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働く女性たち「パワーシャベルの女 重子」…しなやかな指先で重機は動く 駆け込み寺居酒屋ポン吉 45話

2022-09-18 14:52:26 | 日記
働く女性たち「パワーシャベルの女 重子」…しなやかな指先で重機は動く 駆け込み寺居酒屋ポン吉 45話

 駆け込み寺居酒屋ポン吉と呼ばれている「ポン吉」のマスターの音吉が経営しているマンションの真裏のマンションの解体工事が始まった。その工事の挨拶に工事を請け負った建設会社の現場監督が音吉に挨拶にきた。その監督はまだ30前と思われる色白美人だった。昨今はこの男の職場でもあった建設現場にも女性がかなり進出していることを音吉は知っていたが、こんな若い女性の監督まで進出していることは知らなかった。

 その監督は田中建設の田中重子の名刺を音吉に渡してから、
「この解体工事は約20日かかります。それまでなにかと重機の騒音などで迷惑をおかけしますが、なるべく静かに工事を進めます。そこでもしこのマンションに空いている部屋があったら20日間ほど女性の更衣室、それに洗面所を使わしてほしいのです」
「はい、丁度1階の部屋が空いています。この部屋のリホームはそれ以後にしますから自由に使ってください。ところでこの工事の作業員の女性は何名ですか?」
「はい、この現場はすべて女性で作業員は3名、産業廃棄物を運ぶ4トンダンプが2台で運転手も2名、それにガードマンが2名の合計監督の私を入れて8名になります」
「ほう、すべて女性ですか?」
「はい、元受けの建設会社は大手ゼネコンの竹内工務店ですが、私ども田中建設はすべて女性で運営しています」

 こうして解体作業は始まった。解体は大型のパワーシャベルで3階建てのマンションを容赦なくぶっつぶす工法だが、このパワーシャベルを操作しているのがあの華奢な色白美人の「重子」だったので音吉は目を疑っていた。やがて1日目の作業の昼になりこの8名の若い作業員らは音吉のマンションで食事と休息をしていた。

 1日目の作業は丁度大型の重機が格納できる程度でこの重機は20日間はここに停めて置くという。そして作業を終えた後に重子は音吉に、
「私の家は向日町ですのでJRで帰ります。その西大路駅周辺で食事のできる店はありませんか?」
「はいはい、それなら私が経営している居酒屋があります」
「あらら、そうでしたの、それなら工事でご迷惑をかけていますから私がごちそうしますから一緒にいかがですか?」

 現場監督の制服から私服に着替えた重子さんは花柄のヒラヒラしたワンピースで店にきた。音吉は一瞬重子さんとはわからずブログに記事を書いていた。重子さんはカウンターに座りママの幸子に自己紹介している、
「へ~あのマンションの解体工事…そのマンションはここのマスターの真裏のことよね…」
「はい、その音吉さんに会いにきたのですが…無視されています」

 そこでやっとわかった音吉は、
「へぇ~あの重機を操縦していた重子さんとは思わないほど品がありますね~♪」
「そんな~でも、私の会社では仕事中は元より女としての化粧やお洒落を推奨しています。ほとんどの現場はやはり女性はまだ少ないのです。そんな現場に花を咲かす運動ですが、それが成功してもう現場では男同士の喧嘩や博打はなくなりました。そればかりか作業着で通勤して帰りに居酒屋で柄の悪い言葉で酒を飲むこともなくなり、みんな私服に着かえてお洒落するようになりました」
「そら~そうでしょう、現場にこんな綺麗な女性が出現すれば…」
「工事現場の近くの住民らとの諍いも女性のガードマンを配置することでほとんどなくなりました」

 それから毎日のように重子はこのポン吉で夜の食事をするようになっていた。その間に幸子に色々な人生相談をしていた。それによると重子の家は小さな建設会社をしていたが父親がクレーンから落ちて来た鉄板の下敷きになって亡くなった。その後、長女の重子ら女3人姉妹で女性だけを雇用した建設会社に変更したという。それが成功して今では従業員50名を超える建設会社になりこの雇用している女性らの悩みも聞いていた。

 この女性らの悩みというのはやはり愛とか恋の話にはなるが、これは重子もそれなりにアドバイスをしていたが、こと男女の性の悩みについてはいいアドバイスはできなかった。それはこの重子はまだ男も知らない処女だった。父親が事故で亡くなったのは重子がまだ女子大学在学中のことで恋人さえいないまま稼業を継いできたという事情になる。幸子は重子に、
「そんなものを知らなくても性の悩みなんてものは愛とか恋の裏返しでそれを解決すればすべてが解決できます」
「そんなものですか…」
「そう、好きな男がどんなセックスを求めてきてもそれを女は受け入れられます。しかし、一旦、嫌いになるとキスさえ汚くなります」
「そうですか~私なんて現場で男の嫌な部分しか見ていないから結婚なんてものは絶対にしたくはありません」
「そうよね~私も男なんてものは懲り懲りだから…とはいってもそれは結婚を一度経験したからいえること、男のすべてがあの音吉さんのように優しければ日本で泣く女はいなくなるわ…」
「あの~ママさんと音吉さんの関係は?」
「それね~恋人でもないし、愛人でもないし、気の合う仲間同士の関係になるわ…」
「それはお互い束縛も干渉しないということですか?」

 マンションの解体も予定通り終わった最後の日に重子は音吉に、
「音吉さん、ありがとうごさいました。次の工事は亀岡で約1年ほどかかる大工事になります。この20日間でママや音吉さんからの人生のアドバイスで私は自分でもわかるほど成長しました」
「いや~それはママのおかげだと思う。このママはすべての女性が幸せになることを心から願っている」
「それは私も同じです。女性を現場で雇用するのはこの運輸、建設業には賃金などの男女差別がないからです。そしてパワーシャベルなど重機のオペレーターには女性の細やかな感性が必要になります」
「そう指先一つであの巨大な重機がしなやかに動くのに私は時間を忘れて見ていました」

 そこで幸子が重子に、
「どう、こんな老人だけど…音吉どんのそのしなやかな指先で男を体験して重子さんの心の中のモヤモヤを解消しない」
「はい。ママさん喜んで音吉さんをお借りします。そして私も結婚したいなと思う人生を送ります」
「そう、そうしなさい」

 こうしてまたまた音吉は安物のホストのごとく幸子の策略にはまっていたが、男の現場で現場監督をするということは男そのものを知らなくては話にならないとこれは本当にそう思っていた。この20日間で理論的には成長した重子もやはり実地体験をしなければここぞという時にこれがハンデーになるのは経験上音吉は知っていた。重子のほうも男を知っているか?知らないかでなにかとハンデーを感じていたので男の戦場でもある工事現場でもう一つ迫力というか、押しがなかったことを悩みとしていた。たった一夜で人生が変わるということもないが、重子にとっては人生の記念の日になりそうだ。

 音吉と重子は幸子に見送られて店から音吉のマンションへ歩いて移動していたが、重子は音吉の腕に手を回して恋人の気分を味わいながら、
「私ももう30にもなっているが初めて男の人と腕を組んで歩く人が音吉さんで良かった!」
「いゃいゃ、重子さんは素敵な人だからこれからも良い出会いがあります。私は去年古希になってるので重子さんとは40歳の差があるが、後悔はしない?もし、不安があるならいつでも言って!」
「いえ、私にもいずれ恋人が出来てもその彼氏が私が処女だと知ったら軽蔑されるだけです。それに、仮にその人と結婚してもそれがハンデーとなり一生涯軽くあしらわれますが、それが嫌で離婚したカップルを何組も知っています」
「ほう…昭和の時代とは真逆で時代はもうそこまで進んでいるのか?」
「はい、これがもし反対で夫が童貞で妻がセックスの本質を知っていたら夫は女性に頭が上がらず、一生涯働き蜂で終るでしょう?」
「ささ、そこらが私には分からない?…幸子ママも同じ意見か?」
「はい、ですからママは私に音吉さんにセックスの本質を教えてもらいなさいと…それには最低でも3回は経験しなさいと…」

 二人は音吉のマンションの部屋に入ったが、音吉が、
「その〜3回とは?」
「はい、私は明日から暫く現場に缶詰ですから…今夜…」
「えっ…!」
 という声が口から出る前に音吉の口は重子の唇で塞がれていた。音吉は心の中で、
「何が〜処女や〜もう、セックスの本質はとっくに知っているカマトトやん〜だから女は怖い〜」と思ったが、重子の濃厚なキスのテクニックで音吉はその気にさせられていた。





伊吹山で狐が見つけた薬草が人の命と動物の命を救った。日本で初めての京都獣医師大学、京都動物病院が…

2022-09-16 15:10:07 | 日記
官営・京都獣医師大学、付属京都動物病院・狐が見つけた薬草が人の命と動物の命を救った・牛の背に乗った馬頭観音 (伏見稲荷大社の物語)より

 稲荷山には狐が300匹ほどいるが、長生きする狐は20年ほどになるが平均すれば寿命が7年ほどにしかならなかった。そのほとんどが伝染病と怪我で早く死ぬというものだ、特に生後1年未満にかかるジステンバーは脅威で死亡率は100%になっていた。成狐でもバルボウイルスにかかると半分ほどが死んでいた。それに崖からの転落での骨折も多かった。その問題を狐の全国連合会の会長でもある白狐の七代目白藤と稲荷神社二代目宮司の生成(いなり)と話し合っていた。

 生成は、
「いや狐もそうだが、京の都には武家所有の馬が約100頭、警察組織の平安騎馬隊にも馬が60頭、それに日本通運の貨車牛が80頭、日本京都交通の客車牛が34頭もいる。どれも怪我をしたり病気になるのは同じだ」
「生成さま、馬でも牛でも脚を骨折すればすぐに殺されるというは無常ですよね…」
「その通り、牛でも馬でも狐でもこの都には絶対に必要なものだ、それを…」

 このことを例によって酒の席で桓武天皇にいうと、天皇は、
「その通りだ、もしお主のフォックス警備保障の狐がいなかったら、もうとっくに都では権力争いが起こっている、それに奈良の坊主も都に兵を出している」
「そこで~たしか、遣唐使の帰りの船に唐の僧侶で獣医師の宋徳さんがいましたが、その宋徳さんは今いずれに?」
「あぁ、あれは比叡山で修行していると聞いているが、なんなら宋徳を貸すが?」
「それはいいですね~それに宋徳さんに学長になってもらい官営の獣医師学校とその付属の動物病院を造りたいのですけど…」
「ほう、また学校か?お主は学校が好きじやのう~」

 こうして天皇の命名で京都獣医師大学と付属動物病院が日本で初めて認可されていた。学校と病院の場所(現第一日赤)は稲荷山の北の端で九条大路の大石橋の東の山、ここは羅城門や東寺、西寺の瓦を焼くために粘土を掘った跡地でここにきまった。学生は入学金、授業料は奨学金制度で3年間は無料、そして獣医師、または開業した時から返済するというものだった。

 学生は獣医師というので貴族の子息は数名だったが、農民や一般町民の三男以上が多く入学してきた。これは農家の三男ともなると水田がなかなかもらえなったこともあるが、農民も町民も生活がかなり楽になったので三男からは官営(公務員)の仕事についてもらいたいという希望もあったからだ。

 獣医師大学の学長になった宋徳は天皇から「従七位」の位を与えられたが、これは外国人には初めてのことで遣唐使を通じてこのことが唐の国々伝わり、唐の医者はもちろん学者まで日本国にあこがれを抱いて日本に来るようになっていた。806年には最澄と空海が日本に帰ってきたが、この船には唐の医者や学者が10数名も乗ってきたという。

 獣医師は学長の宋徳一人しかいない。そのために入学した学生は即怪我で運ばれてきた狐や牛の手術の助手をするが貴族の子息らは血を見るだけで卒倒していた。さすがに農民の子息らは家畜の怪我の手当てや食料の鶏を料理しているから慣れたものである。また動物の下痢や発熱の薬は人間用の漢方薬を使うがこの服用の量などを入院患者で動体実験をしていた。

 ただ牛であれ馬であれこれには必ず持ち主がいるが、他の狐などの動物には持ち主がいないために入院費や治療の金がなかった。稲荷神社に所属している狐は稲荷神社共済組合に加盟しているので治療費はここから支払われる。そこで学長の宋徳は狐や狸それに鹿の治療費は漢方の薬草を摘んでもってこい、または薬草が自生している場所を探してくればいいとすることを生成に報告していた。生成は、
「学長、ありがたいお言葉感謝いたします」
「いゃいゃ、漢方薬の原料の薬草は人間にも大量に必要だが、これの栽培も考えなければならない。それには唐から種を輸入しなければならないが、その薬草の種や苗木を積んだ遣唐使の帰りの船団4隻のうち2隻が大嵐で沈没をした。沈没した2隻にこの種が…まま、幸いその船に乗っていた最澄と空海は無事に助けられている」

 こうしてこの薬草の種類の見本市が稲荷神社の境内で開催されていた。これには全国から狐、狸、鹿が参加して形状や味、匂い、またこれに紛らわしい毒草などを宋徳は狐などの動物にレクチャーしていた。その近江の狐の一匹が、宋徳に、
「この約30種類のうち半分以上の20種類が自生している山があります」
「ほう、20種類もあるのか?これに間違いがないのか?」
「はい、私は伊吹山の狐ですが、冬になれば食べ物がなくなりやむなく食べられる草や根、球根を探して食べています」
「ほう、それがこれか?」
「はい、狐の嗅覚は人間の1000倍もありますから絶対に間違いはありません」

 こうして宋徳と学生らは伊吹山に薬草の調査に入ったが、これは狐のいう通りであって質、量ともに日本一の薬草の山だった。早速、桓武天皇にこのことを報告すると、天皇は、
「そか、伊吹山をお主の京都獣医師大学に与える、そそ、それに全国の狐の治療費については全額無料にする」

 こうして狐の寿命は平均してわずか7年であったが、この10年後には平均寿命が10年になったというお話しでした。それにその狐の見つけた薬草でこの1200年の間に助かった人間というのはもう天文学的な数字になっている。

★…画像は珍しい牛の背に乗った馬頭観音、京都中央第二市場





2022/09/15

2022-09-15 09:54:14 | 日記
マネキン小説 もののけマネキン 「妖怪マネキン 妖子」①「妖子のベビー誕生 妖姫」② 働く女性たち 52、53話

マネキン​​​小説…「妖怪マネキン 妖子」①…もののけマネキン 働く女性たち 52話

 妖怪の種類の中に「もののけ」という妖怪がいる。このもののけの「物」とは人間以外の物で人間が長年使ってきた生活のための道具など人が直に接して30年以上使われた物になる。これらの古い物は土蔵や納屋に大事に保管されてこそ成仏するが、中には無残にも山や森に打ち捨てられた物が「もののけ」として人間社会に化けて出てくることもある。

 これは物ではあるが、長年人間と接してきたために人間の心を宿ることになる。しかし、それは完全なものではなく姿かたちは茶釜でも手と脚があるもの、番傘の1本脚で目がひとつの妖怪が人を驚かせている。

 マネキンも人に使われた物ではあるが、元々、姿形が人そのもので人間の心を宿るには3年もかからなかった。そのマネキンを多く使っている大手のスーパーマーケットに派遣された若い女性のマネキン「妖子」は今日も女性の下着売り場でセクシーな下着で笑顔を振りまいていた。

 この下着売り場や水着売り場に派遣されるマネキンは若いはもちろん、美形で色白でスタイルは抜群でなければならないのでマネキン業界でもA級の誇りのある仕事になっていた。

 妖子はマネキン工場からこのスーパーに引き取られて3年ほど経っていた。マネキンだから歩くことも目を閉じることも出来ないが、スーパーの社員や客などと接しているうちに自然に人の心を宿るようになっていた。

 妖子の婦人服売り場の前方には通路を挟んで紳士服売り場があるが、そのメインのマネキンに「拓也」というマネキンがいた。拓也は背が高くてカジュアルものから高級スーツまでよく似合う拓也に恋をしていた。

 その拓也との距離は10メーターほどで拓也の表情なども手に取るようにわかっていた。妖子のこの日の仕事は下着のバーゲンセールでこれもメインのマネキンとして明るい照明に照らさてスターの貫禄を見せている。

 と、その時、幼稚園児ぐらいの男の子が親の目を盗んでツカツカと妖子に歩みより、セクシーなパンツをスルリと脱がしてしまった。妖子は心の中で、
「おぃおぃ、なにすんねん…恥ずかしいやんか…」
と赤面していたが、それは顔には出せなかった。それを見ていた拓也も目を伏せて見ないようにしたがこれも無理になる。

 妖子にすればすぐにでも店員に発見されてパンツを履かせてもらえると信じていたが、妖子の前を通る店員は婦人服売り場の店員ではないので「見て見ない振り」をして通り過ぎていた。下半身スッポンポンのまま約30分ほど経ってようやくパンツを履かしてもらえた。

 この婦人服、紳士服大バーゲンは本日が最終日になっている。そしてその夜には倉庫で保管されるが、これは男女別ではなく店員が適当に置いていた。妖子にすればこれが大チャンスで拓也の近くに置いてほしいと願っていたところ、これが偶然にも拓也と真向かいで妖子を抱くようにに置かれてそれは拓也の息が感じるほど近かった。

 その暗い倉庫で拓也の方が先に声をかけてくれた。それはもちろん心の中の会話になる。
「今日はお疲れさまでした…」
「はい、拓也さんも…それにしても拓也さんは人気があります」
「いや~そんなことはない、妖子さんの着ていた下着メーカーのフラワーがこのバーゲンの売り上げがトップだったと店員が話しをしていた」
「あの~その~、今日は私の恥ずかし姿をお見せして…スイマセンでした」
「…いや~あれには驚きました。でも、妖子さんの素敵なところを見せていただいて私も胸がドキドキしました」
「そんな~今でも恥ずかしくて赤面しています」
「妖子さんのそんなところが大好きです」
「わ、私も前から拓也さんをお慕いしていました」

 こうして二人は抱き合いキスをして目出度く結ばれていたのです。も、もちろん、これはこの二人の心の中のことですが、それから3日3晩二人は倉庫の中で愛を確かめあっていたが、次のセールで拓也は紳士服売り場に、妖子はなぜか婦人服売り場から外されてマタニティー用品売り場で妊婦ドレスを着せられて立っていました。そうです…この妖子さん、人間の心が宿り、人間と同じように「想像妊娠」してお腹が大きくなっていたのです。

………

マネキン小説 「妖子のベビー誕生 妖姫」② もののけマネキン…働く女性たち 53話

 イオン稲荷店に派遣されているマネキンの妖子は同じ職場の男性マネキンと恋に落ちて妊娠をしていた。最初は「想像妊娠」だと思われていたが、同じマネキン仲間の祝福と歓声、それに妖怪力で本当の妊娠になっていた。マタニテイー用品売り場で妊婦服を着せられ立っていたこのセールの最終の夜には暗い倉庫でまた保管されていた。そしてその夜に妖子は産気づき丸々と太った元気な女の赤ちゃんを無事に産んでいた。

 この女の子の名前は「妖姫」(ヨウヒー)と名付けられてスクスクと育っていた。人間社会では「蛙の子は蛙」というが、マネキン社会では「マネキンの子はマネキン」になる。この妖姫もベビー用品売り場で毎日仕事をしていたが、この妖姫が着ているベビー服や妖姫が座っているベビーバギーが飛ぶように売れてイオンの定員はこの妖姫を「神童マネキン 妖姫様」と呼ぶようになっていた。

 この現象はベビー用品の売り場だけではなく、婦人服、紳士服など2階の直営売り場とテナントの専門店まで波及していた。さらに客が多く集まると1階の食料品売り場まで前年同月比10%増しという全国のイオンの中でもダントツのトップとなっていた。この稲荷店の店長は山下純子という50歳の女性になるが、この山下店長はなぜか妖姫が嫌いだった。それはこの稲荷店の副店長をはじめ社員、パートのすべてが、この売り上げ増は妖姫のおかげだと信じて店長の企画や商才など評価しなかったからだ。つまり、女が幹部になって一番嫌われるヒステリーという悪い病気にかかっていたのです。

 ある日、山下店長は副店長の吉川一郎に、
「あのベビー用品売り場の妖姫というマネキンを処分してください」
「て、店長…妖姫さまを処分…気は確かですか…店長」
「あのマネキンにはマネキンメーカーの製造番号も派遣元の会社も不明です。つまり、あのマネキンは誰かが勝手に持ち込んだものになります」
「それはそうですが…あのマネキンは稲荷店の売り上げ増しに大いに貢献してくれました」
「もう…副店長までそんなことを信じているのですか!すぐに処分しなさい」

 副店長はやむなく店の裏側にある「産業廃棄物」の鉄の箱に妖姫を丁寧に置いてから手を合わせていた。これを知った妖姫の母親の妖子、父親の拓也はもちろん、このイオンのすべてのマネキン仲間も店長の非道に対して涙で抗議したが店長にはそれは届かなかった。

 そのころからこの稲荷店では変な噂が流れていた。それは女性客がトイレに入り水を流すとその音が「赤ちゃんの泣き声」に聞こえるというものでした。店内のマネキンの前を通ると誰かがすすり泣いているという噂もあった。2階の売り場には専門店のマネキンも含めると約100体はあるが、どれも笑顔が消えて泣き顔になっていた。これらで稲荷店の客は目に見えるほど激減していた。

 そしてこの現象は山下店長がマネキンの妖姫を処分したというのが理由だと誰もが噂するようになっていた。このことはイオン関西本部の本部長の耳に入り、山下店長は大阪の本部に呼び出されていた。本部長は山下女史に、
「先月も先々月も前年同期の売り上げよりも20%も下げているが理由は何か?」
「それはこの連日の猛暑で客足が遠のいたからです、少し涼しくなるとまた盛り返す自信はあります」

 と、こんな調子でマネキンの妖姫を処分したことを報告しないために本部長は山下店長を降格したが、なにせこの女はプライドが高くてそのまま退職してしまった。そして稲荷店の店長には副店長の吉川が抜擢されていた。店長になった吉川は早速、産業廃棄物業者に電話をして妖姫のことを話すとその業者は、
「いや~あんまり可愛いマネキンだったので、わが社の応接室に大事に飾ってあります。このお陰かはわからないが、わが社の業績がうなぎ登りにアップして喜んでいます」

 吉川は早速新副店長と共に妖姫ちゃんを迎えに行きました。そしてその妖姫ちゃんを母親の妖子さんに抱かせると妖子の目から人間の涙があふれ流れていた。

 早速、このことは店内の放送で流されていた、
「只今、ベビー用品売り場のマネキン、妖姫ちゃんが行方不明になっていましたが、妖姫ちゃんが無事に帰ってきました。お客様はじめ、社員、スタッフの皆様には大変ご心配おかけしたことを心からお詫びいたします」

 この放送の後には吉川店長が妖姫が稲荷店の所属を示す「イオン稲荷店備品・マネキン 妖姫・第1号」というシールを妖姫の背中に貼っていた。







ツイコラムとツイ川柳とツイ写真で一つの作品になります。ツイコラム ツイ川柳 ツイ写真 ツイ写真家

2022-09-14 14:49:12 | 日記
ツイコラムとツイ川柳とツイ写真で一つの作品になります。ツイコラム ツイ川柳 ツイ写真 ツイ写真家 621〜628 8編

#ツイコラム 621 #おうち居酒屋
#じゃがいも 小4個、皮を剝いて切ってラップしてチン…塩少々にマヨネーズで #じゃがマヨ #バター なら #じゃがバタ もいい。簡単な割には味は良い。 #男の不味い料理
#ツイ川柳
・チン料理 味わいたいが ものによる
伊奈子🦊⛩️

#ツイコラム 622
#河合神社 は玉の様に美しい #玉依姫命 をお祀りしていることから #美麗の神 …つまり #美人祈願 の神様になる。 #鏡絵馬 に自分の理想の顔の化粧をすれば願いが叶うという私も美人で可愛い高齢者になるためにお詣りしています。
#ツイ川柳
・玉の様 そんな美人は #女装さん
伊奈子💞🦊



#ツイコラム 623
#キレイナヒトニナリマセウ
#日本第一美麗神
これは #下鴨神社 #糺の森 の #河合神社 のたぶん大昔の宣伝コピーかな?… #綺麗な女性 には神が宿ると崇められたが、今もその神話は生き続けてこの神社の参拝者は絶えない。
#ツイ川柳
・ミモココロ モットキレイニ ナリマセウ
伊奈子💞🦊⛩️



#ツイコラム 624 #散歩中の草花
秋といえば #松茸 だが、公園で #柳松茸 #ヤナギマツタケ と #カワラタケ を見つけた。公園で遊ぶ子供たちに踏まれてもすぐに生えてくる生命力。 #ヒガンバナ 垣根の アベリア も去年と同じ場所で花を咲かせる。
#ツイ川柳
・この一年 私は何を してきたの?
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 625 #ままこのいけず石
軒下に大小様々な銘石8個があるが、この赤い石だけが #ままこ になっています。それもかなり道路に飛び出して #迷惑石 になるが、この石はご主人さまの言うことを聞かずにお仕置きでこの様になったのかも?
#ツイ川柳
#いけず石 石に意志なく 怒られた
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 627 #おうち居酒屋
CMの油の代わりに #マヨネーズ を入れた野菜のソテーをやって見た。材料は #ブナシメジ #冷凍枝豆 味付けは塩胡椒のみ、お味は #ぶなしめじ が旨い!…今年5回目の #伏見とうがらし これは飽きないが、高い😂
#ツイ川柳
・ミジメです 松茸食えず ブナシメジ
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 628
最近、 #ランチの外食 が多い、 #丸亀製麺 は天ぷらが旨い!…少し具が小さくなった気がするが🧐気のせいか?やはり揚げたてと #だし醤油 との相性💞がいいのかも?食べながらも観察、行列が出来ているのは丸亀だけだった。
#ツイ川柳
・うどんより いきなりステーキ 食べたいよ
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 626
#ワコール本社 の社員通用門の目の前の食堂の壁に #猫ちゃん が描かれています。これを私が撮ってアクセントに蝶🦋をあしらい #ツイ写真 として自称 #ツイ写真家 のデビューとなりました〜(笑
#ツイ川柳
・よく遊び また良く遊び #ボケ防止
伊奈利🦊⛩️

私のツイッターは「音川伊奈利」で検索して下さい…🦊⛩️



九条ねぎの種を狐の禰宜(ねぎ)が九条村に持ち込んでいた。伏見稲荷大社の物語 18話 お笑い歴史小説

2022-09-13 09:17:09 | 日記
九条ねぎは浪速で自生していた。その浪速からの狐の禰宜(ねぎ)が九条村に持ち込んでいた。九条ねぎの鴨鍋が稲荷神社名物になった。伏見稲荷大社の物語 18話

 長岡京から平安京へのお引越しが秒読みになったころの京都盆地では淀川の山崎の港へ、浪速、堺方面からの船便が集まっていた。ここで陸揚げされた荷物は西国街道を通って長岡京、そして平安京へと大八車で運ばれていた。狐の世界でも旅行が大ブームでこの船の荷物の中に潜り込み京都観光をする狐も多かった。また新天地を求めて移民する狐一族もいた。

 狐は稲荷神社のお使いだとされているが、各地の祠に棲んでいるが狐の世界にも一般の狐と神職の狐がいた。狐の場合は宮司ではなくその祠の責任者を禰宜(ねぎ)という位で呼ばれていた。この当時は稲荷信仰が大流行でもう全国に○○稲荷神社というのが数千か所も普及していた。そうなると神社の責任者の禰宜狐も人手不足で全国に募集されていた。

 その一匹の中に禰宜の資格を持つ狐の源(げん)が京都の九条にある稲荷神社を紹介されていた。この源狐は浪速に棲んでいたために船の荷物の中に紛れ込んで山崎へ、そして港から歩いて九条の稲荷神社に赴任していた。その神社はまだ名前がなく「正一位稲荷大明神」とだけある。源狐はとりあえず長い旅の疲れを取る為に祠の下にある穴で寝ようと思ったが、まだその穴も掘られていなかった。そこでやむを得ず土の上で寝ていた。そしてこの禰宜狐は村民に慕われて「九条の禰宜さん」と呼ばれていた。

 それから半年後に官営の東寺が建立される土地の視察団がこの地にやってきた。一行は桓武天皇と設計士、宮大工の棟梁、それにこの東寺の柱などの調達役の稲荷神社宮司の荷田生成など約50名の大視察団。一行は南大門、金堂、講堂、食堂の建設現場を視察した後に西門予定地まで来ていた。そこから西を見るとそこには朱色の稲荷神社があった。

 ほう、こんなとこにも稲荷神社があると桓武天皇は感心して拝んでいくといった。そんなことを知らない源狐は頭を穴に入れ尻尾を外にだして呑気に昼寝をしていた。そして天皇は、
「あれはなんじゃと」指をさしている。この村の村長は狐の尻尾のことだと思って、
「あれは九条の禰宜です」
「ほう、九条ねぎか?」

 天皇が指を指していたのは祠の周りで長く伸びた葱でその先には葱坊主があった。天皇は生成になぜ?ここにこんな珍なる植物があるのかと聞いている。生成もこれが何かとわからず、この昼寝中の狐をおこして聞いている。
「これはお前が育てているのか?」
「これ?ああ、私も名前は知らないが浪速の村では稲刈りが終わった冬にかけて自生しています。この地の百姓はなんでも鴨の肉と一緒に煮ると旨いといっていました」
「その旨い野菜がなぜここにある?」
「ああ、これは私が浪速の畑でネズミを追いかけていた時にこの種が私の毛の中に入っていたのが落ちてここで芽がでたのです」

 天皇はこの九条村の村長に、
「この九条ねぎの葱坊主をすべて採取して九条の畑で育てよ!そして鴨川で鴨を獲って予に持って来い」
 と命令していた。当時は米にしか年貢はかからなかったので稲刈りが終わった冬場の作物として九条村の農民はこぞってこの「九条ねぎ」を栽培していた。そして冬が来て鴨川や桂川には鴨がやってきた。

 稲荷神社の直営の茶店の名物は雀の焼鳥、稲荷寿司、鯖寿司だが、冬は雀も獲れない。鯖も若狭の峠が雪で通れないために冬場の名物がなかった。そこて生成は「九条ねぎの鴨鍋」を売り出したところこれは予想外の大人気になった。やがてこの九条ねぎの栽培は京の都の洛外の九条村から鳥羽、伏見、淀、吉祥院、久世まで広がっている。今でもこの九条村の禰宜狐と勘違いされたままの「九条ねぎ」は1200年の歴史があるということはもう誰も知らない。

………この「小説伏見稲荷大社の物語」は98話まで書けています。………音川伊奈利

 この九条村では今でも葱農家の屋号として「葱常」「葱秀」「葱伊」として残ってやはり九条ねぎを栽培している。そのきっかけとなった当時西門前の稲荷神社は今でもその地にあるが、その神社にはまだ名前がなく「正一位 稲荷大明神」とだけある。そして葱狐の源というのはその辺りの町名「源町・げんまち」として残っています。
(東寺西門上がる一筋目西入)