「ロボットと心」についての本があります:
柴田正良 『ロボットの心-7つの哲学物語-』、講談社現代新書1582、講談社(2001)
喜多村直 『ロボットは心を持つか-サイバー意識論序説-』、共立出版(2002)
喜多村直 『ロボットは心を持つか-サイバー意識論序説-』、共立出版(2002)
柴田は、物理還元主義の立場からロボットにヒトと同じ意識を持たせることは可能だとしています。
しかし、物理還元主義には致命的欠陥があるということを忘れてはいけません。
喜多村は、ロボットにサイバー意識を持たせることができるとしています。
しかし、このサイバー意識はヒトの意識とは異質なものです。
AlphaGo(アルファ碁)で一躍有名になった機械学習に深層学習(ディープラーニング)があります。
ニューラルネットの最新版です。
この深層学習を含めて人工知能の過去から現在までの研究をコンパクトにまとめたものが出版されました:
竹内郁雄編『AI 人工知能の軌跡と未来』、別冊日経サイエンス、No.216(2016.11)
この中に神経生物学者コッホとトノーニの”人工知能の意識を測る”という記事があります。
彼らの提唱する意識の統合情報理論は、意識の謎を解くものだといいます。
かなり高度な理論体系であり、意識の起源を解明できると主張しています。
意識の高度な情報処理機能を説明できることは広く認められていますが、意識や心の本質の説明には程遠いと思われます。
人工知能や神経生物学の研究者は、意識の高度な機能を説明する理論体系の構築には成功していますが、意識の本質の説明にはなっていません。
あくまでも脳の情報処理機能の説明に留まっています。
その明白な理由が二つあります:
(1)乳幼児には成人のような高度な知的能力はありませんが、意識や心はあります。
(2)意識や心はクオリアと不可分の関係にあります。
最近の人工知能の理論は、これらについてどのように説明できるのでしょうか?
「知的能力があれば心や意識もある」という理解は、
「知的能力がなければ心や意識もない」ということにつながりかねません。
これは、脳科学、認知科学、人工知能に携わる研究者の危険な思想です。
そこで、この思想を人工知能の開祖であるチューリングに因んでチューリングの危険な思想と名付けます。
ロボットやコンピュータに心や思考能力を認める強いAI主義者は、心と知能とを同一視します。
彼らは、我々の知能と見分けが付かない知能をもつロボットやコンピュータには心があると主張します。
この考え方の開祖は、自動計算機、暗号器、数学基礎論などで有名なチューリングです。
この主張は、「機能が同じならそれを実現しているシステムは同じとみなせる」という立場によるもので機能主義とも呼ばれます。
強いAI主義者には「機能が同一なら実体も同一」という強固な思い込みがあります。
強いAI主義者には「機能が同一なら実体も同一」という強固な思い込みがあります。
しかし、一般人にとって心と知能を同一視することにはかなり違和感があります。
心には知能のほかに生き生きとした感覚や意識があるからです。
これらは、人工知能やニューラルネットなどの無機物では扱えません。
心には知能のほかに生き生きとした感覚や意識があるからです。
これらは、人工知能やニューラルネットなどの無機物では扱えません。
(1)いくら人間とよく似た行動をするロボットがあったとしても
(2)ロボットが人間と同じ意味で”生きている”と主張する機能主義者はいません。
機能主義者は、心の概念は生命とは独立なものであると理解しています。
心に対するこのような偏った捉え方は、一般人には到底受け入れられません。
機能主義によれば臭いを判別する人工センサーにヒトと同じ感覚があることになります。
これは、ナンセンスです!
何故なら、
(1)人工センサーの機能はすべて物理則で説明できますが
(2)感覚そのものは物質現象ではないので物理則では説明できないからです。
”赤い”という感覚(クオリア)と赤色光の波長とは全く異質であり、互いに還元できません。
クオリアは、感覚野によって情報が具象化されたものです。
ロボットにはこの感覚野がないのでクオリアは生成出来ません。
ロボットの脳に相当するニューラルネット内部の過程は、すべて計算過程あるいは情報処理過程です。
言い換えれば、0と1からなる世界です。
それ以上でも以下でもありません。
前野隆司は
『脳はなぜ「心」を作ったのか-「私」の謎を解く受動意識仮説』、筑摩書房(2005)
の中で、ロボットに「心」を作ることができると主張します。
大胆にも我々の感情や感覚などは錯覚にすぎないと言います。
この主張は、唯物論者のものと同じです。
の中で、ロボットに「心」を作ることができると主張します。
大胆にも我々の感情や感覚などは錯覚にすぎないと言います。
この主張は、唯物論者のものと同じです。
人工知能やロボットの研究者は、「ロボットやコンピュータに心を持たせることができる」という挑戦的な宣伝で予算および人材の獲得に努めています。
意外なことに、日本を代表する哲学者の一人である大森荘蔵は、『物と心』、第1章、第5節”ロボットと意識”の中で次のように述べています:
”ロボットの意識の有無は科学理論や実験室で一挙にきめれてるものではない。
人間とロボットの長い歴史の中で徐々にその答えが形成されていくものなのである。
いま、あえてそえを予測するならば、ロボットは意識をもつことになるだろう、といいたい。”
大森荘蔵『物と心』、p.100、岩波書店(1976)
この主張は、ロボットの意識というテーマに関して大森が機能主義者であることを示しています。
目に入る光の強度とそれに対する視覚的な印象の強さとの間には
ヴェーバー・フェヒナーの法則が成り立つことが精神物理学で知られています。
音や温度などに対しても同様な法則が成り立っています。
音や温度などに対しても同様な法則が成り立っています。
しかし、感覚の印象の強さと感覚そのものとはカテゴリーが違います。
前者は量で表現できますが、後者は量では表現できません。
(1)精神物理学的法則が成り立つからといって
(2)感覚そのものを物理的に説明できるとは言えません。
脳の情報処理をモデル化したニューラルネットは、パターン認識器やロボットに利用されています。
これは、神経回路を一種の計算回路とみなすことがある意味で妥当なことを示しています。
情報処理の場合には数理モデルあるいは記号処理モデルが可能です。
しかし、感覚自体にはこの種のモデル化は原理的に不可能です。
感覚と実数・記号とはカテゴリーが違うからです。
しかし、感覚自体にはこの種のモデル化は原理的に不可能です。
感覚と実数・記号とはカテゴリーが違うからです。
科学が言語を用いた学問であることを踏まえると、心を科学で説明することには限界があるのです。
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!