JUN先生へ
今日は甥っ子と母親を心配して下さって携帯にメールまでくださり、まことにありがとうございました。
実は現在、私ども夫婦にも手が出せないような状況です。そんななかで先生が「GWに会いにいってもいい」とご連絡くださったことは、私たちには大きな心の支えになりました。
母親は甥っ子がいない間に、いつのまにか登校拒否と家庭内暴力そして無気力なゲーム漬けになったのは「学校の先生が息子の言い分をきちんと聞いてくれなかったから」と思い込むようになりました。実際にPTAで大騒ぎしたそうです。母親はPTAの役員をしていましたのであちらこちらに働きかけて、その先生を中学校から追い出すことに成功、そのことをさも「親として当然のことをした」といわんばかりに甥っ子に連絡したそうです。
「おまえの大嫌いな先生をママの力で追い出してやったからね。これでこっちに帰ってこれるよ」と。
甥っ子は大喜びしたそうです。
そして母親は私たちのところにも電話をしてきました。
「あんなところに一年もいろだなんて、あの子によくも言ってくれたわね!もしも自殺なんかしたらどうするのよ!一年もあんなところにいたらあの子はますますだめになっちゃうわ!もう、すぐにこっちに帰すことにしたから」
私たちは驚きました。
もちろん、甥っ子を立て直すためにあの山奥の学校を選んだわけですが、もうひとつ大切な理由がありました。擦り切れている祖父母の気持ちを建て直し、したの二人の子供の養育をきちんとしてもらおう・・・そのためにも反抗期であれている甥っ子は別の場所に、さらに心が荒みきっている母親とは離した方がいいだろうと考えてのことだったのです。母親自身も「あんな元夫にそっくりなダメ息子の顔は見たくないからどこかに連れて行ってよ!!」と泣き叫んだのです。「あの子さえいなければ、この家は安泰なのよ!私も心が落ち着くのよ」なんていっていたのです。やはり臨床心理士の先生のおっしゃるとおり、だんだんと母親のやることなすこと支離滅裂になってきているのですね。
祖父母は自分たちの娘、つまり母親がおかしくなったのは、自分たちのせいだといいつつ、互いに心のそこで「わたしじゃない、おばあちゃん(おじいちゃん)の育て方が悪かったんだ」と責めるようになってしまいました。そして母親に対してもますますおかしな行動を取るようすに、受け入れがたくなったようで以前よりも冷たい態度でせっしているようなんです。
夫が電話で母親、祖父母の三人を説得しました。
母親には、何故甥っ子が山奥の学校にいくことになったのか思い出してほしいといいました。
そして、いまの家族の状態で甥っ子が帰ってきても元の木阿弥か、もっとひどいことになるだろうし、祖父母も耐え切れないだろう、と。少なくとも一年はむこうでがんばることが甥っ子のためにもなるだろうと話しました。これは学校の先生の問題ではなく、家族全員の問題なのに、責任をほかへなすりつけて論点をすりかえるのは止めて欲しいといったのです。
「あの子がああなったのは、私のせいだっていうの?」
「ああそうだ。他にだれがいるっていうのさ。だから、姉貴もかわらなきゃ。あの子も山奥でがんばってるんだ。姉貴がかわらなくては、なんの問題解決にもならないだろ?で、姉貴がそこまで追い詰められちゃったのは親父とオフクロの問題。だからまわりの大人たちがかわらなきゃ、あの子はよくならないよ」
その後、半狂乱で泣き喚き、あんたまで私を責めるのね、私は誰を頼ればいいのよ!!私が悪いなら私が子供を連れてこの家を出てけばいいんでしょ!と一方的に電話が切られました。
その後、祖父母に電話をして一刻も早く臨床心理士の先生のいうとおりに「母親を一人暮らし」させて、ひとり素直になったところで病院に連れて行くという方法を取るように伝えました。
祖母「どうしても、あの子をひとり出すの?」
夫「そうだよ。子供たちはオフクロと親父がみるんだ。大丈夫。僕たちも手伝うから」
祖父「何故わざわざ一人暮らしさせるんだ?お前がおかしいから病院へいけといえばすむだろう」
夫「姉貴の様子をよくみてみなよ。息子の問題がいつのまにか先生のせいになってるんだよ。臨床心理士の先生はそこもちゃんと見抜いてる。今の姉貴ならひとりにさせたらきっと何も出来なくなるだろう。心のそこから助けが必要だと自分自身が思わなければ、あのタイプはダメなんだそうだ。そうでなければ、『この先生は信用ならない』と思った瞬間から病院ショッピングが始まって病状が悪化するのだそうだ」
祖父母「病院ショッピング?」
夫「うん。こっちの病院、あっちの病院と転々とするんだって。心の病でそれは致命的らしいよ。だんだん治せなくなるんだそうだ。」
この話に祖父母は精神的に立ち直れなくなったようで、ママンのところに電話がありました。
祖母が「もう、なにも考えたくない」と・・・。
甥っ子がGWに帰ってきたらきっと、母親と揉めるだろう。今度という今度はきっと刃物沙汰になるかもしれない・・・。
ママンはこういうしかありませんでした。
「おかあさん、私たちはどんなことも受け止める覚悟をしています。でももうここまで原因がわかったのです。あと一歩のところだと思うのです。あとはおかあさんたちが動いてくれないと何も変わりません。おねえさんを一刻も早く専門医にみせられるような状態にする、それしか方法はないのですから。まだGWまで時間があります。辛いでしょうが、なんとか動いてください。お願いします」
ところが一ヶ月近くあったにもかかわらず、祖父母は何もしませんでした。
そして甥っ子はまた学校で問題を起こし、GWに帰ったらもう戻らないとわめいているようです。
母親は・・・あれからママンにも電話がありましたが、夫と同じ話を繰り返したので電話は切られてしまいました。どうなるのか・・・。GWが過ぎても甥っ子が学校に戻らないかもしれません。それで何かしら揉めることがあるかと想像しています。
夫は「やるべきことはすべてした。甥っ子にも魂をかけて先日話をしたのだ。これでわからないようなヤツならもう、見切りをつける。そうしてもいい年頃なのだ。姉貴のことは親父とオフクロの問題だからこれ以上は相談にのるな。もう、ほっとけ。俺たちが出る幕ではないのだ」と悲しそうな顔で言うのです。
じゃあ、したの子供たちは?まだ幼い二人が残っているよ・・・。今日もまた荒みきった家庭で悲鳴を心の奥であげているかもしれないよ・・・そう思いましたが、ママンはいえませんでした。
夫も辛いのです。
私たちの家族になんの心配も不安もないだけに、いつも楽しそうにしていながらふっと暗い顔をするのです。それはきっと・・・なにを思っているかわかるだけにこれ以上は何もいえないのです。
JUN先生。
先生があの山奥の学校をおやめになって、すでに新しい生活が始まっているというのにこうして甥っ子のことを気にかけてくださって、本当に有難いのです。後ろで先生が力強く「いつでも駆けつけますよ!」とおっしゃってくださるかと思うだけで、私たちには「まだ、手段がアル!最後の切り札がアル!」と頑張れるのです。GWはママンたちでなんとかしてみます。またご相談することもあるかと思いますが、どうぞそのときはよろしくお願いいたします。
先生もお体に気をつけてお過ごしくださいませ。多くの迷える子供たちのためにも、先生のご活躍を祈っています。ママンより
今日は甥っ子と母親を心配して下さって携帯にメールまでくださり、まことにありがとうございました。
実は現在、私ども夫婦にも手が出せないような状況です。そんななかで先生が「GWに会いにいってもいい」とご連絡くださったことは、私たちには大きな心の支えになりました。
母親は甥っ子がいない間に、いつのまにか登校拒否と家庭内暴力そして無気力なゲーム漬けになったのは「学校の先生が息子の言い分をきちんと聞いてくれなかったから」と思い込むようになりました。実際にPTAで大騒ぎしたそうです。母親はPTAの役員をしていましたのであちらこちらに働きかけて、その先生を中学校から追い出すことに成功、そのことをさも「親として当然のことをした」といわんばかりに甥っ子に連絡したそうです。
「おまえの大嫌いな先生をママの力で追い出してやったからね。これでこっちに帰ってこれるよ」と。
甥っ子は大喜びしたそうです。
そして母親は私たちのところにも電話をしてきました。
「あんなところに一年もいろだなんて、あの子によくも言ってくれたわね!もしも自殺なんかしたらどうするのよ!一年もあんなところにいたらあの子はますますだめになっちゃうわ!もう、すぐにこっちに帰すことにしたから」
私たちは驚きました。
もちろん、甥っ子を立て直すためにあの山奥の学校を選んだわけですが、もうひとつ大切な理由がありました。擦り切れている祖父母の気持ちを建て直し、したの二人の子供の養育をきちんとしてもらおう・・・そのためにも反抗期であれている甥っ子は別の場所に、さらに心が荒みきっている母親とは離した方がいいだろうと考えてのことだったのです。母親自身も「あんな元夫にそっくりなダメ息子の顔は見たくないからどこかに連れて行ってよ!!」と泣き叫んだのです。「あの子さえいなければ、この家は安泰なのよ!私も心が落ち着くのよ」なんていっていたのです。やはり臨床心理士の先生のおっしゃるとおり、だんだんと母親のやることなすこと支離滅裂になってきているのですね。
祖父母は自分たちの娘、つまり母親がおかしくなったのは、自分たちのせいだといいつつ、互いに心のそこで「わたしじゃない、おばあちゃん(おじいちゃん)の育て方が悪かったんだ」と責めるようになってしまいました。そして母親に対してもますますおかしな行動を取るようすに、受け入れがたくなったようで以前よりも冷たい態度でせっしているようなんです。
夫が電話で母親、祖父母の三人を説得しました。
母親には、何故甥っ子が山奥の学校にいくことになったのか思い出してほしいといいました。
そして、いまの家族の状態で甥っ子が帰ってきても元の木阿弥か、もっとひどいことになるだろうし、祖父母も耐え切れないだろう、と。少なくとも一年はむこうでがんばることが甥っ子のためにもなるだろうと話しました。これは学校の先生の問題ではなく、家族全員の問題なのに、責任をほかへなすりつけて論点をすりかえるのは止めて欲しいといったのです。
「あの子がああなったのは、私のせいだっていうの?」
「ああそうだ。他にだれがいるっていうのさ。だから、姉貴もかわらなきゃ。あの子も山奥でがんばってるんだ。姉貴がかわらなくては、なんの問題解決にもならないだろ?で、姉貴がそこまで追い詰められちゃったのは親父とオフクロの問題。だからまわりの大人たちがかわらなきゃ、あの子はよくならないよ」
その後、半狂乱で泣き喚き、あんたまで私を責めるのね、私は誰を頼ればいいのよ!!私が悪いなら私が子供を連れてこの家を出てけばいいんでしょ!と一方的に電話が切られました。
その後、祖父母に電話をして一刻も早く臨床心理士の先生のいうとおりに「母親を一人暮らし」させて、ひとり素直になったところで病院に連れて行くという方法を取るように伝えました。
祖母「どうしても、あの子をひとり出すの?」
夫「そうだよ。子供たちはオフクロと親父がみるんだ。大丈夫。僕たちも手伝うから」
祖父「何故わざわざ一人暮らしさせるんだ?お前がおかしいから病院へいけといえばすむだろう」
夫「姉貴の様子をよくみてみなよ。息子の問題がいつのまにか先生のせいになってるんだよ。臨床心理士の先生はそこもちゃんと見抜いてる。今の姉貴ならひとりにさせたらきっと何も出来なくなるだろう。心のそこから助けが必要だと自分自身が思わなければ、あのタイプはダメなんだそうだ。そうでなければ、『この先生は信用ならない』と思った瞬間から病院ショッピングが始まって病状が悪化するのだそうだ」
祖父母「病院ショッピング?」
夫「うん。こっちの病院、あっちの病院と転々とするんだって。心の病でそれは致命的らしいよ。だんだん治せなくなるんだそうだ。」
この話に祖父母は精神的に立ち直れなくなったようで、ママンのところに電話がありました。
祖母が「もう、なにも考えたくない」と・・・。
甥っ子がGWに帰ってきたらきっと、母親と揉めるだろう。今度という今度はきっと刃物沙汰になるかもしれない・・・。
ママンはこういうしかありませんでした。
「おかあさん、私たちはどんなことも受け止める覚悟をしています。でももうここまで原因がわかったのです。あと一歩のところだと思うのです。あとはおかあさんたちが動いてくれないと何も変わりません。おねえさんを一刻も早く専門医にみせられるような状態にする、それしか方法はないのですから。まだGWまで時間があります。辛いでしょうが、なんとか動いてください。お願いします」
ところが一ヶ月近くあったにもかかわらず、祖父母は何もしませんでした。
そして甥っ子はまた学校で問題を起こし、GWに帰ったらもう戻らないとわめいているようです。
母親は・・・あれからママンにも電話がありましたが、夫と同じ話を繰り返したので電話は切られてしまいました。どうなるのか・・・。GWが過ぎても甥っ子が学校に戻らないかもしれません。それで何かしら揉めることがあるかと想像しています。
夫は「やるべきことはすべてした。甥っ子にも魂をかけて先日話をしたのだ。これでわからないようなヤツならもう、見切りをつける。そうしてもいい年頃なのだ。姉貴のことは親父とオフクロの問題だからこれ以上は相談にのるな。もう、ほっとけ。俺たちが出る幕ではないのだ」と悲しそうな顔で言うのです。
じゃあ、したの子供たちは?まだ幼い二人が残っているよ・・・。今日もまた荒みきった家庭で悲鳴を心の奥であげているかもしれないよ・・・そう思いましたが、ママンはいえませんでした。
夫も辛いのです。
私たちの家族になんの心配も不安もないだけに、いつも楽しそうにしていながらふっと暗い顔をするのです。それはきっと・・・なにを思っているかわかるだけにこれ以上は何もいえないのです。
JUN先生。
先生があの山奥の学校をおやめになって、すでに新しい生活が始まっているというのにこうして甥っ子のことを気にかけてくださって、本当に有難いのです。後ろで先生が力強く「いつでも駆けつけますよ!」とおっしゃってくださるかと思うだけで、私たちには「まだ、手段がアル!最後の切り札がアル!」と頑張れるのです。GWはママンたちでなんとかしてみます。またご相談することもあるかと思いますが、どうぞそのときはよろしくお願いいたします。
先生もお体に気をつけてお過ごしくださいませ。多くの迷える子供たちのためにも、先生のご活躍を祈っています。ママンより
“人が集まれば楽しさは共有でき、苦しみは分け合える”そんな言葉が脳裏をかすめました。一人ではありません。微力ながら私も全力で甥っ子さん、下の子たち、お母さん、そのご両親と向き合うつもりでいます。
感謝されることは何もしてないですが、人として出来ることを常に全力でやっていきます。後悔だけはしたくないですから。
では、24時間年中無休で対応しますんでいつでもご連絡下さい。
忙しい身なのにいつも本当にありがとうございます。
そうですね。ママンも後悔したくないと思ってここまできました。あの山奥の学校を見つけたのも先生と出会うためだったのかもしれません。
本当にありがとうございます。
こんな言葉しかいえないですが、いつも感謝しています!!
最近のブログを見ていて、何かあるのかしら?と、気になっていました。大変な事になってますね。
軽々に何か言えないけれど。。
ご主人のおっしゃる事も一理あるとも、思いますし。
私はブログでとっても助けられています、今は日課にまでなってしまって。ママンさんにも随分励ましてもらって、ここまできました。
ママンさんにも大勢の方が、付いていますよ!
またまたkyoさんからパワーをいただきました!そうですね、みなさんがついてると思うとまた頑張れます!
お母さんは学校の役員もなさっているんですか。幾ら何でも一人きりでは先生を追い出す事はできませんから、クラスの多くの父兄も先生には思う所があったのでしょうかね?
おじいさんおばあさんも、現実を見るのは辛い事だけど、この問題が解決しないと、孫が3人とも悲しむ事になってしまうと思うんですよ。
ご主人の言う通りだと思うんですよね。きっと長男さんは判ってくれると思います。ママンさん、応援してますよ。みんなで楽しく暮らせる日が来ますように!
本当は 甥っ子君のお母さんにも観て欲しいなって思うけど きっと今は無理だろうから ママンさんが楽しんで観てくれれば いいなと思いTB送りました。
実は祖父母に一番踏ん張ってもらわないといけないときなのです・・・。確かに老いてからのこの出来事は本当に気の毒なんです。でもやっぱりここでアネが救われないと三人の子たちも・・・・・。
無条件の愛、無償の愛を伝えられるのは親から子へだけなんだと痛感しました。それを超えられるのは宗教だけなのかもしれません。
幸いにしてJUN先生と出会い、甥っ子は気がついていないかもしれませんが、彼にとっては幸せの選択肢が増えました。アネにもその選択肢を増やしてやりたいのです。そのためにはまず、医者にかかることが先決ですものね。
sakeさん、ほんとにほんとにありがとうございます。sakeさんのブログも大きな支えです!!
連休が終わったら早速レンタルしてみます。
アネにも機会があったらそれとなく貸し出してみようかしら・・・。おっしゃる通り、今は無理だとは思うけど、いつか必ず見せますね。