年度末に息子が持ち帰った冊子をパラパラとめくってみた。
よくあるパターンの「好きな言葉」なんていうのが、学年全員分載っていて「一期一会」とか「ONE FOR ALL.ALL FOR ONE」なんて言葉が並んでいる。
私が学生の頃にも、「好きな言葉」って書いたことがあると思うんだけど・・・私はなんて書いたんだろう??
なんだかあれこれ考えて、考えすぎて、結局すごくありきたりなあたり障りのない言葉を書いたような・・・
さて、では今の私ならどんな言葉を選ぶだろう?と考えてみた。
で、選んだ言葉が“メメントモリ”
前にも旧ブログでこの言葉について書いたことがあるんだけど、この言葉を知ったとき、いろんなことを考えた。
“メメントモリ~死を想え~”
自分が死を迎える時のことを想像してみる。
「ああ、いい人生だった。」そんな気持ちでいられるだろうか。
やりたいことがなにもできなかった、こんなはずじゃなかった、そんな風に思いながら死を迎えるのはいやだ。
いいことがたくさんあったな、まわりのみなさん、ありがとう!そんな風に思って死を迎えたい・・・
そうやって、“死を想う”ことで、“どう生きるべきか”が見えてくる。
多分、学生の頃の私なら、例えこの言葉を知っていたとしても、選ぶことはなかっただろうな、と思う。
若かった頃は、人生の終わりなんて遠い遠い先の話で、時間なんて無限に近いくらい、いくらでもあるような気がしていた。
そんな頃には、“メメントモリ”なんて言葉は心に響かなかっただろう。
そろそろ、人生の折り返し地点を過ぎたかもしれないと思う今日この頃だから、この言葉が心に響くのだろう。
死は誰にでも訪れる。人の死は悲しい。だけど、思う道を生きていければ、逝く人も遺される人も、少しおだやかに死を迎えることができるような気がする。
お葬式の席で「故人を偲んでやってください。それが一番の供養ですから」って言われる、そんな言葉の意味もやっとわかってきた気がする。
お葬式の席で、笑って昔話するなんて不謹慎な気がしていたけど、そうじゃないんだよね。
こんなことがあったね、あんなこともあったねって話してもらえるっていうことは、その人がいい人生を歩いてきたということなんだ。
たくさんの楽しい思い出を語ってもらえる、そんな人生を過ごしたいな。
よくあるパターンの「好きな言葉」なんていうのが、学年全員分載っていて「一期一会」とか「ONE FOR ALL.ALL FOR ONE」なんて言葉が並んでいる。
私が学生の頃にも、「好きな言葉」って書いたことがあると思うんだけど・・・私はなんて書いたんだろう??
なんだかあれこれ考えて、考えすぎて、結局すごくありきたりなあたり障りのない言葉を書いたような・・・
さて、では今の私ならどんな言葉を選ぶだろう?と考えてみた。
で、選んだ言葉が“メメントモリ”
前にも旧ブログでこの言葉について書いたことがあるんだけど、この言葉を知ったとき、いろんなことを考えた。
“メメントモリ~死を想え~”
自分が死を迎える時のことを想像してみる。
「ああ、いい人生だった。」そんな気持ちでいられるだろうか。
やりたいことがなにもできなかった、こんなはずじゃなかった、そんな風に思いながら死を迎えるのはいやだ。
いいことがたくさんあったな、まわりのみなさん、ありがとう!そんな風に思って死を迎えたい・・・
そうやって、“死を想う”ことで、“どう生きるべきか”が見えてくる。
多分、学生の頃の私なら、例えこの言葉を知っていたとしても、選ぶことはなかっただろうな、と思う。
若かった頃は、人生の終わりなんて遠い遠い先の話で、時間なんて無限に近いくらい、いくらでもあるような気がしていた。
そんな頃には、“メメントモリ”なんて言葉は心に響かなかっただろう。
そろそろ、人生の折り返し地点を過ぎたかもしれないと思う今日この頃だから、この言葉が心に響くのだろう。
死は誰にでも訪れる。人の死は悲しい。だけど、思う道を生きていければ、逝く人も遺される人も、少しおだやかに死を迎えることができるような気がする。
お葬式の席で「故人を偲んでやってください。それが一番の供養ですから」って言われる、そんな言葉の意味もやっとわかってきた気がする。
お葬式の席で、笑って昔話するなんて不謹慎な気がしていたけど、そうじゃないんだよね。
こんなことがあったね、あんなこともあったねって話してもらえるっていうことは、その人がいい人生を歩いてきたということなんだ。
たくさんの楽しい思い出を語ってもらえる、そんな人生を過ごしたいな。