ゾエの毎週金曜定例会見だが、ディベート術を思わせるような決まった回答パターンは、参考にすべき部分もある。
ビジネスの世界において、言いにくい相手にどう話を切り込むかというのは、頭を悩ませる問題。
また不都合なことを聞かれたら どう切り返せばいいのだろう。そんな時はゾエの回答術にヒントが・・・(笑)
ゾエの回答パターンは大体決まっている。
1 基本的に法律に触れそうなヤバい話題などは、言質をとられないよう、失言をしないための回答やワードを用意する
例「別荘」→「事務所」 と言い換えるなど。
例 様々なことの事実確認に対しては自分から絶対回答をしない。「厳しい第3者機関に精査してもらう」で繰り返し回答
例 元記者で出版会社社長の実在を疑われても「プライベートなことなので氏名などの公表は差し控えさせて頂きたい」の1点張り
2 的を得た質問には、「参考にさせてもらいます」と一言同調して、すぐその質問を切り上げる。
例 「都知事はいったん辞職して再選挙をして都民の信を問うべきではないか?」という質問に対して「参考にさせてもらう」的な回答。この人を食ったような(笑)回答が時折みられるのはこういう理由
3 法律に触れない今までの自分の仕事の業績や将来の夢については、多弁に語り話題をそらす。
的を得た質問に対して「逆ギレ」しないで、同調してスルーするというのはとても参考になる。同調するだけで相手が黙り込むからだ。相手のいうことに「反論しない」という姿勢。
記者の質問が時に生ぬるい、都議会議員の追求もなんだか空々しい・・・そう思えるのは逆に「都知事のディベート術に対抗するスキルの持ち主がいないということ」 だと思う。ゾエは「朝生」「タックル」でも白熱した議論を見せているが、あれも計算。どう発言すればいいのか ということに対して彼はプロフェッショナル。
だが、いくら彼が彼自身のためにプロフエッショナルな話術を展開しても、日本における「謝罪会見」は、「情」の部分をどう見せるかが定番なのである。圓楽師匠はさすが、この「情」の部分に訴えていた。過ちを認める潔さが「情」に訴える。恥を認めるということは他者の情につながるのだ。
「恥」という概念がある圓楽師匠と それが全くないゾエの会見は対象的だ。二人とも「自分の保身ために会見している」のだが、恥という概念があるのかないのか、人は画面から冷静に感じ取る。いくら演技をしても、これは品格の問題なので、ごまかしようすがない。
ゾエは東大卒で優秀な人、仕事もデキる(処理能力が高いという意味で)かもしれない。ただここ一番で品格が備わっていないために、会見を見るたび、むき出しの欲望を見せられているようで不快になる。なぜこれだけ頭がいいのに 人情の機敏がわからないのか(笑) まぁ仕方ないな。
人情の機敏はビジネスにおいては必要ないが、狭い日本、世の中を渡って生き抜くためには必要な知恵でしょう。ゾエは都市外交とか外国の人を相手にしているから、知恵は必要じゃなかったかも(笑)人情の機敏があれば 優秀じゃなくてもそれなりに生きていける。ゾエはそれを知らないんだろうなぁ。
都民はここまできたら、ゾエを絶対辞めさせたいという感じだけど、どうするのかな。死んでもいいから仕事をという意気込みも、あるらしいが。個人的にどっちでもいいけど、舛添都知事も家族がある。残念だけど家族を思って辞職すべきじゃないか?そう助言する人もいないのか。なんとも寂しいゾエ。