(アンドリュー・マーレー著)の第31日
です。新改訳の一部聖句に違和感を感じ
ました。
(新改訳)
「イエス・キリストは私達を愛して、その
血によって私達を罪から解き放ち、又、
私達を王とし、ご自分の父である神の為に
祭司として下さいました。」(黙示録1-5~)
(リビング・バイブル訳)
「イエス・キリストは地上の、どの王より
偉大で、私達に変わらぬ愛を注ぎ、罪から
解放する為に、自分の血を流して下さいま
した。この方は私達を神の国の民として
集め、父なる神に仕える祭司として下さい
ました。」 この方が納得する。
(口語訳)
「私達を愛し、その血によって私達を罪
から解放し、私達を、その父なる神の為に
御国の国民とし、祭司として下さった方に
」 これも簡潔で判りやすい。
マーレーの本文に移ります。
愛は、全てを容易にします。キリストに対
する、あなたの愛を考えずに、むしろ
聖霊によって与えられるキリストの大いな
る愛を思うべきです。
計り知れないキリストの愛が、あなたに
注がれている事を確信するまで、昼も夜も
静かに、この事に思い巡らしなさい。
多くの魂がキリストの元に引き寄せられる
のは、この十字架の愛を通してなのです。
十字架につけられたイエスとの交わりを
この上なく大切な事と思うようにさせる
ものは、何でしょうか。
その答えが、ここにあります。
それは、キリストの愛が、神の子供達一人
一人に、聖霊の絶え間ない息吹きによって
注がれている、という他になりません。
「イエス・キリストは私達を愛して」
私の魂よ、静まり、そして思え。
この無限の愛が、どんなにか、あなたを
求め、言いようのない喜びで満たそうと
している事か。
「その血によって私達を罪から解き放ち」
これはキリストが私達を決して拒まれる
事がないという、十分な証拠ではないで
しょうか。
キリストは私達を尊い者と、ご覧になり
、その血潮の力をもって、私達を神に
喜ばれる者として下さいました。