べるのですが、『愛国心』、『高尚な自己犠牲の精神』、様々に表現できるのだろうけれど、そこで『戦う意味』というのに僕は心動かされました。
興味がある人はみてください。