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伊吹山で狐が見つけた薬草が人の命と動物の命を救った。日本で初めての京都獣医師大学、京都動物病院が…

2022-09-16 15:10:07 | 日記
官営・京都獣医師大学、付属京都動物病院・狐が見つけた薬草が人の命と動物の命を救った・牛の背に乗った馬頭観音 (伏見稲荷大社の物語)より

 稲荷山には狐が300匹ほどいるが、長生きする狐は20年ほどになるが平均すれば寿命が7年ほどにしかならなかった。そのほとんどが伝染病と怪我で早く死ぬというものだ、特に生後1年未満にかかるジステンバーは脅威で死亡率は100%になっていた。成狐でもバルボウイルスにかかると半分ほどが死んでいた。それに崖からの転落での骨折も多かった。その問題を狐の全国連合会の会長でもある白狐の七代目白藤と稲荷神社二代目宮司の生成(いなり)と話し合っていた。

 生成は、
「いや狐もそうだが、京の都には武家所有の馬が約100頭、警察組織の平安騎馬隊にも馬が60頭、それに日本通運の貨車牛が80頭、日本京都交通の客車牛が34頭もいる。どれも怪我をしたり病気になるのは同じだ」
「生成さま、馬でも牛でも脚を骨折すればすぐに殺されるというは無常ですよね…」
「その通り、牛でも馬でも狐でもこの都には絶対に必要なものだ、それを…」

 このことを例によって酒の席で桓武天皇にいうと、天皇は、
「その通りだ、もしお主のフォックス警備保障の狐がいなかったら、もうとっくに都では権力争いが起こっている、それに奈良の坊主も都に兵を出している」
「そこで~たしか、遣唐使の帰りの船に唐の僧侶で獣医師の宋徳さんがいましたが、その宋徳さんは今いずれに?」
「あぁ、あれは比叡山で修行していると聞いているが、なんなら宋徳を貸すが?」
「それはいいですね~それに宋徳さんに学長になってもらい官営の獣医師学校とその付属の動物病院を造りたいのですけど…」
「ほう、また学校か?お主は学校が好きじやのう~」

 こうして天皇の命名で京都獣医師大学と付属動物病院が日本で初めて認可されていた。学校と病院の場所(現第一日赤)は稲荷山の北の端で九条大路の大石橋の東の山、ここは羅城門や東寺、西寺の瓦を焼くために粘土を掘った跡地でここにきまった。学生は入学金、授業料は奨学金制度で3年間は無料、そして獣医師、または開業した時から返済するというものだった。

 学生は獣医師というので貴族の子息は数名だったが、農民や一般町民の三男以上が多く入学してきた。これは農家の三男ともなると水田がなかなかもらえなったこともあるが、農民も町民も生活がかなり楽になったので三男からは官営(公務員)の仕事についてもらいたいという希望もあったからだ。

 獣医師大学の学長になった宋徳は天皇から「従七位」の位を与えられたが、これは外国人には初めてのことで遣唐使を通じてこのことが唐の国々伝わり、唐の医者はもちろん学者まで日本国にあこがれを抱いて日本に来るようになっていた。806年には最澄と空海が日本に帰ってきたが、この船には唐の医者や学者が10数名も乗ってきたという。

 獣医師は学長の宋徳一人しかいない。そのために入学した学生は即怪我で運ばれてきた狐や牛の手術の助手をするが貴族の子息らは血を見るだけで卒倒していた。さすがに農民の子息らは家畜の怪我の手当てや食料の鶏を料理しているから慣れたものである。また動物の下痢や発熱の薬は人間用の漢方薬を使うがこの服用の量などを入院患者で動体実験をしていた。

 ただ牛であれ馬であれこれには必ず持ち主がいるが、他の狐などの動物には持ち主がいないために入院費や治療の金がなかった。稲荷神社に所属している狐は稲荷神社共済組合に加盟しているので治療費はここから支払われる。そこで学長の宋徳は狐や狸それに鹿の治療費は漢方の薬草を摘んでもってこい、または薬草が自生している場所を探してくればいいとすることを生成に報告していた。生成は、
「学長、ありがたいお言葉感謝いたします」
「いゃいゃ、漢方薬の原料の薬草は人間にも大量に必要だが、これの栽培も考えなければならない。それには唐から種を輸入しなければならないが、その薬草の種や苗木を積んだ遣唐使の帰りの船団4隻のうち2隻が大嵐で沈没をした。沈没した2隻にこの種が…まま、幸いその船に乗っていた最澄と空海は無事に助けられている」

 こうしてこの薬草の種類の見本市が稲荷神社の境内で開催されていた。これには全国から狐、狸、鹿が参加して形状や味、匂い、またこれに紛らわしい毒草などを宋徳は狐などの動物にレクチャーしていた。その近江の狐の一匹が、宋徳に、
「この約30種類のうち半分以上の20種類が自生している山があります」
「ほう、20種類もあるのか?これに間違いがないのか?」
「はい、私は伊吹山の狐ですが、冬になれば食べ物がなくなりやむなく食べられる草や根、球根を探して食べています」
「ほう、それがこれか?」
「はい、狐の嗅覚は人間の1000倍もありますから絶対に間違いはありません」

 こうして宋徳と学生らは伊吹山に薬草の調査に入ったが、これは狐のいう通りであって質、量ともに日本一の薬草の山だった。早速、桓武天皇にこのことを報告すると、天皇は、
「そか、伊吹山をお主の京都獣医師大学に与える、そそ、それに全国の狐の治療費については全額無料にする」

 こうして狐の寿命は平均してわずか7年であったが、この10年後には平均寿命が10年になったというお話しでした。それにその狐の見つけた薬草でこの1200年の間に助かった人間というのはもう天文学的な数字になっている。

★…画像は珍しい牛の背に乗った馬頭観音、京都中央第二市場






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