1,2年に一度気持ちの区切りとして娘の話を日記に書いてきました。
知的障害者の娘の話です。
長くなります。
お急ぎの方は読まない方がいいかと<(_ _)>
娘は28歳。ダウン症。心臓に穴が開いて生まれる。
小さい赤ちゃんだった。
生後1ヶ月経っても生まれた時と変わりない大きさと体重。
幸いにも心臓の穴は小さかったため、生後数カ月で穴が塞がって、それから少しづつ大きくなりました。
今、何キロあるかって?
ふふふ・・・・ 多分90キロぐらいはあるのではないんでしょうか
4歳で障害児の訓練所が併設されている幼稚園に通園。
お弁当持参の幼稚園だったのですが、娘はこの頃咀嚼力が弱く、柔らかいものや細かく刻んだものしか食べれなくて…
肉は引き肉も噛むことが出来なくて食べることが出来ず、魚を細かく解したのを入れたり、野菜を細かく刻んだり、
離乳食のような弁当でした。
この時弟がまだ1歳になる前。
併設の保育園に預けての通園。
この子もお弁当持参で、種類の違う離乳食を二つ、私の弁当もとなると、洗濯を干して出かけるまで戦争でしたよ。
そう、自転車とバスを乗り継いで二人を連れての通園がしんどくて、車の免許を取ったのがこの時のことです。
私30歳。最短1ヶ月で免許を取りました。
ふふふ、今思い出しても凄かったのが、教習所に娘を連れて行って数日で危ないから連れてこないでほしいと断られて
やむなく家に鍵を掛け、赤ちゃんだった弟と二人家に残して行った時のこと。
仕事中様子を見に行った主人が目にした光景…
ウンコまみれのベビーサークル…
家具も床も壁も部屋中が、粉ミルクで真白け…
ついでにウンコも塗りたくられ…
いやいや~~ 素晴らしい光景でした。
娘は私に似て障害児でありながら物凄く行動的で、やっと歩けるようになった弟を連れて始終行方不明に。
娘自身も養護学校を卒業するまで、数えきれないほど行方不明になりました。
今思いだしても悔しくてたまらないことが。
幼稚園の時また行方不明になって探していたら警察からの電話。
言われました…
柱に紐で縛りつけておけ!! ってね…
悔しくて悔しくて家に帰ってからわんわん泣きました。
娘には武勇伝が数々あります。
紳士服店の広い駐車場いっぱいに広げた我が家の衣類事件。
弟の小学校の池に裸で入って金魚追いかけ事件。
その学校のピアノを弾いたり、弟のクラスで一緒に給食を食べたりも
幼稚園の園庭中に撒いた我が家の写真事件。
バス無賃乗車で乗り継ぎして運転手に首根っこを掴まれて怒鳴りこまれた事件(我が家の真前がバス停)
等々…
娘は、10まで数えることが出来ません。
ママパパが言えるようになったのは小学校に入ってからですね。
それでも、カセット、MDに録音出来たり、説明書が読めなくても誰も教えなくてもオーディオ機器を操作できるのが不思議?
自転車も自分で練習して乗りこなしました。
今の娘は私が山やランニングでいない時、仕事で忙しい時は家の家事もこなしてくれます。
いろんな手伝いが出来るようになりました。
幼稚さと大人の女性らしさが混在してる娘。
私がボケた時、その手を引いてくれるのはこの娘だろうなあと…
孫のおむつを取り替えたり、ミルクをのませたり世話好きの娘です。
きっと私のおむつも取り替えてくれるだろうなあと…
今回の話はこれでおしまい。
さて、次はどんな話になることやら
ああ~~~ 長かったね