こんにちは、のほせんです。
昨日はほぼ満開になった梅林を散策できました。
みなさんは、いかがお過ごしでしたか?
さて今回は、
性同一性障害の(その5・意味形成)となりますが、 ひきつづいて、
吉本隆明氏の「母型論」の<大洋論 > の核心にそって読みすすめていきましょう。
前回に展開された、
-「(母音の拡がりは)、 内臓管の表情が跳びだした心の動きを縦糸に、また
喉頭や口や鼻の形を変化させる体壁系の筋肉の感覚の変化を横糸にして
織物のように拡がる、大洋の波のイメージになぞらえることができる。」-
という、言語の形成にゆきつく過程での、
濃密な母音のイメージをたてたあとに、氏はみずから疑問を附す。
-「大洋のような母音の音声の拡がりは、それ自体で言語といえるだろうか?
母音の波は、『概念 』に折りたたまれた生命の糸と出合えないかぎり、
言語と呼ぶことはできないはずだ。」-
といいつつ、
-「母音の波の響きを縄文語族やポリネシア語族が左脳(言語脳)優位の耳で聴く」
という角田忠信氏の実証から、
母音がそのまま意味のある言語になっていることと、
自然現象の音を言葉として聴く習俗のなかにあったことが、
母音の波の拡がりを言語野に近いイメージにしている根拠におもえると、
吉本氏は論述する。
さらに、
-「母音の波の拡がりである大洋のイメージは、
ソシュールやラカンのシニフィアンという概念との対応をしめすことはできる。
「神」の代わりに擬人化され、命名されたすべての「自然」の事象と現象が登場し、
「父」の代わりに胎乳児に反映された「母」の存在が登場するところに、
わたしたちの大洋のイメージがある。」 と述べ、
それは、
-「前意味的な胚芽となりうる事象と現象のすべてを包括し、
母音の波をそのなかに含み拡張され普遍化された大洋のイメージなのだ。」
と高らかに宣言している。
そして、
-「完全な授乳ともいうべきものにおける母と子の関わり方、
いいかえれば母の「写し」と「刷り込み」の乳児における織物の拡がり」 について、
この大洋のイメージの拡がりはまだすこしも意味を形成しないが、
内臓・心臓系の心のゆらぎの感受性のすべてと、
感覚器官の感応のすべてを因子として包摂していること。
そこには心の動きと感覚のあらゆる因子を結んだ前意味的な胚芽を擁していて、
顔の表面や舌や唇、手触りのすべてが<触覚 > を形成し、
この触覚の薄れ度合いが距離感として<視覚 > と協働し、
嗅覚の薄れ度合いもまた 距離・空間の拡がりの<認知 > に加担しているとみなせること。
また心の動きについても、
内臓系の感受性の薄れ度合いの極限に、
<記憶 > というはたらきがうまれること。
さらに、
内臓感覚にそなわる自然なリズムが心音・呼吸から季節のリズムまでを表出し、
体壁系の感覚はまた睡眠と覚醒のリズムを擁して、心の動きに規範を与えて、
やがて大洋のイメージが<意味形成 > にむかう、 と論述する。
このことから、わたしたちに
エロス覚としての<倒錯 > 性をも可能にする初源の世界が、
このはるか大洋のイメージにさかのぼった段階にあるとかんがえることができる。
さらに、わたしたちはつぎの<異常論 > にすすむことになる。
(次回につづきます。)
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