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多くの趣味は、全てがワタクシsinnに必要なモノなのです。

デザインのチカラ

2012-04-05 02:37:12 | 日々のコト
こないだ被災地に行ったのを機に改めて
「何かできないか?」と考えているわけですが、すごいモノを知ってしまった・・・

ocica」という手仕事ブランド。
公式サイトによると、
東北(宮城県牡鹿半島)のお母さん達による、手仕事のブランドです。
とのコト。



何がいいって、デザインがいいんです。
ロゴとかサイトもしっかりしてるし、誰が作ってるのかな?
と思って調べてみたら、NOSIGNERと言うデザイン事務所がやってるらしい。

これすごいコトじゃないですか?

・雇用(収入)を生み
・地元の素材を使い
・お母さん達が自ら作れて
・さらにデザインがいい

これほんっっっっっとにすごい。

デザイナーが出来る復興支援の、ほとんど完璧なカタチに近い思う。
これやった人ほんとにすごい。すげー尊敬する。

と、強く思ったのも、こないた女川でいろいろ買った時に
なかなか欲しいと思えるデザインのモノがなかったんですね・・・
ひとことで言ってしまうと、ダサイのです・・・
「買うコトで支援を」って思っても、二の足を踏んでしまう・・・

でも、たとえばオレがデザインしてステッカーを作ったとしても、
それはそこだけで終わってしまう。これでは課題は解決できてない。

ocicaは、復興支援における、たくさんの課題を解決している、
ものすごい例だと思う。

デザインの可能性ってすげえ。
こんな事が出来るデザイナーになりてぇなぁ。

女川へ。

2012-04-01 22:33:42 | 日々のコト
3.11から一年たち、震災後はじめて母の実家に行こうという話になりました。

宮城県牡鹿郡女川町。三陸らしいリアス式海岸で有名な漁業の港町。
さらに、そこから船で30分の離島「江島」に母の実家があります。
「島」という環境は楽しくて、
中学入るまでは、夏休みは毎年なが~く遊びに行ってました。

3.11。

あの日、女川は津波によって壊滅的な被害にあい、
wikiによると死者488人・行方不明者454人。
女川の人口は1万人・・・てことは10人に1人が・・・ってコト。

あの日の女川が映像はコチラ
(Youtubeより)

結論から言うと、江島への船は波が高くて欠航。
残念ながら渡れませんでした。
それでもなんとか女川までは行こうというコトで、
両親・叔父叔母・従姉妹あわせて9人で行ってきました。

言葉も無いけど、実際見慣れた風景はまったく変わってしまってました。
正直変わりすぎてて、駅とか待合所とかも
「あのへんだったよね?」くらいしか分からないほどでした。


見えているのはビルの底面


地盤沈下で地形がすっかり変わってる




前は堤防で見えなかった江島が、今はよく見える


この高台の病院の2階まで津波がきたらしい


こちらも横倒しのビル




この辺も懐かしいんだけど、すっかり別の景色




マリンパルもなんとか形を残してるって感じ








高台に行く途中の手すり。すでに高い位置だけどぐしゃぐしゃ。


外灯の根本もぐにゃって曲がってる


ご冥福をお祈りいたします。


病院の裏手の高台へ。いとこ達と。


女川を一望。壊滅的。


こちらは10年前に撮ったもの。


鉄製の手すりが無くなってる。


土台はぐにゃぐにゃ。当たり前だけど触ると堅いってゆう違和感。




島に渡る時、そっと車を停めてた役場は、まだ片付いてません。




いまだに車が建物の中に・・・


少しでも江島の近くへと、高台の公園へ。3姉妹(母・叔母・叔母)


行きたかったなぁ。江島と足島と平島。


津波で壊れた堤防はこの辺の下にあるらしい。


コンテナで営業中の復興屋台村。行った際は是非。


奥~~~の方が海なんだけど、こんな遠くまで壊滅的。



震災後はじめて被災地に行ったけど、1年たっても全然なにも終わってなくて、
というか「復興」のスタートラインにすら立ってない印象。
(近いうち石巻の叔父の家跡もアップするけど、そっちもすごい)

関東に住んでると、どーしてもどっか気持ちが薄れたりしてたけど、
今回改めて深く考えさせられました。

なかなか親族でもいないと行く機会もないかもだけど、
本当に現地を見てもらいたいと思いました。ボランティアだっていいし。
行って、そして見ることで、再度認識できると思うから。

夏には江島リベンジしたいなぁ。