近代建築撮影日記

日本全国の近代建築を
大判カメラ、一眼レフ、デジカメなどで
撮影した写真で紹介していきます

旧網干銀行(2019年10月)

2019-10-09 00:06:56 | 近畿

もうすぐレストランとして再生する旧網干銀行。
オーナーのご厚意で、急ピッチで進む改修工事の様子を見せていただきました。

以前投稿した
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
に改修前の写真を紹介していますので、比べてみてください。


 【網干関連の過去投稿記事】(古い順です)

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『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
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『網干商工会館
『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』
『旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)』


開店するレストランの屋号は『旧網干銀行 湊倶楽部』です。
はじめに、この名称について少し触れておきましょう。

まず「旧網干銀行」について。
私自身この建築の事を「旧網干銀行本店」として紹介してきたのですが、
「旧網干銀行網干町支店」という可能性が高くなってきました。
決定的な証拠は有りませんが、
本店は現在のJR網干駅付近にあったという情報があり、
JR網干駅南口にほど近い「荒神社」の玉垣に「網干銀行本店」とあります。


そして、旧網干銀行の建物にほど近い「船渡八幡神社」の玉垣には「網干銀行網干町支店」とあります。

これらの玉垣の事も含めて考えると「旧網干銀行網干町支店」であったのだろうと思われます。


では、何故「湊倶楽部」なのでしょうか?

揖保川河口に位置する網干はかつて、港町として大変賑わっていた。
揖保川の高瀬舟による舟運が終焉を迎え
運送手段が鉄道、トラックに移るにつれてその賑わいは失われ、
ひっそりと遺った銀行や洋館、町家などの建物が往時の繁華を偲ぶのみとなった・・・

外から網干に入られたオーナーはそんな網干の歴史に思いを寄せ、強い気持を込めて名付けたと聞いています。
更に、店舗スタッフには網干の歴史や旧網干銀行のことを学んでもらい、お客様にそういった発信も出来るようにしたい、
ともおっしゃていました。


そして『旧網干銀行湊倶楽部』のシンボルマークとして、旧網干町の町章が使われます。


この紋章は「干」が3っつかと思ったのですが、調べてみると、
「網」の古字「网」と「干」を組み合わせたものであるとのこと。
近藤春夫 編『都市の紋章 : 一名自治体の徽章』(行水社・大正4)21ページ
に事の詳細があります。
ちなみに、網干小学校の校章はこれに「文」を組み込んだもの。

旧網干町役場の正面玄関に同じマークのエンブレムが見えます。

この写真は昭和33年、姫路市網干支所時代のもの。


それでは改修途上の旧網干銀行を見ていきましょう。

屋根。足場に登らせていただきましたが、最上部は細い手摺りのみで目隠しも無い。結局、怖くて建築の正面まで行くことができませんでした・・

銅板葺きと思っていたのですが、波型スレートですね。後の改修でしょうか?

昭和初期の絵葉書を見ると・・

分かりにくいので、拡大します。

登って撮影したのとは反対の面ですが、屋根がうろこ状に葺かれています。これを見て、ドーム部分と同じく銅板葺きかなと思っていました。
ドーム上には何やら装飾が付いているようですね。残念ながら、この写真だけではデザイン等は全く分かりません。

現状を見ると、該当する位置に釘のようなものが残っています。

雹に打たれたような痕が点々と見えますね。長年の風雨に耐えた証しです。

登った記念に網干パノラマ写真を撮影。(3枚写してフォトショップで合成)

絵葉書では重厚な本瓦葺きの甍が続いていたのですが、その面影は少なくなっています。

二階の壁面。こんな近くで見れるのは、今だけです。







全てを塗り替えるのではなく、傷んだ部分だけをモルタルで補修しています。
古い部分は出来るだけ残す。文化財修復の基本ですね。

では、下から順番に見ていきましょう。


一階外部西面南側、洋服店時代にショーウインドーがあった場所にコンクリートが打たれています。


この建築にはトイレが無いので、ここに増設するそうです。

正面の仕切塀はトイレの内壁になるようです。

姫路市の都市景観重要建築物等のプレートも新しくなりました。

おそらく申請時の登録名が「旧網干銀行本店」となっているのでしょう。前述の通り「本店」ではない可能性もあるのですが。

そしてこちらは、都市景観重要建築物に指定された記念に配られたポケットティッシュ。

おや、古絵葉書に写っている面の屋根も波型スレートですね。ということは、このスレートは後の葺き替えで間違いありません。

それでは内部を見ましょう。まず、少し前の9月末時点の状態。
一階北東向きに撮影

壁が取り除かれ、シャンデリアのある個室になっていた部分が見えるようになりました。

南東向きに撮影

金庫が見えるようになりました。

東向きに撮影


そして、10月6日。
正面入り口内部。

入り口ドア上部にペディメント(三角の破風)が付いていたのでしょうか?
拡大して見ると・・

アーチを積むときのように、煉瓦が斜めに積まれているのが分かります。

そして、入り口の左脇に露出した煉瓦。

左右で煉瓦の大きさが違いますね。見せる面を変えているようです。壁自体の厚さにも差があるのでしょうか?
この建築は煉瓦造ですが、構造体の煉瓦は外壁と内壁に隠れて見えないように造られていました。
今回の改修で構造体の煉瓦を垣間見ることが出来ましたが、レストラン開業時にはその殆どが再び隠されてしまいます。
ちなみに外壁に見える煉瓦部分は化粧煉瓦と云って、タイルのようなものです。東京駅もそうですね。

北西向きに撮影


北面

左の窓上部に煙突孔があります。この部分、よく覚えておいてください。二階に関連するものがあります。

北東向きに撮影


南向きに撮影

右(西側)にトイレが出来ます。

この煉瓦は見せるようにするそうです。


二階は西半分を撤去。天井が見えるようになりました。




金庫室扉


一階奥の部屋。前回「位置的に考えると頭取室か?」という事で紹介した部屋です。

この部屋の、腰板と扉は旧赤穂塩務局網干出張所とそっくり同じです。内壁が漆喰というのも同じ。
更に言うと網干商工会館の扉も同じデザインで、内壁も漆喰でした。同じ施工業者である等の関連性があるかもしれません。

天井漆喰が少し落ちています。もろくなっているので、傷んだ壁面を斫る(はつる)など、振動を伴う作業中にパラパラと落ちたりするそうです。


右手の階段を上って二階へ向かいます。


手摺りや階段には養生が。

階段には赤絨毯を敷くそうです。

明り取りがあった階段室天井。

こちらも漆喰が落ちそうなので覆ったそうです。

明り取りの窓が抜けているので、天井裏の小屋組みを見ることが出来ました。

右下に見える天井板はすのこ状になっています。

二階の床が抜けた部分からも、すのこ状の天井板が見えます。

塗った漆喰を固定するためにすのこ状の隙間が造られているとのことです。

二階金庫


二階には、バーカウンターが出来るそうです。


この回廊は分離したまま残すそうです。


床は、旧山本家住宅を思わせる寄木張りです。

元、畳の間が入っていた部屋。


この部屋の半分は元の漆喰壁を残すそうです。

このような個室にも客席が造られ、10人ぐらいまでのグループの貸し切りも可能になるようです。

もろくなった天井の漆喰はパラパラ落ちる可能性があるので、下部に新たな天井を作るそうです。

漆喰鏝絵の技法で塗られた天井は隠れてしまいますが、そのまま後世に遺されます。

二階東端の部屋

少し雨漏り痕も見え、傷んでいます。よく見ると、煉瓦に穴が?
拡大して見ましょう。

煉瓦一個分の穴が開いており、木煉瓦を挿すほぞ穴だという事です。

同じ部屋の中に、

赤矢印のような「幅木」が付いていますが、煉瓦の穴は幅木をしっかり固定するためのほぞ穴です。
そして、黒矢印のものは何だか分かりますか?
そう、一階の窓に煙突孔があった所の取り換えパーツとでもいうのでしょうか、窓ですね。

この部屋の漆喰鏝絵の技法で塗られた天井も覆われ、しばしの眠りにつきます。

※オーナーにお聞きした話を元に、レストラン開業時の店内のことにも触れましたが、古い建物の再生という性質上計画変更の可能性がありますのでご了承ください。



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