「御霊によって歩みなさい。そうすれば決し
て肉の欲を満足させる事はありません。」
(5-16)
ここから「キリストの御霊」(アンドリューマ-レ-)
です。
神に喜ばれる者となる為には、肉すなわち
自己の願いと努力とを全く退け、神の御霊の
意図と働きに所を讓らなければなりません。
「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を
…十字架に付けてしまったのです。」
肉を十字架に付けるとは、これを呪いに引き
渡すという事です。
十字架と、呪いにとは、不可分なものです。
「私達の古い人がキリストと共に十字架につ
けられた」というのは、すなわち、
「私の古い性質、又、私自身は、呪いを受け
る者であり、これを脱ぎ捨てる道は死です。
私は、今、自発的に、私自身を死に渡す」と
いう事を意味します。
キリストは、ご自身の肉を十字架の、呪われ
た死に引き渡す為に来られました。
その死により、新しい命を受けられたお方で
あるキリストを、私の命として受け入れまし
た
私は、私の古い人、私の肉、私の自我を、
その意思と働きと共に、罪深く呪われたもの
として十字架に引き渡します。
その肉は、まだ死んでいません。しばしば起
き上がろう、とするでしょう。
しかし、日ごとに、私はキリストと共に、
その肉を、そこに死なせ続け、全ての業を
聖霊の力の元に置くのです。
私達は、信仰によりイエスとの霊的な交わり
に入り、その交わりによって、生きるのです
信仰によって保たれる、この霊的な結合は、
キリストと同じ思い、同じ性質を持つように
なります。
十字架によって、肉の呪いと力から免れる道
は実に単純なものですが、同時に、極めて、
おごそかなものです。