【連載エッセー・最終回】岩崎邦子の「日々悠々」(100)
波も穏やかで静かな海辺を散策している娘の家族。9月に入って間もない頃だったが、孫たちが海に向かって歩いて行くそのずっと先、地平線から朝日が昇ってきている。「海だよ~」と言いながら、はしゃぐ姿がLINEで送られてきた。夏休みも終わりこれからは仕事や勉学に向かうひと時を過ごしている。
ニュージャージー州プリンストン市から、さほど遠くない大西洋にあるビーチだ。早朝という事もあるだろうが、コロナの影響で東海岸のどのビーチも、例年の賑わいは見られない。その昔、孫たちがまだ小さかった頃、娘が「クラムチャウダーが美味しいよ」と案内してくれたことを、思い出した。
日本の大学生活をしていた孫(長女)は、春休みになってしばらくした3月9日に成田を発って行った。コロナ騒ぎが始まっていたが、がら空きの客席で出発し、ニューアーク空港に到着。何の検査もなく、すいすいと迎えの車で自宅に帰りついた。でも、彼女が帰国した直後くらいからか、目的の空港に着いても、コロナウィルス感染の検査をしてから2週間はホテル待機ということに。
次女はアメリカの大学で寮生活であった。が、学生はすべて自宅または宿泊先へと追い出されており、授業はオンラインで、6月の半ばまで受講をすることになったという。コロナ騒ぎの深刻さは増すばかり。
ニューヨークでの感染者の多さには驚いてしまった。長女は大学の春休みが終わっても、日本に戻ることも出来ない。結局、オンライン授業となったが、日本との時差があって真夜中になることも度々である。
家族の過ごし方、孫たちの勉強の時間調整が微妙だったようであったが、姉妹は仲が良い。二人共、学校の勉強の他にも社会で起きている事象にも、敏感に反応しているようだ。まず、5月25日に起きた事件だ。孫は日本の若者にもメッセージを発信し、「人種差別に無関心はダメ」と訴えている。
その事件とは、アメリカ中西部のミネソタ州・ミネアポリス近郊で、黒人男性のフロイドさんが白人警官に殺された。この事件がきっかけで、全米で激しい抗議活動が巻き起こる。警察官によって黒人が不当に殺される事件は、過去に何度も起きていた。
先ごろ開催された女子テニスの全米オープンで、大坂なおみが2回目の優勝を果たす。印象に残ったのは、彼女の黒いフェイスマスクに黒人犠牲者の名前が描かれていたことだ。黒人差別に対する強い抗議の意思を感じ取ることが出来た。「黒人の命も大切」「みんなが話し合う事が大切」というメッセージである。また彼女が履いていた靴に「家庭とは愛情があるところ」の文字を入れていたことも。
大坂なおみのような有名人でなくても、孫娘たちは人種差別への是正や、暴徒化する抗議活動を憂いている。この連載の86回目(「差別と正義」)でも、彼女たちが社会、特に若者世代に発信した10項目のメッセージを紹介したので、興味のある人は読み返してもらいたい。
8月にレバノンの首都ベイルートで悲惨な爆発事故があった。孫娘は巻き込まれた市民の心の痛手を憂い、チャリティ活動にも熱心になった。可愛い布で作ったマスク、小さな折り鶴をあしらったピアス、カラフルな糸で作られたミサンガ(願い事を叶えるために、手首や足首に巻き付けるアクセサリー)などを、姉妹や友人らと共に作ったのである。それらの画像をSNSにアップし、売り上げを寄付することにも奔走していたようだ。
世界に起きている大きな事件や事故、地球環境などに、若者が関心を持つことの大切さを、小さな運動ではあっても、懸命に訴えている。夏休みも終わり、娘たちの大学も始まった。
と言っても、二人の大学は、日本とアメリカの双方であるが、共にオンラインでの授業になっている。果たして上の孫が日本に戻れる日はいつになるやら。今後の勉強にも不安はある中、現実を受け止めながらも、元気に過ごしている様子にホッとする。
こうして、駄文を綴ってきたが、この度で100回目になった。しばらく前からこの日を迎えることを考え始め、改めて白井健康元気村のブログで村民や諸先輩の文を読み返してみることに。「なるほど~」とか、「流石~」と思う文が書かれている。
2年前の春に新米「村民」となってすぐの私に、「村民の主張」を書くようにと、村長の隣に座っていたからか、指名されてしまった。「村民は順番に書くのだから」とのこと。戸惑う私に「何でも思ったことを書けば良いよ」とのアドバイスもあった。
(そうだ、日頃から楽しんでいたパークゴルフのことを書こうか)
文章の区切りや文末は丁寧な女性らしいものに手直しがあって、ブログに掲載され「ほっ!」としたものである。しばらくすると、ブログの編集をしている山本さんから私に、「エッセーが書けるはず」とのメールが。本もあまり読まないし、ミーハー婆である。ただ、学生時代には作文を真面目に書いていた。それくらいである。
「エッセーって何?!」と、メールを無視することを答えとした。ところが、原稿を催促するメールが何度も送られてくるではないか。仕方がない。そんなわけで、転んでしまった失敗談をようやく書き上げた。それなのに、それなのに、新連載「岩崎邦子の『日々悠々』」とまで、命名されてしまったのである。
以後、週一で原稿催促のメールが届くように。さぁ、何をテーマにするのか、それが一向に決まらない。パソコンに向かってどうでも良いこと、昔のことを書き出すと、芋づるのように次々と思い出す。人さまの思惑は度外視だが、私には良い経験をさせてもらったのかもしれない。
駄文を綴るしかないのに、それには懲りない山本さんからは、あの手この手の短い文面で励まされる。プライベートなこと、恥などの切り売りを重ねても、「玉稿」と題した原稿催促が続くことに。
今年はコロナウィルスのお陰?というか、テレビなどで耳新しい言葉の数々を、見聞きしてきた。ちょっと思い出すだけでも、パンデミック、クラスター、アラート、ソーシャルディスタンス、フェースシールド、オンライン、リモート(会議・観戦・飲み会)、VR(バーチャルリアリティー=仮想現実)。
他にも健康に関する言葉に、フレイルがあって、高齢者としては我がこととして、実感させられた。若者たちが使っていたカオス、ヒエラルキー、果ては、ぴえんこえてぱおん。ここまで来ると、「なんじゃらほい?」であるが、興味を持って調べる気持ちになれたのは、駄文を書いてきたお陰だろう。お陰と言えば「読んでますよ~」「面白いね」「まぁ、頑張ってるね!」の声には、喜びも湧いた。
自粛生活が続き、友人たちとの交流もすっかり減ってしまった今、以前に書いたことも忘れて、似たようなことを書き連ねることも。「日々悠々」が100回も続けて来られたことは、一番にブログ編集の山本さんのお陰だ。読んで下さった方々にも、心から感謝したい。ありがとうございました!
店頭には葡萄やりんごなどのカラフルな秋の果物が並ぶ。新米の美味しい時期でもある。暑さで怠けていた体も、爽やかな風に吹かれて、元気に秋を迎えることが出来そうだ。季節がまさに変わろうとする今、元気村の有志のどなたかが、私に代わって何らかの形でブログに登場されることを、期待したい。