今日のニュース番組を見てみると、
『有効求人倍率が0.4、二十数万人の人々が今後失業との予測』
『衆院選にむけての政局動向』
等が報道されていました。
どちらもあまり良い情報には聞こえません。
懐手をしていては、時節に置いていかれてしまうでしょうか。
私は今年2月をもって、自動車メーカーの製造工場勤務の職を失いました。
いわゆる非正規雇用であって、この度の不景気で解雇されました。
まぁ困った状況ではありますが、以前から農業に若干の関心があったので
その業種に関連した就職相談会に出向いたりしていました。
ハローワークを通じて農業の求人へマメに応募しましたが、思うようなご返事はいただけませんでした。
それで現在はどうしているのかというと、林業の講習を受けています。
ちょっとしたきっかけで地元の林業の就業説明会に参加したのですが、
新規の希望者のために体験学習的なものがあることを知り、今は県外でそれを受講しています。
農業については従事者の高齢化、産地の過疎化、それによる耕作放棄地の拡大、国の農業政策の長期的見地の無さ、農地法の不備等ご存知のことも多いと思います。
林業についてですが、昔は村の近隣に里山・雑木林というものがあり、そこの落葉広葉樹が薪や木炭として燃料に使われ管理されていました。
逆に村の神社一帯は鎮守の森として、原生林が残されたようです。
戦中戦後の貧しさの中、森林の樹木が様々な用途に重宝されたそうですが、乱伐により山が丸裸になってしまい、その状態が自然災害を激化させてしまったため、植林がされたとのことです。
その後燃料を石油に依存するようになってから需要が減り、なおかつ安価な輸入材によって国産材がシェアを失い、利用するために植林されたものの採算が立たず管理を放棄されてしまいました。
本来伐採される適齢を超えての樹齢を数える針葉樹林が、全国に多く存在するそうです。
現代の日本人にとって、アマゾンの熱帯雨林が乱伐や焼畑等によって失われ、地球温暖化など悪影響をもたらしてしまっているというような情報を耳にしているので、
なんとも妙に感じられると思うのですが、身近な森林は手付かずで放置されてしまっているのです。
農業にしろ林業にしろ、人間が関わるとロクなことがないと悲観されるむきも、あるいはあるやもしれません。
たしかに人間側が独善的に支配しようとすれば、いつか来た道を繰り返すだけになってしまうかもしれません。
農業についていえば、化学的な肥料・殺虫剤・除草剤の使用を厭わないスタイルから低農薬・有機農業が見直されてきていますが、
さらに自然農法というスタイルからすれば、有機農法も不自然なやり方だと言えるそうです。
林業についていいますと、ほったらかしておくと最終的に極相林というものになり、安定はするようです。
先日赴いた、鞍馬山の森林もそうとのことです。
ただ・・・人間の側が謙虚に、「恵みを授けてくださる自然の皆様と共存させてください。」との思いを態度に示せば、
今後もある程度の生活水準をもって生きていくことは可能であると信じたいです。
例えば昔、村に近接していた雑木林ですが、これは定期的に人の手が加わっていた森林です。
植樹が行われていたかは定かではないですが、枯れ木や落ち葉が燃料などに利用されていた状況では、
落ち葉かき等の管理がされていない森林に比べ、それとは質の異なる多様性に富んだ、豊かな生態系が展開されていたそうです。
また針葉樹とは杉・檜・松などで日本国土の本来の原生種としては必ずしも主流ではないようですが、
前述の経緯により植林がされ、現在放棄されるにいたっています。
この針葉樹は天然の防虫成分であるフィットチンドなる物質を発散しており、
また管理放棄による密生が地面への日光を遮断している状態もあいまって、
その針葉樹林が生命多様性に乏しくなってしまっているようです。
近年は高級品である国産松茸が、その昔はゴロゴロしていたそうですが、
それは松林の落ち葉かきをやらなくなってしまったことも一因であるようです。
松茸は好気性(空気に触れるのを好む。嫌気性というものもある)であり、
落ち葉かきが無くなったことにより地表に松葉が堆積してしまい、なおかつ針葉樹の葉は広葉樹に比べ腐敗しにくいそうで、
松茸の発生しやすい環境が失われていったようです。
また最近は山から人の住む町村へ野生動物が入ってきてしまうとの報道を、頻繁に耳にしますが、
それは森林が生命の多様性を受容できる状態ではなくなってしまっているからかもしれません。
農林業についてちょっと長くお話しました。
誤っている部分もあるかもしれませんので、ぜひご自分で色々と検索してみてください。
まぁそのように人手が入らなくなってしまっている中で、
必ずしも人間の側ばかりにとって不都合・・・とはいえない状況が展開されてしまっていると思います。
先ほども言いました「恵みを与えてくれる自然と今後も共存させてください」との想いを持って、
現在心ならずも失業中である人たちが、農林業へスムーズに移行できないものだろうか、と考えます。
フロンティア・スピリットであると同時にルネサンスであると表現したら良いのか、
単に食い扶持を探すのみならず、温故知新な夢を求められるフィールドではなかろうかと思います。
ニュース番組等で派遣切りにあって先行き不安な思いに駆られている方々や、貧困ネットワークの代表である湯浅さんなどがインタビューに答えておられますが、農林業に関心を持たれているのか気になるところです。
また既存の従事者、業界関係者の皆様にもなるべく門戸を開いていただきたいと、お願いしたいです <(_ _)>
政治に携わる方々についてですが、選挙も間近だろうということで、
私としては雇用の問題、農林業衰退・地方過疎化の問題、食糧やエネルギーの自給率・安全保障の問題、自然環境の回復や維持の問題に関して、
各立候補者がどう言及するのだろうかなと、そこに重点を置いて注視したいと思います。
どういう哲学を提示して、具体的なマニフェストを掲げるのか。
勿論、他の外交内政の諸問題にも言及されるでしょうし、それも考慮しますが、
あくまで建設的・長期的・将来的な要素として先の部分を重視したいと思っています。
ちなみに私の地元静岡では7月5日に知事選がありますが、私は期日前投票を済ませております。
皆さんも都議選や衆院選、なるべく投票してご自分の意向を示されてください。
最後に。
タイトルを『バラバラなものをつなぎ合わせる』としましたが、
これは私のこれまでの半生を通して得たひとつの答えでありますし、神示にも『調和』の意味の言葉が散見されます。
一応、都合よく、効率よくバラバラな断片を組み合わせてみるとします。
ここから・・・このコンビネーションを連動させるためには『息吹』を入れなければなりません。
頭でこういう風に考えました、実践はあなたがやってね、では上手くはいかないのでしょう。
机上の空論やら畳の上の水練などの言葉がありますが、
実際に自身で行ってみて、ちゃんと機能するだろうか、役割は果たされているだろうか、当面支障となる問題は起きないだろうか、
確認する必要があると思います。
立案指示系統と現場作業系統との『まつり』が必要と感じます。
『奇跡のリンゴ』というリンゴ生産者の方が書かれた本がありまして、私はチラッと立ち読みしただけで恐縮なのですが、
リンゴの木に向かって「生き残ってくれ!」と思ったところ、その列の木のみが言葉通り生き延びて、実をつけたとか(間違いであれば、指摘してください)。
まぁ、そういうことだと思うのです