乳がん体験ルポ

乳がんの発見から治療内容を自分の記録として保存し、それが誰かの役にたてたら嬉しい

1年ぶり

2013-07-02 14:27:05 | Weblog
ブログ更新、そして新生活から1年になります。
昨年七月に入籍し、私の仕事の関係で八月から同居をはじめました。
生活が変わり、体調も変化しました。
朝が早いせいか、夜は睡眠導入剤を使わなくなりました。
1年以上なかった生理が年末にあり、1月には婦人科で診察しました。
何も異常はなく、生活が変わったための一時的な出血だったようです。
その後半年間、また止まっています
主人は
『自分が女性だということを身体が思い出したのでは?』
と言っていますが、よくわかりません。
とにかく異常がないので、経過観察です。

年に一度の診察のために、病院に予約の電話をいれましたが、3ヶ月先まで予約がいっぱいだそうです。
そんな訳で、次の更新は秋になりそうです。
生活が落ち着いてきたので、過去を振り返り、私が受けた配偶者からのDVについて書いてみようかとも思いましたが、頭を整理していろいろなことをじっくり考えると、息苦しくなり、吐き気におそわれました。
まだその事に触れるには時間が必要なようです。

祝!5年経過!

2012-08-30 14:49:55 | Weblog
乳がん健診と子宮がん健診を受けてきました。
子宮がんは来月結果を聞きにいきますが、乳がんはすぐに結果が担当医に届けられ、異常なしと言っていただきました。
エコーによる、両胸と腋下リンパ超音波診断のあと、右胸のみのマンモグラフィーです。
例によってマンモは小さい胸が押しつぶされて、激痛というほどではありませんが、痛かったです。
5年間飲み続けた薬も終了し、次の通院は1年後となりました
子宮がんは、いくつになっても馴染めない診察台に座り、エコーと組織を採取しての検査です。
脛ガンと体ガンの両方調べるので、子宮の奥を少し傷つけます。
わずかな出血が翌日までありました
2日間お風呂は入らず、シャワーだけにしました。
前回まで卵巣に水が溜まっていたのも、無くなっていました。一時的なものだったようです。
何もなければ、こちらも半年毎だった検査が1年毎になります。
癌は5年間が勝負という事を聞いたことがありますが、その5年を無事に過ぎる事ができたという事ですね。
嬉しいです。

話は変わりますが、今年も8月12日という特別の日が過ぎました。
御巣鷹山で亡くなった友人と、私の娘が同じ年齢になりました。
生きるという事を、彼女を通して毎年実感します。

私は52歳になり、突然ですが、再婚しました
残りの人生があと何年かわかりませんが、新生活を健康な身体でスタートします。

《祝!》

新しい人生へ

2012-06-29 02:33:02 | Weblog
突然ですが、再婚する事になりました。
今年の初めに知り合った、6歳年上のおじさまです。
しばらくメールでやりとりして、1か月以上過ぎて、初めてお会いした時には、まさかこんな事になるとは思ってもいませんでした。
彼の積極的なアプローチで、決心しました。
今夜はほろ酔いなので、しらふの時にまたアップします。
おやすみなさい
《セカンドラブ》

5年は区切り

2012-05-15 22:43:39 | Weblog
通院日でした。
6月で手術から5年になります。
やはり、癌という病気は5年が一つの区切りのようですね
薬は今回出されるものが最後です。
3か月分ですから、8月分までです。
形成外科では、胸の採寸と写真撮影をしました。
大学病院なので、今後の医学の発展の為に記録を残すことに同意し、胸部の写真撮影を許可しています。
顔は写しません(正確には顎まで入っています)が、まったくの裸の胸を撮影されるのは勇気が要ります。
左右の形が違うし、手術していない右胸も、けして形の良いバストではありません
でも、これから乳がんの手術を受ける方たちの役にたつなら、まぁいいかなと思います。
来月は中に入っているシリコンの状態を検査するために、MRI撮影をします。
ちょっとやせたので、破損していたら少し小さいサイズの物に替えたいとも思います。
《青息吐息》

初健診

2012-02-21 21:25:38 | Weblog
今年初めての通院で、子宮がん健診を受けてきました。
乳腺外科は問診と薬だけです。
3か月分の薬を出してもらうのですが、9月で終了なので、次回5月に出してもらう分で終わります。
薬はノルバテックス錠のジェネリックでタスオミン錠です。
1錠につき差額が133.3円、3か月分で11997円。自己負担分は薬代だけだと6377円です。
もう1種類、睡眠導入剤を28日分1錠6.7円の3割負担、調剤費、情報提供費etcで7460円支払いました。
この負担があと1回で終わるので助かります
婦人科も薬が終わればリスクが減るので、半年毎に受けなくてもよくなります。
ちなみに子宮頸癌・体癌検査、超音波診断、問診で自己負担3810円です。
来月、結果を聞きに行きますが、たぶん問題ないでしょという事でした。
卵巣には相変わらず水が溜まっているそうですが、前回と変わっていないので、また経過観察です。
今年初ブログは、初心に戻った内容になりました。
《今年もよろしく》

もう年末

2011-12-26 00:32:10 | Weblog
9月いらい、すっかりご無沙汰で・・・
まったく更新していないのに、毎日数人の方がのぞいてくれていて、幸せを感じます
今年もなんとか元気に年を越せそうです。
疲れると手術をした左胸がつっぱる様に痛みます。
あと、乳がんとは関係ないとは思いますが、最近熱いものや冷たいものが喉を通るときに、ちょっと苦しかったりします。
昨年だと思いますが、冷たい炭酸水を飲んだ時に食道付近がヒリヒリ痛み、動悸がして、とても苦しんだので、胃カメラで検査をしました。
胃も食道もまったく何の異常もありませんでした。
また、胃カメラ通されるのも嫌だし、このまま、だましだまし生きていくしかないかなあと思います。

最近、人が恋しい時があります
2年前に離婚した時は、もう一生一人で強く生きていくんだと決心したはずなのに、傍にいてくれる人がいないのが、寂しかったり、老後が不安になったりします。
でももう51歳なので、誰かと再婚するとしても、50代か60代の男性になりますよねえ。
自分の事は棚に上げ、『そんなおっさんいやだ!』なんて思ったりします。

来年、今年よりも少し幸せを感じたいです
不幸ではないけれど、もうちょっとだけ、ニコニコして暮らしたいです。

よい年を・・・

《メリークリスマス&ハッピーニューイヤー》

生きることが人生

2011-09-17 01:37:09 | Weblog
『それでも生きてゆく』
最終回まで、ずっと同じテンションで観ることができて、私の中では『JIn』を少し超えた感じです。
人々が、1歩前進しましたね。そこまででしたね。

お母さんも、お父さんも、息子たちも、娘たちも、急に幸せになることはできないけれど、悲しみや怒りの中にとどまってじっとしていることをやめた。
これからも辛い事や、腹立つ事や、耐えられないほどの悲しみがあるでしょう。でも少しだけ、普通の暮らしをする時間が持てたら、笑える瞬間がきっとあります。
それは特別な人生ではなく、多くの人がそんな感じではないでしょうか。

生きることが人生だから、人が生きると書いて人生だから、最終回は迎えたけれど、今も時が過ぎていて、自分もその一部なのだと感じることができました。

《じ~んせいらくありゃく~もあるさぁ♪》

暗い話ですが

2011-09-09 21:03:52 | Weblog
『それでも生きてゆく』
このドラマに何故かとても魅かれて、かかさずに観ています。
来週、最終回も、期待通りのものであってほしいです。
このドラマを観ながら、私の身近で今まで亡くなった人たちを思い出したので、暗い話になりますが、ちょっと書いてみようと思います

小学校3年生の時に、父の仲のいい友人で、よくお土産をもって我が家に遊びに来ていた、とても好きだったおじさんが、ガス中毒で亡くなりました。
まだ幼かったので、さほど悲しい気持ちも無いまま葬儀に参列しました。
でも祭壇のおじさんの写真を見て、とても悲しい気持ちになり、泣きながら帰ったのを覚えています。
そのおじさんの顔はもう覚えていませんが、悲しかった記憶はまだ残っています。
6年生の時に、今度は父の友人の弟さんが亡くなりました。
その方はまったく知らない人だったのですが、通りすがりの知らない人に刺されて亡くなったという事に衝撃を受け、今も記憶に残っています。
婚約者がいて、結婚式の準備を進めている時だったそうです。
5年前に、その父の友人も亡くなったので、今ごろ弟さんとお酒を酌み交わしているかもしれません。
中学の時、友達のお父様がたて続けに亡くなりました。
自分の親が急に死んでしまったらと考え、不安と悲しみに押しつぶされそうになりました。
高校3年の時、学校の後輩が、貧血でホームから転落して亡くなりました。
私立だったので、もしこの学校に合格していなければ、彼女にそんな不幸が訪れることはなかったのではと思いました。

21歳の時に、叔父が亡くなりました。
息子に先だたれた祖母が、『逆をみる』ということで、火葬場に行くことができないのを知り、叔父よりも祖母が可哀そうだと感じました。
その時高校生だった従兄弟が30代になった時、「お父さん亡くなった時まだ高校生だったのに、通夜も葬儀も、泣いてるお母さんと弟の間で、長男としてしっかり対応してて感心したよ。」と話した所、「みんなが帰った後、一人で泣きましたよ。」との応えに、私がほろっとしました。
22歳の時に祖父が亡くなりました。
88歳で、数か月前からあまりいろいろな事がわからなくなっていたのに、私たち孫がお見舞いに行くと、泣き顔になって言葉にならない声を発していました。
棺にお花を入れて最期のお別れをする時に、おばあちゃんがおじいちゃんのおでこに自分のおでこを当てました。夫婦ってすごいなと思いました。
やはり22歳の時に、会社の先輩が亡くなりました。
自動車事故で即死でした。
数日前にはその席に座っていた人が、もうこの世にいないんだということが、頭では分かっていても、心では理解不能でした。

そして、25歳の時、御巣鷹山で友人が亡くなりました。
何度かこのブログでも触れていますが、毎年夏になると彼女の事を考えます。
私にとって、一生忘れられない出来事の一つです。

30歳の時、私をおそらく一番かわいがってくれた祖母が亡くなりました。
病院が長く、家に帰してあげられなかったのが悔やまれます。
40歳の時、父が亡くなりました。
これは思い出すだけで悲しいので、書けません。

死というのは、誰にでも必ずやってきます。
だからこそ、生を大切にしたいと思います。
こうやって亡くなった方たちに思いを馳せることは、自分にとってとても意味のあることなんじゃないかと、書いていて強く感じました。

《彼岸》

DNA

2011-08-28 16:41:13 | Weblog
アメリカの911テロから10年ですね。
新聞に、10年ぶりで、DNAによって恋人の身元が判明したという記事がありました。
倒壊した貿易センタービルで犠牲になった2753名の内、1121名の方が、まだ遺体の確認ができないそうです。
東日本大震災でも、まだ行方不明とされている方々がいらっしゃいます。
一日も早く、ご家族の元に還れることをお祈りいたします。

毎年、8月になると御巣鷹山で亡くなった友人の事を少しだけ書いています。
25歳で亡くなったので、もうこれからは生きていた時間より亡くなってからの時間が長くなります。
彼女はわりときれいな状態で発見されたと、告別式の時に聞きました。
愛する人の声が二度と聞けないこと、愛する人の顔が二度と見れないことに変わりはありませんが、遺骨すら無いというのは、残された者たちにとって、本当に心残りなことだと思います。

新盆がすぎ、あの日亡くなった魂が安らかに眠りにつけるように、手を合わせます。

《鎮魂》

卵巣の水

2011-08-12 00:57:17 | Weblog
1年に1回の乳がん健診と、半年に1回の子宮がん健診に行ってきました
乳がんは、マンモグラフィーと、超音波診断です。
超音波は両側ですが、マンモは右だけです。
子宮がんは、体癌と頸癌の検査のための組織を採り、子宮内のエコーもします。
もう数回受けていますが、マンモは結構ガッチリ挟まれて、多少痛みがあります。
子宮がんは、頸癌は何とも言えない違和感があり、体癌は痛いです
翌日まで、少量の出血もありました。
エコーの器械も、カーテン越しなので形はわかりませんが、鉄の塊が入る感じで、嫌な感じです
もう無くてもよいもの(子供産まないですから)ですが、だからと言って癌になるリスクが高いのでほうってはおけず、ちゃんと検査します。
結果は1か月後に聞きにいくのですが、卵巣に水があると言われて、ちょっと落ち込んでいます。
前回もあったそうですが、今回は逆側にあるので、一時的なものでしょうということです。
特に心配ないと言われたので、そのまま帰ってきましたが、思い出すと本当に大丈夫なのか不安になります。
結果を聞きに行くときに、やはりもう少し詳しい説明を求めてみようと思います。
《案ずるより産むが易し》