アセンションや日月神示など

タイトル通りです。特異な能力の持ち主というわけではないですが、考えるところを綴りたいと思います。

番頭の身魂磨き

2009-09-01 08:37:03 | Weblog
8月30日に衆院選の投票が実施され、
それまでの自民と民主の議席数が、
ほぼそのまま入れ代わるような大差のついた結果が出ました。
マスコミ各社が事前調査で、民主が300議席超を獲得の見込みなどと報じていましたが、
実際にこのような結果が出ると驚きますね。
小選挙区制ですから、自民党への投票数と民主党への投票数の割合が1:3ということではなく、
昨夜のNHKの討論番組に出演していた
自民党の細田幹事長の言葉を借りれば、3:4~4:5くらいであったそうです。
とはいえ民主党を支持した有権者が一番多かったことに変わりはなく、
国民の信託は民主党への政権交代という形に置かれました。

自公は選挙前から民主の政策をばら撒き、財源が無いと主張してきました。
(従来型の)景気対策が弱い、これは公共事業等が少ないと言い換えればよいのでしょうか。
それに対して民主党は、前述のテレビ番組における岡田幹事長の言葉を引けば
先ず予算の無駄がないか、ゼロベースで徹底的に見直すと言っています。
民放のニュース番組に出ていた藤井裕久議員も話していましたが、
衆参とも自民が多数であった時には、多数の公益法人へ総額12兆円?の金が流れていて
その情報が表に出てこなかったが、参院が野党多数になることで明らかになりました。
最近では長妻昭議員が指摘した”消えた年金5000万件”ついて、
官僚がそんな事実は絶対無いと言ったにもかかわらず、実際にはあることが判明しました。
マッサージチェアだのゲーム機だの居酒屋タクシーだのと、こんなことに公費を濫用することは許されません。
道理として、先ずそこにメスを入れる。
民間のまっとうな経済感覚に基づいて通らない予算、金の流れは一掃する。
初めから政官一体となって増税ありき、耳に痛いことを言うのが責任ある態度と決め込む人たちに、
これからの日本を牽引していく資質はないと思います。
私にとって、同じ人間としては自公より民主に共感を抱きます。

これまで自民政権のもと行われてきた政治に、国民は何度となく怒りを覚え、
終いには言っても無駄だと呆れられ、低い投票率に示されるような政治不信による無関心が醸成され、
変わりはしないと思われた政界の有様のなか、民主を初めとする野党も非難されてきました。
この度驚くような大差をつけて民主党が政権与党となりましたが、
単純にこれまで政権を担当した経験が無いとか、
単独多数を得たので十分な議論を経ないまま数の力で押し切ろうとしないかなど、不安の声が伝えられます。
私には、政治家や官僚の醜態を見せられ、それに国民が失望して政治不信が増し、
それによってまた無反省な連中が利する結果になる、というような悪循環は受け容れられません。
疑問や不安を口にするのと同じくらい、肯定的・建設的な発想も意識する。
要求もするが自助努力もする。その節度を持とうとする。
筋が通された状態で、協力することを前提とする。
今日までの自民政権にその時々の必要性はあったかもしれないが、
今回民主に政権が任されたことにも、
今までの経緯に対する国民の想いがあり必要性を認められたのだと思います。
社会の進歩改善へ協力すること、私たちは傍観者ではないのです。
それともまたこの機会に、事なかれ主義で、総括の後回しをやってしまうのか。
私は新しい日本の政治体制に期待しています。

社会の指導管理者たる政治家・官僚たちが自身のみそぎを実行してこそ、
国民は耳の痛い発言へも耳を傾ける道理をわきまえる。
そして日中・太平洋戦争から現代に至るまでの日本社会、それの総括を行わなければならない。
外交軍事憲法の問題は、今一度国民の選択を通すよう、今の世代が責任を負うべきです。
最も遠大な問題として、未来世界を想うに自然環境との共存の道をいかに具体化できるのか。
人類社会の問題であり、これにも現世代として一つの回答を集約すべきです。

神示を解釈して近い将来のことを示唆される方もあろうかと思いますが、
主体性を見失ってはならない、現実はこの瞬間自分が創っていることを忘れてはならないと思います。
そして何よりも先ず、番頭さんたちの身魂磨きが第一なのだと思います。