白井健康元気村

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えーと、名前は? 岩崎邦子の「日々悠々」(96)

2020-08-21 08:34:12 | 【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」

【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」(96

えーと、名前は? 

 

「あれ! 何を取りに来たんだっけ?」

 バタバタと階段を駆け上がっては来たものの……。まだ市川の戸建ての家に住んでいた30年以上も前のことだ。他にも冷蔵庫を開けたものの、「何が要るんだっけ?」なんてこともあった。

 ショックではあったが、暫くすれば、目的のことをすぐに、思い出すことが出来た。「もう呆けが始まったんだなぁ」という自覚にもなったが、友人なども同じようなことを経験しているという。しかし50歳前後の友人・知人になると、両親とか舅・姑の介護が始まった人もいて、「呆け」とは、そんな生易しいものではないことも聞かされた。

 あらぬ疑いをかけられる金銭のトラブル、毎日のような徘徊、トイレの自覚がなく、所かまわずに汚されての後始末、惨憺たる話を聞かされた時には、呆けた人の介護の大変さに、ただただ仰天であった。老親たちの介護に関しては、私の両親は早世していることや、義両親のことも義兄家族が同居していること、近くに義弟たち・義妹も住んでいるので、多分それほど深く関わることもないと思われた。

 ならば、自分が子供たちに迷惑をかけないよう、「呆け」にならないためには、どうしたら良いのか、だった。精神科医の同級生が「安心して呆けたら良いよ」「呆けた者勝ち」…と。まだ、若かった(?)から、でもあった。暗に、「くよくよしないで、元気に暮らすことが大事」なのだと、言いたかったのだろう。

 その後、やたら目にしたり聞いたりする言葉に「呆け=認知症」というのがある。アルツハイマー型やいろいろな型があるようだが、脳の神経細胞が破壊されたりすることで、正常な日常生活が送れなくなるのだ。様々な気を付けるべき事項を、聞いたり読んだりして多少なりとも学んで、暮らしてきた。

 人との会話の中で、顔はきちんと分かるのにその人の名前がすんなりと出てこない。あれこれと状況を説明しながら懸命になるのだが、会話が成り立たないことも。こうした時は、頭の中がもやもやとなり、やっと思い出せたときには、頭がすっきりする。

 人の名前や事柄など、思い出せないままになっていたことが、何気ない時や関係もない時に、その人の名前がひょっこりと出てきたりもする。「どうしてだろう」とも思うが、どうやら、高齢者の大半が経験することのようだ。

 その証拠に、「健康長寿の医者が教える 人の名前が出てこなくなったときに読む本」(松原英多・著、KKベストセラーズ)なるものも出版されている。脳細胞を活性化することが大切で、食事・運動のことや、血圧や糖尿病などの危険因子のことも。本以外からも、高齢者が気を付けるべき情報は、嫌でも目にも耳にも入って来る。

 日頃の食事の内容に気を遣い、運動音痴の私がパークゴルフを続け、針など持つことの嫌いだった私が、手作り教室に入って、布遊びなんか手先を使うように。声を出すこと、人との会話も大切らしいので、同級生たちと定期的に会って、食事を楽しむこともしてきた。また、楽しく歌うことも大事だと思ってコーラスの会にも入った。カラオケに誘われれば、それなりに楽しむこともしてきた。

 ところが、新型コロナウィルスの出現である。春まだ浅き頃であったが、それが瞬く間に日本だけでなく世界に広がることになった。その終息への道も未だに全く不明のままである。感染にはマスク予防だけに留まらず、「3密」も避けなければならない。

 人々の集まりに対して、いろいろな制限がされ、白井市も公民館の使用や活動が出来なくなり、秋に催される各種の行事もすべてキャンセルとなった。数々の認知症対策ともいえる高齢者の参加や活動の場が、大きく閉ざされたというわけだ。

 白井市の公民館などの再使用は7月から始まった。もちろん、朝の検温、マスクの着用、手の除菌はもちろん、「3密」を避け、机を除菌シート使用で拭うことも義務付けられている。こうして手作り教室は再開された。でも、少しでも不安がある人は休んで良い条件である。

 コーラスの会はどうなったか。検温から始まる一連の義務行為と共に、飛沫対策としてフェイスシールドも用意をしたのだが、その矢先に白井市の新型コロナの感染者が増大。そのため、会に欠席する人が続出する。さらに秋の音楽祭への参加が出来ないこともあって、8月、9月、10月と、思い切った自粛となった。

 声を出すこと、話すこと、歌う事が、どれだけ高齢者にとって有意義なことであろうか。そうは言っても、症状がなくても人に移す可能性もある。それが新型コロナの厄介なところだ。「感染者にもなりたくない」という気持ちに大きく動かされたものである。

 この春先に、ネット記事の中に認知症に似た現象・事態になるとして「フレイル」の言葉を初めて目にした時は、「はて、なんじゃらほい」と思った。いざ自分が高齢者となってみると、「認知症」にならないことへの関心が勝っていたのだが、最近では「フレイル」の文字がやたら気になってきた。高齢化が進んで身体機能や精神機能が低下すると、社会との繋がりも少なくなり、要介護状態を招く。それをフレイルと呼ぶ。

 このエッセーの93回目「ペットボトルの蓋」にも、フレイルともいえる自覚症状が私自身にも起きていることを書いたが、夫も自身の行動を以前より気にするようになったようだ。ゴルフで何かを忘れ物をした時や、大事な品物の置き場所を忘れて「はて、どこに仕舞ったのか?」となり、「フレイルだ!」と言い出す。

 奇しくも、8月11日付けで、白井市の「高齢者福祉課」から、65歳以上を対象にしたパンフレットが送られてきた。ありがたいことに、コロナウィルス感染症の予防・フレイル予防について、手取り足取りと、詳しく説明されている。

 今年の夏は異常なほど高温が続き、熱中症への心配もあって、外での運動が良いとも言えない有様。昼も夜もやせ我慢をしないで、冷房の効いた適温の中で過ごすこと、適度の水分補給が大切だとも。市からの親切なミッションは、ありがたい。健やかに過ごせることを願おう。


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