心理カウンセラーの眼!

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そして、性同一性障害の根源について(その2)

2014-11-15 15:02:40 | 性同一性障害の根拠

-- (性同一性障害は乳幼児期での最初のエロス覚の転換過程にまつわる)--

こんにちは、のほせんです。

この地方も一気に冬空におおわれてきましたが、

みなさんは、いかがおすごしでしょうか?

風邪対策には、交感神経が過度に反応するのを抑制して

即効回復する、稲舛先生の井穴刺絡療法をおすすめします。

- さて今回は、前回の「再び性同一性障害について」のつづきをお話したいとおもいます。

わたしたちの疑問の核心は、
「いったいではなぜ? 性同一性障害という異和がありうるのだろうか?」
というところにあります。

いまその根源に迫ってみたいとおもいます。

「性同一性障害その8(フロイトと母型論2)」(2011.8.30のブログ記事)ではつぎのように記しています。

-- 乳幼児が概念を獲得してゆく過程で、
男児が「女性から男性へ(口から陰茎へ)」
女児が「女性から女性へ(陰核から膣開口部へ)」という転換がうまれ、

さらにそのあとに、「次なる転換」をむかえるとみなされる。
すなわち、フロイトの言う、 「女の乳幼児のエロス覚は男児的で、
女児にあらわれるリビドーもまた男性的な本質をもつ。」 という具合に。

したがって吉本氏の言い方にならえば、
男女の乳幼児はともに肛門性愛をもち、男性器に性感をもつという、
「一種の性転換 」 がこの時期につづいておこるとみられる。

わたしたちが成人に達するまでにいだかされる様々な「性愛への途惑い」は、
この時期をその根源とみることができよう。
それが「性的な倒錯」や「神経症」としてあらわれる症状であっても、
その根源はおなじところにあるとみなされる。

つまり後々のそれらの倒錯などの発現は、二度の「性転換」の時期に、
乳幼児が母親との安心の関係をつくれなかったことにより、
転換に際してなんらかの鬱屈やゆがみをまぬがれなかったとかんがえられる。--

・・それぞれの乳幼児期での最初のエロス覚の転換過程にこそ、

わたしたちの性にまつわる「異和」や「倒錯」や「神経症」の根源が隠されてきたといえる。

さらに、吉本隆明氏は「舞踏論(土方巽の)」のなかでつぎのように示唆している。・・

-- 「わたしたちの身体は、多様な了解系の時間の、多様な度合いからやってくる
多様なリズムをかさねるようにしてもっている。
ただその了解の中枢に “亀裂が入る”体験があれば、
身体はリズムを失調するにちがいない。
また感官が受容の空間的な差異を混乱させれば、
おなじように身体はリズムを失調してしまうにちがいない。

土方巽もまた舞踏の概念を、乳幼児の失調体験からつくりだし、
わたしたちの常識とまったく別の次元までもっていった。・・

それは「姉」「不具(者)」「犬」というキイ・ワードの組で暗喩されているものだ。
「姉」というのは、たぶん漱石の「姉」とおなじものだ。
実在の姉の乳幼児のころのやさしさの記憶、じぶんの姉(近親女性)への変身願望、身体がこうむる妄想、などの過剰さを象徴しているようにみえる。

飢餓と同性愛的な無意識の資質は、ふたつとも身体にはいりこんだ「姉」と、
その根拠からやってくる通路だ。」-- -

舞踏家・土方巽の舞踏に表現される「飢餓」や「同性愛」の無意識の核には、

「姉」「不具」「犬」を暗喩する乳幼児期の失調体験 すなわち

乳幼児期のエロス覚の転換過程での亀裂・混乱がかくされているというのである。

そしてそれはまた、ほかでもない無意識下の母親との情愛の屈折や不和を示唆する物語でもある。

ここまできてわかりうることは、わたしたちの乳幼児期の無意識の記憶の海のなかに、

だれもが、それぞれに固有の「性にかかわる物語」をかかえてきているということである。

この物語から、ひとはだれも免れることはできない。

すると本来、「性にかかわる異和」がだれにもありうるとみなす方が自然なことになる。

それに過剰に固執するのも、しないのも、

また、そのひとの自由に、ゆだねるほかないことである。

それを「障害」や「倒錯」と呼称しようと、しまいと

わたしたちは、他者のあらゆる性的なふるまいを

性的なじぶんの他者的な表現だとみとめて

うけとめるだけである。・・・・・

蛇足ですが、
土方巽の舞踏について、吉本隆明氏は、
従来ある世界の舞踊・舞踏の概念をくつがえしたとして、次の言葉を記しています。

-- 「土方巽の舞踏論は、身体による物語、散文の表現、リズムをもった型の反復、
物象の動きを近似的に模倣する身体行為などに与えられた舞踊や舞踏という言葉は、
まるで放棄され、
身体を文字みたいに使った暗喩の連続した重畳法、つまり
自己表出の冪乗法を意味しているとおもえる。」--

として、畏怖すべきことだとみとめている。

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