からの抜粋です。
神の言葉を受けてユダ国の滅亡を預言した
エレミヤは、国賊と言われ、売国奴と言わ
れて全国の人々から非難攻撃された。
ユダの滅亡の原因は、ユダヤの神殿に、
異教のバアルのアシラ像を設置し、これを
拝した為である。
実際、BC605年に第一次バビロン補囚が始
まる。
エレミヤは人々が、この国を愛しているが
故に、その滅びを嘆いたのである。
しかし、人々には、みんなが栄え楽しんで
いる今、その預言は、人心を撹乱し、人々
を不安に落とし入れる不届き千万な者とし
か映らなかった。
エレミヤは孤独の中で神に祈った。
「私を覚え、顧みて下さい」と、又
「私は、み言葉を与えられて、それを食べ
ました。み言葉は私に喜びとなり、心の
楽しみとなりました」
人から非難攻撃され、人々の中で辱しめを
受けていた彼は、それゆえに、ただ、
み言葉に救いを求めて行ったのである。
ここだけしか自分の生きる場所はない事を
彼は知らされたのである。
笑いさざめく人たちの中では神の言葉を
聞く事は出来ない。神の言葉は、ただ一人
座っている所に聞こえてくる。
誰にも相手にしてくれなかった。みんなか
ら冷たくされた。その一人の時、神の言葉
は聞こえ、慰めを与えられたのである。
私達は、ともすると、笑いさざめく人の
集いを求めやすい。一人でいる事の、寂し
さの故に、大勢の中に自分を置こうとする
。大勢の人に理解され、仲間に入れられる
事に自分の平安や喜びを見出だしやすい。
しかし、そういう所には神との交わりと
いうものは、あり得ない。
神との交わりは、ただ一人、座っている所
に与えられるのである。
「隠れた所の部屋で祈りなさい。そうすれ
ば、隠れた所におられる神が、あなたの
祈りを聞かれるであろう」とある。
私達も、人に知られない隠れた所の生活を
大切にしなければならない。
「朝早く、夜の開ける、よほど前に、
イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、
そこで祈っておられた」(マルコ1-35)