読んでいますが、その手紙の巻頭に、
「キリスト・イエスの使途となったパウロと、
兄弟ソステネからコリントにある教会へ」とあり
ます。この兄弟ソステネについて知るために、
使途行伝18章へ戻ります。
バックストンの「使途行伝講義下」からです。
パウロがコリントのユダヤ人の会堂で福音を語っ
た時に、会堂司クリスポは家族全員とともに主を
信じた。これでは、まずいと思ったユダヤ人は、
別の会堂司を立てました。
クリスチャンとなったクリスポを追放して
ソステネが新しい会堂司になりました。
コリントとケンクレアという町々にパウロは福音
をのべ伝えていました。これらの地域はアカヤ州
に属します。
「ところが、ガリオがアカヤの地方総督であった
時、ユダヤ人たちは一斉にパウロに反抗して
立ち上がり、彼を法廷に引いて行って…。」
「この人は、律法に反するやり方で神を拝むよう
人々をそそのかしています」と言った。
「パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ
人に向かって言った。
『ユダヤ人の諸君、不正な行為や、悪質な犯罪
の事であれば、私は当然、あなた方の訴えを
取り上げるが、言葉や名称や、あなた方の律法に
関する問題であれば、自分達で解決するがよい
。私はそのような事の裁判官になりたくない』」
今、神様の力は不思議な摂理の中に現れました。
ガリオは正しい裁判官でした。パウロに不正や
悪質な犯罪など無く、彼に関して悪い事は言え
ませんでした。ですから、彼らを法廷から追い
出したのです。
そこでギリシャ人は、会堂司ソステネを捕らえ、
法廷の前で打ち叩いた。 ガリオは、そのよう
な事を少しも気にしなかった。
ギリシャ人はユダヤ人を普段から憎んでいまし
た。ガリオが彼らを追い出したので、ギリシャ
人は、このユダヤ人たちを迫害し、そのリーダー
であったソステネを捕らえ、杖で打ちました。
ソステネは、この時にパウロを訴えて、かえって
ギリシャ人たちから打ち叩かれましたが、後に
パウロの親しい友となりました。
パウロがエペソでコリント人への手紙を送った
時に、ソステネが共にいた事がわかります。
ソステネはパウロの親しい友となり、一緒に
旅行しました。
ソステネがギリシャ人から迫害されて打ち叩か
れた時に、パウロが走って行って彼を助けたのか
もしれません。パウロの性格から考えてみると
そうした事が想像できます。
パウロはソステネから迫害されましたが、今
ソステネが迫害されるのを見て、進んで彼を
助け、ギリシャ人の手から彼を救い出したので
しょう。