一見小さな出来事のようでも、政府がただ腕をこまぬいて見ているだけだと、日韓関係に
取り返しのつかない禍根を残す計画が韓国で進んでいる。
元慰安婦援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」がソウルの在韓日本大使館前の
路上に「記念碑」建立を計画し、ソウル市が許可したため12月にも設置される問題だ。
碑は慰安婦を象徴する高さ約120センチの少女の像の隣に空席の椅子が並ぶデザインだ。
挺対協は毎週水曜日に日本大使館前で集会を開き、民主党の岡崎トミ子元国家公安委員長も
かつて参加した慰安婦問題糾弾集会が1000回を迎える12月14日、除幕式を実施する意向
だという。
だが、日本の軍や官憲が強制的に女性を集めた証拠は、政府が国内外の公文書館や関係
省庁に八方手をつくして調べても一切見つからなかった。
挺対協は勤労動員された女子挺身隊と慰安婦を意図的に混同し、悲劇を演出しようとしているが
両者は全く別物だ。貧困のため親に売られたり、悪質な業者にだまされるなどして意に反して
慰安婦となったりした女性はいただろうが、それを日本軍のせいにするのは筋違いだ。
こうした歴史的事実を踏まえ、記念碑建立をやめるよう訴える機会が19日の日韓首脳会談だった。
ところが、野田佳彦首相は会談後の共同記者会見で「慰安婦問題は出なかった」と述べ、韓国側が
テーマとして持ち出さなかったこと自体が成果であるかのように胸を張った。
「いっそ記念碑建立予定の大使館前の路上にドラえもんやガンダムの像を100体ぐらい建てようか。
とにかく記念碑を建てさせなきゃいいんだから」
記念碑建立取りやめを韓国側に働きかけている外務省筋はこんなヤケクソ気味のアイデアを披露する。
韓国における日本の象徴である大使館前に史実と反する少女の強制連行を表した記念碑が建てば、
日本は「性奴隷(セックススレイブ)の国、日本」であることを受け入れさせられた形になる。当然、
日本国民の対韓感情は「そこまでやるのか」と冷え込むことだろう。
政府は情報公開を
歴史問題ではいつも、自分と同調者だけが良心的で立派だと信じ込む謝罪マニアや、その場しのぎの
問題先送り主義者が問題を複雑化させてきた。
「野蛮な行いをしながら公式な謝罪をしていないのは日本の国会議員として恥ずかしい。帰国したら
慰安婦問題を広める」
今月12日の挺対協の集会には社民党の服部良一衆院議員が参加し、こう発言している。こうしたタ
イプの人にとって、韓国側が主張する慰安婦の強制連行説は、いくら根拠が薄かろうと反証があろうと
疑ってはいけないドグマなのだろう。
また、慰安婦募集時の日本軍・官憲の関与の「強制性」を政治判断で認め、国際社会にそれを広めて
しまった1993(平成5)年の「河野洋平官房長官談話」の罪もとてつもなく重い。
「女性が強制的に連行されたものであるかは、文書、書類ではなかった。本人の意思のいかんにかか
わらず連れて来い、という命令書は存在しなかった」
河野氏自身が後にこう認めているのである。韓国政府の要請に安易に応じ、姑息(こそく)に出された
この政府談話によって、日本の国際イメージはどれほど損なわれ、問題を長引かせることになったことか
計り知れない。
結局、河野談話の根拠は韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査だけだった。これも談話作成に
かかわった石原信雄氏(当時官房副長官)が「裏付け、本人の親に会うとか当時の関係者に会うとか
そういう手段はない。もっぱら本人の話を聞くだけだ」と証言している。
私はかつて、この聞き取り調査について外務省と内閣府に情報公開請求を行ったが、ともに「元慰安婦
たちのプライバシー」を理由に却下された。だが、プライバシーを保護しながら情報公開する手段もある
はずた。日韓関係の正常化のためにもすべてを白日の下にさらすべきだ。
★☆★『戦地の娼婦が自分の意思に反し強制連行された物的証拠はないのが客観的事実』★☆★
日本軍の戦線が拡大長期化するうちに、軍が認めた売春業者が経営する慰安施設の利用し、
そこで働いてきた女性(追軍売春婦)をいわゆる「従軍慰安婦」と呼んでおり、
軍人相手の(大半が朝鮮人によって経営されていた民間業者による)“娼婦”は存在していました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「当時売春は“合法”」であり、慰安婦(公娼)の大多数は日本人でしたが、
韓国人(当時は日韓併合中なので、“朝鮮半島出身の日本人”)もいたことは否定されていません。
争点となっているのは、これらの慰安婦(戦地の追軍娼婦)のうち、
韓国人の慰安婦(戦地の娼婦)が日本軍によって強制連行されたか、否かです。
この問題は、「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」という吉田清治という人物の本がきっかけで、
突然火がついて、朝日新聞等もキャンペーンを行って、日本でも韓国でも問題化したのですが、
その後大学教授や、韓国の現地新聞の調査でこの本が“フィクション”であると判明し、
吉田氏自身も“作り事”であったと“自白”しています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし、韓国で、「自分は従軍慰安婦で日本軍に強制連行された」と自白する女性が名乗り出て、
韓国政府側はこれを根拠にしていますが、いるその主張や記憶は史実からはずれていたり、
つじつまがあわないものもあり、証拠は出てきていません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
補償問題は、「日韓基本条約で解決済み」であり、戦時中の慰安婦(追軍売春婦)に韓国人はいたが、
自分の意思に反して強制連行された物的証拠がない、これが客観的事実です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〔自由民主党 参議院議員 千葉商科大学大学院 会計ファイナンス研究科 教授 片山 さつき〕
■アメリカ軍の調査書(ミャンマーのミチナでアメリカ軍の捕虜になった慰安婦の調書)
日本兵の月収は15円~25円。
慰安婦の月収は1000円~2000円。
慰安婦は個室で生活し、日本兵に比べて贅沢な生活をしていた。
また接客を断る権利も認められていた。
■元慰安婦、文玉珠の裁判記録(日本に郵便貯金の変換を要求した裁判)
貯金の記録を調べると、1943年6月から1945年9月まで12回の貯金の記録があった。
合計金額は26145円だった。
更に故郷の大邱に5000円を送金している。
■元日本海軍中佐、杉浦実の述懐
慰安婦は約5000円の借金を3ヶ月から半年で返済した。
更に約5000円~10000円の貯金を持っていた。
30000円も貯金している慰安婦もいて、みんなで驚いた。
★☆★『韓国で数十人の連行経験者に取材したが、軍が連行したという証言は得られなかった』★☆★
いわゆる慰安婦と呼ばれている話そのものは、70年代からありました。
それが挺身隊だというのも、韓国などが主張していたことです。
だから私も取材したわけです。 しかし結局、それは裏が取れなかったのです。
少なくとも私がインタビューした数十人の韓国人は、
男女を問わず、だれも「強制的に引っ張られた」とは口にしなかった。
多かったのは「だまされた」とか「逃げられなかった」という訴えです。
当時の炭鉱では労働者の4割が逃亡したというから、ひどい実態だったんでしょう。
しかし、この場合「だました」主体は、民間の業者です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実態としても、軍の関与は労働者の輸送などにとどまります。
だから私の番組は「詐欺的な強制労働を軍が支援した」と紹介したのです。
実態としていえば、広義の(軍による)強制もなかったと思います。
だましたのは口入れ屋であり、タコ部屋から逃亡できないように監視していたのは用心棒です。
軍はあのボロ負けの戦場で、売春婦の監視に兵力をさく余裕なんかありません。
だから証拠が出てこないんですよ。
そうでなければ、あの広範囲で行なわれた戦争で、何も証拠が出てこないということはありえない。
慰安婦の証言についても、詳細に検討してみれば、軍の強制を裏づけるものは一つもない。
当たり前です。 実態がなかったのだから。
〔上武大学特任教授 SBI大学院大学客員教授 池田 信夫〕
戦地で慰安婦は居たのは事実だろうが、これは今でいう売春組織が戦地に出向いて暗躍していたのが実際のところで軍が直接に関与はしていないであろう。
取り返しのつかない禍根を残す計画が韓国で進んでいる。
元慰安婦援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」がソウルの在韓日本大使館前の
路上に「記念碑」建立を計画し、ソウル市が許可したため12月にも設置される問題だ。
碑は慰安婦を象徴する高さ約120センチの少女の像の隣に空席の椅子が並ぶデザインだ。
挺対協は毎週水曜日に日本大使館前で集会を開き、民主党の岡崎トミ子元国家公安委員長も
かつて参加した慰安婦問題糾弾集会が1000回を迎える12月14日、除幕式を実施する意向
だという。
だが、日本の軍や官憲が強制的に女性を集めた証拠は、政府が国内外の公文書館や関係
省庁に八方手をつくして調べても一切見つからなかった。
挺対協は勤労動員された女子挺身隊と慰安婦を意図的に混同し、悲劇を演出しようとしているが
両者は全く別物だ。貧困のため親に売られたり、悪質な業者にだまされるなどして意に反して
慰安婦となったりした女性はいただろうが、それを日本軍のせいにするのは筋違いだ。
こうした歴史的事実を踏まえ、記念碑建立をやめるよう訴える機会が19日の日韓首脳会談だった。
ところが、野田佳彦首相は会談後の共同記者会見で「慰安婦問題は出なかった」と述べ、韓国側が
テーマとして持ち出さなかったこと自体が成果であるかのように胸を張った。
「いっそ記念碑建立予定の大使館前の路上にドラえもんやガンダムの像を100体ぐらい建てようか。
とにかく記念碑を建てさせなきゃいいんだから」
記念碑建立取りやめを韓国側に働きかけている外務省筋はこんなヤケクソ気味のアイデアを披露する。
韓国における日本の象徴である大使館前に史実と反する少女の強制連行を表した記念碑が建てば、
日本は「性奴隷(セックススレイブ)の国、日本」であることを受け入れさせられた形になる。当然、
日本国民の対韓感情は「そこまでやるのか」と冷え込むことだろう。
政府は情報公開を
歴史問題ではいつも、自分と同調者だけが良心的で立派だと信じ込む謝罪マニアや、その場しのぎの
問題先送り主義者が問題を複雑化させてきた。
「野蛮な行いをしながら公式な謝罪をしていないのは日本の国会議員として恥ずかしい。帰国したら
慰安婦問題を広める」
今月12日の挺対協の集会には社民党の服部良一衆院議員が参加し、こう発言している。こうしたタ
イプの人にとって、韓国側が主張する慰安婦の強制連行説は、いくら根拠が薄かろうと反証があろうと
疑ってはいけないドグマなのだろう。
また、慰安婦募集時の日本軍・官憲の関与の「強制性」を政治判断で認め、国際社会にそれを広めて
しまった1993(平成5)年の「河野洋平官房長官談話」の罪もとてつもなく重い。
「女性が強制的に連行されたものであるかは、文書、書類ではなかった。本人の意思のいかんにかか
わらず連れて来い、という命令書は存在しなかった」
河野氏自身が後にこう認めているのである。韓国政府の要請に安易に応じ、姑息(こそく)に出された
この政府談話によって、日本の国際イメージはどれほど損なわれ、問題を長引かせることになったことか
計り知れない。
結局、河野談話の根拠は韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査だけだった。これも談話作成に
かかわった石原信雄氏(当時官房副長官)が「裏付け、本人の親に会うとか当時の関係者に会うとか
そういう手段はない。もっぱら本人の話を聞くだけだ」と証言している。
私はかつて、この聞き取り調査について外務省と内閣府に情報公開請求を行ったが、ともに「元慰安婦
たちのプライバシー」を理由に却下された。だが、プライバシーを保護しながら情報公開する手段もある
はずた。日韓関係の正常化のためにもすべてを白日の下にさらすべきだ。
★☆★『戦地の娼婦が自分の意思に反し強制連行された物的証拠はないのが客観的事実』★☆★
日本軍の戦線が拡大長期化するうちに、軍が認めた売春業者が経営する慰安施設の利用し、
そこで働いてきた女性(追軍売春婦)をいわゆる「従軍慰安婦」と呼んでおり、
軍人相手の(大半が朝鮮人によって経営されていた民間業者による)“娼婦”は存在していました。
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「当時売春は“合法”」であり、慰安婦(公娼)の大多数は日本人でしたが、
韓国人(当時は日韓併合中なので、“朝鮮半島出身の日本人”)もいたことは否定されていません。
争点となっているのは、これらの慰安婦(戦地の追軍娼婦)のうち、
韓国人の慰安婦(戦地の娼婦)が日本軍によって強制連行されたか、否かです。
この問題は、「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」という吉田清治という人物の本がきっかけで、
突然火がついて、朝日新聞等もキャンペーンを行って、日本でも韓国でも問題化したのですが、
その後大学教授や、韓国の現地新聞の調査でこの本が“フィクション”であると判明し、
吉田氏自身も“作り事”であったと“自白”しています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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しかし、韓国で、「自分は従軍慰安婦で日本軍に強制連行された」と自白する女性が名乗り出て、
韓国政府側はこれを根拠にしていますが、いるその主張や記憶は史実からはずれていたり、
つじつまがあわないものもあり、証拠は出てきていません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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補償問題は、「日韓基本条約で解決済み」であり、戦時中の慰安婦(追軍売春婦)に韓国人はいたが、
自分の意思に反して強制連行された物的証拠がない、これが客観的事実です。
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〔自由民主党 参議院議員 千葉商科大学大学院 会計ファイナンス研究科 教授 片山 さつき〕
■アメリカ軍の調査書(ミャンマーのミチナでアメリカ軍の捕虜になった慰安婦の調書)
日本兵の月収は15円~25円。
慰安婦の月収は1000円~2000円。
慰安婦は個室で生活し、日本兵に比べて贅沢な生活をしていた。
また接客を断る権利も認められていた。
■元慰安婦、文玉珠の裁判記録(日本に郵便貯金の変換を要求した裁判)
貯金の記録を調べると、1943年6月から1945年9月まで12回の貯金の記録があった。
合計金額は26145円だった。
更に故郷の大邱に5000円を送金している。
■元日本海軍中佐、杉浦実の述懐
慰安婦は約5000円の借金を3ヶ月から半年で返済した。
更に約5000円~10000円の貯金を持っていた。
30000円も貯金している慰安婦もいて、みんなで驚いた。
★☆★『韓国で数十人の連行経験者に取材したが、軍が連行したという証言は得られなかった』★☆★
いわゆる慰安婦と呼ばれている話そのものは、70年代からありました。
それが挺身隊だというのも、韓国などが主張していたことです。
だから私も取材したわけです。 しかし結局、それは裏が取れなかったのです。
少なくとも私がインタビューした数十人の韓国人は、
男女を問わず、だれも「強制的に引っ張られた」とは口にしなかった。
多かったのは「だまされた」とか「逃げられなかった」という訴えです。
当時の炭鉱では労働者の4割が逃亡したというから、ひどい実態だったんでしょう。
しかし、この場合「だました」主体は、民間の業者です。
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実態としても、軍の関与は労働者の輸送などにとどまります。
だから私の番組は「詐欺的な強制労働を軍が支援した」と紹介したのです。
実態としていえば、広義の(軍による)強制もなかったと思います。
だましたのは口入れ屋であり、タコ部屋から逃亡できないように監視していたのは用心棒です。
軍はあのボロ負けの戦場で、売春婦の監視に兵力をさく余裕なんかありません。
だから証拠が出てこないんですよ。
そうでなければ、あの広範囲で行なわれた戦争で、何も証拠が出てこないということはありえない。
慰安婦の証言についても、詳細に検討してみれば、軍の強制を裏づけるものは一つもない。
当たり前です。 実態がなかったのだから。
〔上武大学特任教授 SBI大学院大学客員教授 池田 信夫〕
戦地で慰安婦は居たのは事実だろうが、これは今でいう売春組織が戦地に出向いて暗躍していたのが実際のところで軍が直接に関与はしていないであろう。