ピロソピア愛知

幼年期のピロソピーかんがえる

AIIBへの参加を促してた売国奴// 引退ー輿石東/北沢俊美/江田五月/直嶋正行//帰化疑惑//他 

2016-02-08 | 平和ボケ!覚醒!子々孫々のために!

【ご紹介】

 

 https://www.youtube.com/watch?v=N3LuH-iIiEA 

【中国バブル崩壊】AIIBへの参加を促してた売国奴一覧 

 

 

http://www.sankei.com/politics/news/160116/plt1601160014-n1.html

民主に世代交代の波 輿石副議長引退へ ベテラン議員続々

・・・輿石東参院副議長(会派離脱中)が改選となる参院選に出馬しない意向を固め、ほかにも70代の閣僚経験者らが続々と引退を表明しているためだ。

 夏の参院選で改選を迎える70歳以上の民主党参院議員は6人。このうち輿石氏に加え、北沢俊美元防衛相、江田五月元参院議長、直嶋正行元経済産業相が引退。残る前田武志元国土交通相は引き続き比例で出馬し、今回から改選数が2から1に減る新潟選挙区選出の田中直紀元防衛相は比例に転出する。ただ、非改選議員に70歳以上は1人もおらず、党の若返りは一気に進むことになりそうだ。

 

  



 

 


 



http://blog.goo.ne.jp/raijingsan/e/1b7e13018f39898ff9dd6a83c8e41721

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日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉 GHQ、禁断の「産児制限」

2016-02-08 | 平和ボケ!覚醒!子々孫々のために!

  【ご紹介】

 http://www.sankei.com/premium/news/160206/prm1602060029-n1.html

2016.2.6 09:30更新

【人口戦】
日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉

 

GHQ、禁断の「産児制限」

 人工光に照らされた棚に、青々と育ったレタスが所狭しと並ぶ。兵庫県養父市の旧南谷小学校の体育館。かつて子供たちの元気な声で満ちあふれていた学舎は「野菜工場」へと変貌をとげた。

 子供の数が減った影響で小中学校の廃校が相次いでいる。文部科学省によれば、公立小中学校は平成17(2005)年度からの10年で3200校近く減った。高齢者施設やオフィス、宿泊施設、レストランなどに転用された例もみられる。

 厚生労働省が年頭に公表した推計によれば、昨年の年間出生数は前年比4千人増の100万8千人。だが、この反転は一時的なものとみられる。子供を産むことのできる若い女性が激減していくからだ。

 それにしても日本の出生数の減少ペースは速い。戦後のピークである昭和24(1949)年の約270万人と比較すると、70年弱で約3分の1に減った。しかも、その推移を追いかけると、気になる変化が見つかる。24年の翌年は出生数が一挙に36万人も減り、第1次ベビーブームが突如終わっているのだ。

 明らかに不自然である。当時の資料を調べてみたところ、意外な事実が明らかになってきた。

 

 

 

 

 http://www.sankei.com/premium/news/160208/prm1602080016-n1.html

2016.2.8 13:00更新

【人口戦】日本の少子化は「人災」だった(中)政府主導で「産むな殖やすな」 料理・編み物とセットで「計画出産」講習会

 

占領期、連合国軍総司令部(GHQ)の仕掛けによる「人口戦」に敗れた日本に訪れたのは、人工妊娠中絶ブームだった。その勢いはすさまじく、出生数激減に反比例するように増え続けた。

 中絶の届け出件数は昭和24(1949)年の10万1601件が、翌年には32万150件と3倍増となり、28年には100万件を突破した。「民族の滅亡」という政府首脳の懸念をよそに、多くの国民は産児制限に強い関心と期待を寄せていたのである。

 当時の中絶数と出生数を足し算すると興味深い数値になる。第1次ベビーブームの最終年となった24年の279万8239に対し、28年は290万を超え、むしろ増えていたのだ。・・・