
【連載】頑張れ!ニッポン㉞
ストーカー殺人事件と「予防保全」
釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)
なぜ警察は動かなかったのか
神奈川県川崎市でストーカーに付きまとわれた女性が遺体で発見され、犯人も逮捕された。被害者の父親はストーカーにつけ狙われているから警察に保護を訴えたが、事件性がないと言われ相手にされなかったと主張、警察側は可能な範囲で十分な対応をしたと説明している。
今回と似たような事件が過去にも何度かあったと新聞各紙にに報じた。代表的なストーカー殺人事件としてあげられるのが、平成11(1999)年に埼玉県桶川市で起きた事件だろう。
JR桶川駅前の路上で女子大生が交際相手に刃物で刺されて亡くなったのだ。女子大生は生前からストーカー被害を訴え出ていたが、警察は訴えを放置するなどしていたらしい。この事件でストーカー規制法が制定される契機になった。
平成23(2011)年には長崎県でも、事前に警察にストーカー被害を訴えていた女性の祖母と母が、女性と同棲していた男に刺殺された事件が起きている。
そして令和5(2023)年には、福岡市で女性会社員が元交際相手の男に刺殺された。男には、ストーカー規制法に基づく禁止命令が出されていたという。
警察側にもいろいろ事情があるのだろうが、事前に防ぐ手立てはないものかと、もどかしさを感じてならない。
予防保全
さて、今回起きたストーカー殺人事件の報道を見て、「予防保全」という言葉が浮かんで来た。私は入社間もなくパワー半導体の試作ラインに配属されたが、その時に「PМ」という言葉に出会う。プリヴェンティヴ・メンテナンス(Preventive Maintenance)、日本語では「予防保全」の事である。
機械が故障してから修理するのではなく、故障の予兆を検知して必要な処置をするという意味合いだ。私がいた試作ラインにも各種の装置や計器類が多くあり、一部定期点検するものがあったが、大部分は故障してから修理するのが実態だった。
定期点検と言えば、車の車検も「予防保全」の一種だ。日本では2~3年ごとに車検を受ける事が法律で決められているが、米国ではどうなっているか調べてみると、州によってやり方が異なるようで、しかも内容は排気ガスのチェックが主なもののようだ。
何故米国の車検制度を気にするかと言えば、それには訳がある。昔、シリコンバレーのフリーウェイを現地の人が運転する車に乗せてもらった時の事である。
車窓から眺めていると、ポンコツの車がドアを粘着テープで止めただけの状態で、バタバタ言わせながら走っているではないか。
さらに道端のあちらこちらに廃車まがいの車が放置されているのを見かけたので、米国には車検制度などないのかなと思ったものだ。1980年代の事であったが、当時も日本車が沢山走っていた。トランプ大統領が嘆くのもわからないではない。
「予防保全」が前提の医療と新幹線
予防保全という考えは医療分野においてもあるようだ。病気になってから病院に行くのではなく、病気にならないように定期的に健康診断を受けて、病気の予兆をつかんで必要な処置をすることが勧められている。その方がお金も掛からないので本人は勿論、国の医療費用も大幅に軽減されるという。
ところで、新幹線はその正確さ、安全性、快適性で世界的に知られているが、この重要なシステムの裏には、徹底したメンテナンス体制がある。
新幹線のメンテナンス体制は予防保全の考え方に基づいている。予防保全によって、車両の性能を常に最良の状態に保ち、運行中の事故や故障を防ぐことができる。また、定期点検によって車両の寿命を延ばし、長期的な運行コストの削減にも寄与している。
点検には日常点検、月次点検等いろいろあるようだが、その内の年次点検は我々メーカも関与するものである。これは年間で行われる総合点検で、車両全体の徹底的な検査と整備が行われるものである。
浜松にJR(当時は国鉄)の整備工場があり、我々の作ったパワー半導体のチェックも行われる。その為に品保部門の技術者が出向き、車両に搭載されているパワー半導体を一つひとつ点検するのである。
カーブトレーサ等によって特性劣化の有無を確認し、不具合の兆候が見られるものは新品と交換するのだ。
▲新幹線浜松工場(2nd Trainより)
▲新幹線浜松工場(毎日新聞より)
製鉄所は定期的に総点検と修繕を実施
製鉄所でも定期的に製造ラインを止めて装置の修繕が行われる。圧延工場では、一定期間運転を休止して、装置の総点検と修繕が行われる。
ここでも工場に納めたパワーデバイスの総点検と修繕が行われる。川崎製鉄(現JFE)の水島製鉄所の圧延工場での点検修繕に立ち会った事があった。
通常はその様なところに行くことは無いのだが、何故行くことになったのか覚えていないが、いい経験になった。製鉄所の大きさが印象的で、工場の正門から圧延工場の現場までタクシーに乗ったのを覚えている。
▲日本製鉄鹿島製鉄所の圧延工場(日本製鉄鹿島製鉄所)
今回のストーカーの事件で思うのだが、我々の日常では事が起こらないと動かないことが少なくない。
卑近な例だが、道路に信号機を新設する場合も、「実際に交通事故が起こらないと信号が付くことは無いのでは?」と感じる。
道路が出来た当初は交通量も少なく、信号機も必要無いものだ。ところが、段々交通量が増えて来ると、危ない状況になる。しかし、それでも信号が設置されないので、車同士の事故が起こってしまう。
(人身事故が起こって初めて信号機の設置が検討されるのでは?)
と疑いたくなる。要するに犠牲者が出ないとダメなのか。どのような事でも、将来起こる事態を想定して、予め対策をするのはなかなか難しいものだ。
【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】
昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)