最近よく耳にするのが、「昭和っぽい」という言葉。
ノスタルジックな画像や映像ほぼ全てに、「昭和」というレッテルが貼られます。
この言葉を聞くといつも思うのは、「平成っぽい」と思うのは、どういう時なんだろうということです。
きっとこのまま「平成」という時代は忘れ去られていくんだろな、と思ったりもします。
私は平成の全てをサラリーマンとして過ごしました。
だから、今では当たり前に存在するものが、平成時代に完成されていったことを実感しています。
スマホはおろか、ガラケーもなく、ポケベルが通信手段でした。ポケベルで呼ばれ、近くの電話ボックスに駆け込むというのが日常の姿でした。
オフィスにパソコンはありましたが、ひとり1台ではなく、何人かで共有していましたし、当時、今のノートパソコンより数倍分厚いラップトップパソコンというのがあって、それを持ち歩いたりしていました。
インターネットも、1枚の画像が上から少しずつ表示されていくのをじ~っと待っていました。ハイビジョン動画がすいすい表示される現在は、とんでもない進化を遂げていると思います。
このように、いろんなものが熟成されていった平成時代ですが、「平成」というレッテルは、どういうものに貼るんだろうと考えると、頭に浮かんできません。
令和の次の時代になれば、「平成っぽい」ものが定義されるのでしょうか。。
ノスタルジックな画像や映像ほぼ全てに、「昭和」というレッテルが貼られます。
この言葉を聞くといつも思うのは、「平成っぽい」と思うのは、どういう時なんだろうということです。
きっとこのまま「平成」という時代は忘れ去られていくんだろな、と思ったりもします。
私は平成の全てをサラリーマンとして過ごしました。
だから、今では当たり前に存在するものが、平成時代に完成されていったことを実感しています。
スマホはおろか、ガラケーもなく、ポケベルが通信手段でした。ポケベルで呼ばれ、近くの電話ボックスに駆け込むというのが日常の姿でした。
オフィスにパソコンはありましたが、ひとり1台ではなく、何人かで共有していましたし、当時、今のノートパソコンより数倍分厚いラップトップパソコンというのがあって、それを持ち歩いたりしていました。
インターネットも、1枚の画像が上から少しずつ表示されていくのをじ~っと待っていました。ハイビジョン動画がすいすい表示される現在は、とんでもない進化を遂げていると思います。
このように、いろんなものが熟成されていった平成時代ですが、「平成」というレッテルは、どういうものに貼るんだろうと考えると、頭に浮かんできません。
令和の次の時代になれば、「平成っぽい」ものが定義されるのでしょうか。。