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ブラボー! 【連載】腹ふくるるわざ㊲

2022-12-13 07:12:42 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ㊲

ブラボー!

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

ピッチ上の「ブラボー!」

 11月24日、サッカーワールドカップのドイツ戦。試合後のインタビューで日本代表の長友佑都が「ブラボー! ブラボー! ブラボー!」と連発して絶叫した。27日のコスタリカ戦敗退後には自身のツイッターで、「グループリーグ突破して、またどでかい声でブラボー言ったるからな」と予告していた。そして果せるかな、12月2日のスペイン戦の逆転勝利。試合後のインタビューで、長友は「あれ、言っていいですか? 小さい声で言うので。ブラボー! まじでみんなブラボー! 本当にありがとう。マジでブラボー」と当初の小さい声から次第に大声になり、興奮気味に合計9度の「ブラボー」を叫んだ。その「ブラボー!」が話題になっている。

▲スペイン戦後 長友佑都の「ブラボー!」

 

 今年を代表する言葉を選ぶ「流行語大賞」。すでにスペイン戦の前の12月1日に発表され、プロ野球のヤクルト村上宗隆内野手の「村神様」が年間大賞に輝いたが、「今年の流行語を~ブラボー~に変更したら」という声がSNSで話題沸騰中だ。
 奇跡的な勝利には感激したし、選手を大絶賛したいが、「ブラボー!」には何となく違和感がある。私がこれまでの生涯で一度も口にしたことがない言葉だからかもしれない。そこで調べてみた。
 さて、「ブラボー」はもともと現コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督の口癖だったらしい。そして同監督がサンフレッチェ広島時代(2006年~2011年)に森保現日本代表監督がサンフレッチェ広島のコーチだった。
 そのため、その口癖が森保氏に感染してしまい、以来、森保氏が日本代表監督になっても選手に対して「ブラボー」ということがあったらしい。そのためか、「長友は森保監督に媚びを売っているのではないか」という意見もネットにあった。
 また2016年には、長友が婚約者を紹介するときに口にした「アモーレ」が流行語大賞ベスト10に入賞したから、そのおいしい思い出をもう一度味わいたい、そして、それを引っ提げてTV解説者やバラエティ番組出演への道を開こうとしているのではないか、と辛口の評価は続いている。
 しかし、2021年にもすでに長友はブラボーと言っていたらしいから、これらの辛口評価はうがった見方なのだろう。

▲ペトロヴィッチ監督(左)と森保監督(右)

 

劇場の「ブラボー」

 ウィキペディアには、「ブラボー」について次のように書いてある。

〈イタリア語における "bravo" は、古典ギリシア語由来のラテン語 “barbarus" (野蛮な)とラテン語“pravus” (悪い・ゆがんだ)の混交を語源とし、もとは「野蛮な」「狂暴な」といった意味の形容詞である。フランス語の “brave”(勇敢な・善良な)と同源であるが、このフランス語の影響を受けて16世紀以降「勇敢な」「有能な」といった意味に変化し、次第に「良い」「素晴らしい」「偉大な」「優秀な」「賢い」といった幅広い語義を持つようになった。転じて、「よくやった」「素晴らしい」といった意味の感嘆詞ともなり、特に劇場などで聴衆が演者にかける喝采として用いられる。
この語法がフランス語に輸入され、更に英語(18世紀半ば頃)、日本語などに広がっていった。日本社会では日常生活の中で使用される機会はまれで、おもに文化的な場所や機会、特にクラシック音楽の演奏会やオペラ上演の際に用いられる。〉

 以上がウィキペディアからの引用だ。なるほど……。高校時代の友人にオペラ演出家がいるが、そういえば彼はクラス会でも「ブラボー!」と言っていた気もする。
 尚、正確なイタリア語は「ブラーヴォ」で「ラ」にアクセントがあるとのことだし、おまけに語形変化もあるらしい。難しい。オペラ演出家の彼がどんな発音をしていたかなんて何の記憶もない。

▲「ブラーヴォ」の語形変化

 

ブラボーおじさん

 ネットのサッカーファンの間では「ブラボー!」については賛否両論だ。どちらかというと、ファンの中では「ウザイ…」という声が多い。そのようなファンの間では、長友は「ブラボーおじさん」と言われている。
 全く知らなかったが「ブラボーおじさん」はクラシック界でも使われているらしい。演奏会で、曲の終わりにフライングぎみに観客席から「ブラボー」と叫ぶ男性のことだ。 クラシック愛好家の間では、たびたびこれを「マナー違反」「迷惑行為」だと批判する声が上がっている。
 素晴らしい演奏が終わって余韻を楽しんでいる至福の時間に、いきなり我先に「ブラボー!」と叫ばれたら雰囲気がぶち壊しというわけだ。サッカーファンにとっても勝利の余韻に浸っていたいときに「ブラボー!」の叫びは興ざめだったのだろう。
 ところで、サッカーファンなら先刻ご存じのことだが、長友はイタリアのチームに在籍した。ウィキペディアには長友のサッカークラブ所属についてこう記載されている。

〈神拝サッカースクール (西条市立三芳小学校[13]、西条市立神拝小学校[13])
1999年~2002年 西条市立西条北中学校
2002年~2005年 東福岡高等学校
2005年~2007年 明治大学体育会サッカー部
2007年  FC東京 (特別指定選手)
2008年~2011年1月 FC東京
2010年7月~2011年1月 ACチェゼーナ (loan) *イタリア
2011年1月~同年6月 ACチェゼーナ
2011年1月~同年6月 インテルナツィオナーレ・ミラノ (loan)  *イタリア
2011年7月~2018年6月 インテルナツィオナーレ・ミラノ *イタリア
2018年2月~同年6月 ガラタサライSK (loan) *トルコ
2018年6月~2020年6月 ガラタサライSK
2020年8月~2021年6月 オリンピック・マルセイユ *フランス
2021年9月~2022年9月 FC東京〉

 インテル時代のチームメートは、長友のことを「彼は日本人ではない。ラテン系だ。イタリア語がわからないのにチームメートとふざけあったりしてチームやサポーターに溶け込んでいる」と言っている。そんな明るく陽気な彼が、イタリアで10年間プレーしていたのだから、「ブラボー!」も自然に出てきたのだろう。

▲イタリアセリエA「インテル」時代の長友

 

三菱「ブラボー」

 三菱ミニキャブバンに「ブラボー」というグレードがあるらしい。「ブラボー」は、1989年ミニキャブエステートの後継車「ミニキャブブラボー」として誕生した。長友佑都が愛媛県東予市に生まれた3年後のことだ。
 発売当初は550ccだったが、1991年登場の2代目の時に660cc化して「ミニキャブ」から車名が独立し「ブラボー」となった。1999年に後継車となる「タウンボックス」が発売されたことで、「ブラボー」はいったん消滅したが、2011年に新グレードとして「ブラボー」が復活した。
 長友がイタリアに渡ったころだ。今回の「ブラボー!」をきっかけにして、長友のように小さくても馬力があるとかをうたい文句にすれば、車の販売増につながるかもしれない。長友は、TV解説者よりも前に車のCMで登場してくるのではないだろうか。

▲三菱ミニキャブバン「ブラボー」

 

船上の「ブラボー

 白井健康元気村の玉井秀幸村長から「ブラボーは船同士で使う旗信号の用語でもあるよ」と聞いた。「へー」と思って調べてみた。船の信号旗は「国際信号旗」と言われているようだ。文字旗、数字旗、代表旗、回答旗などがある。文字旗の1枚にはそれぞれ意味があり、さらに2枚、3枚と組み合わせて、様々な意思を伝えることができる。
 1枚だけの一字信号は、AからZまで決められている。Aは「Alfaアルファ」と呼ばれ、意味は「私は潜水夫を降ろしている。微速で十分避けよ」。そしてBは「Bravoブラボー」で、「私は危険物を搭載している」という意味らしい。海の上では「ブラボー」に「素晴らしい」なんて意味は特にない。

▲国際信号旗 文字旗

 

 スタジオジブリの「コクリコ坂から」でも主人公の女子高生が国際信号機を上げる場面があったが、これはUとWを組み合わせた二字信号で「ご安航を祈る。」ということらしい。

▲スタジオジブリ「コクリコ坂から」

 

Z旗

 ところで、国際信号旗ではアルファベットの最後のZは、「Zuluズールー」で、「私は引き船が欲しい」という意味(漁場の場合は、「私は投網中である」という意味)だ。しかし、Z旗は海戦史において
特別な意味を持つ旗としても広く世界に認知されていることはご承知のとおりだ。
 1905年5月27日~28日にかけて行われた日露戦争時の日本海海戦。連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、トラファルガー海戦(1805年。英海軍Vs仏海軍)の信号文「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」にならい、「皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ、各員一層奮勵努力セヨ」という意味を持たせたZ旗を旗艦「三笠」のマストに掲揚した。

 そんな日本海海戦の逸話以降、日本海軍ではZ旗は特別な意味を持つこととなり、太平洋戦争(大東亜戦争)中の日本海軍では、大規模な海戦の際には旗艦のマストにZ旗を掲揚することが慣例化した。

▲旗艦「三笠」のZ旗

 

フェアレディZ

 ニッサン自動車のフェアレディZの命名はZ旗にちなんだという逸話があるようだ。1960年代中期、当時の日産は「儲からないスポーツカー開発には力を入れない」という経営方針で、スポーツカー開発陣は冷遇されていた。
 そんなスポーツカー開発スタッフに宛て、アメリカ日産社長の片山豊は、「頑張れ!」という一言だけのメッセージとともに「Z旗」を贈呈した。これが1969年に誕生した「フェアレディZ」の命名の由来と言われている。(「究極の」という意味でZとも言われている。)

▲初代フェアレディZ

 

 森保監督も試合前「日本サッカーの興廃この一戦にあり、ベンチスタートするメンバーも含め26名。各員一層奮励努力せよ!」と檄を飛ばしたのではないだろうか。

 森保監督はクロアチア戦が終了して1時間以上経過した後、ピッチに戻って深々とお辞儀をした。また、選手団が解散して選手が所属チームに戻るため宿舎をバラバラに出る際には、そのたびに出てきて一人ずつ全ての選手と握手して別れを告げたそうだ。

▲クロアチア戦PK戦直前の円陣(左)とクロアチア戦終了後の森保監督(右)

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。


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