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《注目の書籍》日米戦争の起点をつくった外交官

2022-12-15 05:30:48 | 書評

《注目の書籍》日米戦争の起点をつくった外交官

 

 

在中華民国初代公使ラインシュは北京での6年間(1913-1919)に何を見たのか?

 対華二十一か条の要求、袁世凱の台頭と失脚、対ドイツ参戦問題、孫文と広東政府との対立、五四運動……。めまぐるしく展開する政治情勢の中、北京寄りの立場で動き、日本の中国政策を厳しく批判したラインシュの回想録 An American Diplomat in China(1922)の本邦初訳。

ラインシュがウィルソン大統領に送った書簡は“外交史上最も煽動的”“日本に対する猛烈な告発”とも言われた。 

20年後に日米対立、開戦に至る起点が、このラインシュの反日的言動にあると言ってよい。(同書の帯より)

 

 

 ポール・サミュエル・ラインシュ(Paul Samuel Reinsch)は名前からもわかるように、ドイツ系である。両親がアメリカ人に移住し、ライシュは1869年にウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれた。
わかるように、ドイツ系である。両親がアメリカ人に移住し、ライシュは1869年にウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれた。
 ウィスコンシン大学マディソン校を1894年に卒業したが、7年後に同校の教授として植民学を教える。教え子の一人が後に京都帝大総長になる経済学者の山本美越乃だ。
 ライシュは1913年、ウィルソン大統領の勧めでに北京駐在のアメリカ公使を6年間務めた。その後、北京政府の最高顧問となり、日本を「悪の体現者」「自由と民主主義の敵」「世界紛争の原因」とみなすなど、あからさまな「反日」思想を北京政府に叩き込む。
 日本政府は第1次世界大戦中の1915年1月18日、満蒙での日本の権益問題や在留邦人の保護についての中国へ「対華21カ条要求」を突き付けた。
 これを幸いに、ライシュは中国外交部と密接に連携し、日本が不利になるような数々の助言を与えている。学者・外交官という名を借りたデマゴーグとしか言いようがない。一貫して「反日」を煽り続け、結果的に日本を対米戦争に向かわせたライシュ。しかし、日米開戦を見ることはなかった。1923年に当地で54年の生涯を閉じたのである。 奇妙なことに、ライシュの存在を知る日本人は極めてクー少ない。まるで歴史の一コマからすっぽりと抜け落ちたかのようではないか。中国と日本を離反させ、アメリカの権益を大陸に張り巡らそうとしたポール・サミュエル・ラインシュ。その巧妙な策略に光を当てたのが、本ブログでも連載していただいた近現代史研究家の田中秀雄さんである。
 ライシュは亡くなる前年の1922年、ダブルデイ社から回想録"An American diplomat in China"(中国のアメリカ人外交官)を著す。奇しくも100年後の10月、田中さんは芙蓉書房出版から、その翻訳本を出版した。それが『日米戦争の起点をつくった外交官』である。

 
【内 容】

《第一部》 古い中国と新しい共和国
第1章 中国の独裁者・大総統
第2章 人間の多い国、中国
第3章 新中国に残る古い儒教
第4章 政治の舞台裏を垣間見る
第5章 政治を見る人たちと
第6章 商業冒険家にとっての中国
第7章 アメリカの行動に対する迅速な提案
第8章 中国のための小さなビジョン
第9章  "アメリカ人は遅い"
第10章 民俗と官僚 

《第二部》 袁世凱の退場
第11章 戦争 山東省の日本
第12章 有名な二十一か条の要求 一九一五年
第13章 団結
第14章 北京、戦争の日々
第15章 皇帝・袁世凱
第16章 袁世凱の没落とその死
第17章 共和国の人々は鞍の上に

《第三部》 戦争と中国
第18章 北京のアメリカ人起業家
第19章 「門戸開放」を守るために
第20章 静かな日々の日記、一九一六年の秋
第21章 中国、ドイツと断交す
第22章 中国のボスたちが北京にやってくる
第23章 一日だけの皇帝
第24章 ドイツとの戦争:再調整
第25章 中国人は借金をするようになった

《第四部》 戦争の最後の年、そしてその後
第26章 石井・ランシング協定
第27章 困難の中で北京は喜ぶ
第28章 新たな世界大戦の到来?
第29章 日本、敵意をむき出す
第30章 匪賊、陰謀家、そして分裂した家
第31章 北京の若者たち、パリの老人たち
第32章 国家がストライキを起こし、団結する
第33章 北京を離れて

《付帯資料》
●二十一か条の要求
●米国国務長官からガスリー日本大使へ[電報] ワシントン、一九一五年五月十一日午後五時
●石井・ランシング協定(ランシング長官より石井全権大使への公文のみ掲載)一九一七年十一月二日


■本ブログ愛読者への田中秀雄さんからのメッセージ
 
《日本とアメリカはなぜあのような悲惨な戦争に突入したのだろうか。そういう素朴な疑問から日米関係の本を読んでいると、いつもつまづきの石のように出てくるのが中国に対する21か条の要求である。そして日本の前に立ちはだかるように、北京のアメリカ公使が登場する。それがポール・ラインシュである。
 そういう過程を著述した本があるのだが、読んでみると大変なことが書いてある。日本は産業国家として自給できるものはほとんどな
く、対日制裁として貿易の封鎖をすれば完全に干上がる通商国家であるというのである。まさに戦争挑発行動である。これを当時のウィルソン大統領に提言し、自分の著書にも載せているのだから恐れ入る。 ラインシュは1923年に亡くなっているが、この対日方針を堅持したのが、彼の忠実な弟子であるスタンリー・ホーンベックである。彼が日米通商条約を廃棄したルーズベルト大統領の極東政策の推進者なのだ。1922年に出版されたラインシュの著書を私は翻訳してみた。大体、第一次世界大戦の最中の中国での出来事が描かれている。日本と関係のある事件が沢山起きている。興味のある方は手に取ってもらいたい。田中秀雄》

 

【田中秀雄(たなか ひでお)さんの略歴】 

昭和27(1952)年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。日本近現代史研究家。映画評論家でもある。著書に『中国共産党の罠』(徳間書店)、『日本はいかにして中国との戦争に引きずり込まれたか』『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(以上、草思社)、『映画に見る東アジアの近代』『石原莞爾と小澤開作 民族協和を求めて』『石原莞爾の時代 時代精神の体現者たち』(以上、芙蓉書房出版)、『優しい日本人哀れな韓国人』(wac)ほか。訳書に『満洲国建国の正当性を弁護する』(ジョージ・ブロンソン・リー著、草思社)、『中国の戦争宣伝の内幕』(フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ著、芙蓉書房出版)などがある。


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