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嵐の活動休止宣言で見えたもの  岩崎邦子の「日々悠々」㉑  

2019-02-07 20:43:40 | 【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」

【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㉑

 嵐の活動休止宣言で

見えたもの                    

 

「嵐が活動休止だって!」 

  1月27日、孫の音楽会が終わった帰りの電車の中でのことだ。夫はスマホのヤフーニュースを見ながら、私がファンであることを知っているので、そう言った。

「へぇ~!」

   びっくりして改めて私もバッグからスマホを取り出した。かなりショッキングなニュースとして取り上げられているが、「でも、良かったんじゃないの?」と、私は冷静に受け止めることができた。

   国民的アイドルと言われる5人組(大野智・櫻井翔・相葉雅紀・二宮和也・松本潤)は「嵐」として1999年結成。テレビドラマ、映画、歌やバラエティー番組で活躍、紅白歌合戦の出場や白組の司会にも抜擢をされている。幾つものコマーシャルにも起用されているので、彼らの姿をテレビで観ない日がないくらいだ。しかし、彼らも全員が30代後半の年齢となった。いつまでもキラキラと輝き続けることを強いられ、好きな女性が出来ても結婚はおろか、スキャンダル扱いとなるのみ。本人たちも望んでその道に入ったとはいえ、20年も頑張った今、ここで一休みして自分の行く末、これからの活動の仕方を考えたくなるのも当然だ。

 家に帰ってみると、「嵐、活動休止」のニュースは各テレビ局でも放映されており、大騒ぎとなって全国に広まった様子。嵐のファンクラブ会員には、当日会報にて早々に伝えたとかで、狂信的嵐ファンの驚き、嘆き、慟哭ぶりも、ネットニュースが伝えている。その日の夜8時のテレビで、嵐5人が揃って会見を行うのを見た。取材陣の多さに驚きだが、5人の服装がお互いにマッチングしていて、緊迫感はない。休止にいたるきっかけは「普通の生活がしたい、今の活動を休んで自分を見つめてみたい」という嵐リーダー大野智の発言からだった。

 5人がそれぞれ個別にも、5人揃ってでも、何回も何回も話し合って出した結果が、2020年の12月31日で、嵐の活動を休止することになったのだという。全員の表情はにこやかで穏やかな雰囲気、記者達の質問に対しても誠実さが感じられた。長い時間の会見で全員が言っていたのは、「5人でなければ嵐ではない。5-1=0」ということで一致していた。活動休止まで、これから約2年かけて、コンサートやテレビの活動でパフォーマンス見せてゆく。その結論に至ったのは、ファンへのお詫びの気持ちも入れながら、スポンサーに迷惑を極力かけないという、計算のもとに発表された。

 ところで3年前に解散をした5人のグループのSMAPのことが思い出される。彼らは1988年に結成され、最初の6人から1人が抜けて5人になったが、その活躍は華々しかった。若い男性タレントを育成しているという会社・ジャニーズ事務所を背負っている感があった。しかし、後に後輩たちのグループがどんどんデビューをして、素人が見ても会社の中で各グループ間に、本人たちに責任はないのであろうが、派閥があるのではと、思わせるようになっていった。そしてSMAPが敏腕マネージャーと共に独立するとか、解散するとか、会社離れの噂が流れた。

 今でも鮮明に覚えているのが、SMAP解散回避のための謝罪会見である。全員が黒いスーツで手を前に組んでいる。当時、木村拓哉(43)を真ん中にして、笑顔など全く見られない神妙な面持ちで会見に臨み、解散騒ぎを詫びていた。しかし、この会見も空しく、5人の意見も立場も揃うことはなく、空中分解のごとく解散となってしまったことは、どうにも痛々しく気の毒であった

 私がミーハーだ、ということは、今までにも折に触れて書いてきたが、そもそもジャニーズの少年たちが気になりだしたのは、いつ頃からだろう。1980年代、女性では松田聖子、中森明菜など出た頃、ジャニーズ事務所から出た「たのきんトリオ」(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)が、大人気となったが、彼らの活躍が発端だったかもしれない。

 その後、シブがき隊、少年隊、光GENJI、SMAP、V6、TOKIO、Kinki Kids、などが続いた。1998年にはジャニーズJr(ジュニア)の黄金時代がやってきた。12歳くらいから15・16歳位のオーディションに受かった美少年集団60名ほどが、歌ったり踊ったりのバラエティー・テレビ番組『8時だJ』があった。

 タレントのヒロミとJrで一番人気の滝沢秀明(社長からの信望が厚く)とが司会をしていた。後にこの集団の中から、嵐や関ジャニ∞のグループ達が誕生していき、多くの若手俳優もここから生まれ、活躍している。『8時だJ』のある日の番組で見た少年、櫻井翔が非常に印象に残った。60名もいる少年たち、前に出て、何としても目立とうとしている少年たちの中で、いつも彼は後ろのひな壇にいて、目立つこともない存在だった。

 滝沢君を囲んでJrの5、6人が、テーマに沿ってトークをするコーナー。櫻井君はその日は、誰かのピンチヒッターだった。10代のファンから届いた質問は「『好き』と『愛してる』はどう違うのですか?」というもの。まぁ、少年たちは「は~い」と勢いよく手を挙げるものの、「意味は同じだ」とか「LIKEとLOVE」のちがいだとか、大騒ぎをしながらも訳の分からない答え方をしていた。

 ピンチヒッターなので、黙っている櫻井君に、試しに答えてごらんといった具合で指名がかかった。彼はふっと笑うような顔つきになって「好きとは概念的なこと」「愛してるは、その人の性格や生き様や私生活を知って、人として好きになったら、愛してる、になるんだよ」と、少しどや顔だったが自分の考えを、整然と話す答え方をしていた。一味も二味も他の誰よりも違っていて印象が強烈だった。

 後に知ったのは、彼は厳しい両親との約束を守って、学業と芸能活動と両立させることが第一だった。無欠席・無遅刻で通学しており試験の前にはこの番組には参加することもなかった。彼の心は「もがいても滝沢君の位置には行かれない、前に出て目立とうとすることはダサい、普通の少年でいたい、などと思う自分はもっとダサい」と、屈折していたというか、斜に構えた少年の櫻井翔だった。

 今も時々当時の写真が披露されることがあるが、へそピアス、カラコン、茶髪などは、その心模様であったのだろうか。クラブ活動のような気持ちで、踊ったり歌ったりのレッスンをしているのが楽しかった、という。しかし、祖父・祖母に会えば、「ジャニーズをいつ辞めるのか」と言われ続け、父親からは仕方なくの黙認状態であった。高校卒業までをJrとして、以後は大学に進むことを考えていたので、デビューの話が出た時には、大変なことに巻き込まれてしまった、の思いが強かったという。

 嵐の5人の結成、人選をどのようにして構成されたのかは、社長の胸三寸であって知る由もない。あちこちの番組で本人たちが言っているのは、騙されたようにハワイに行き、クルーザーからの嵐のデビュー会見をした。これは多くの人に鮮烈な印象を与えた。デビュー後の櫻井翔の驚くべきエピソードに、コンサートが地方であっても、その日のうちに新幹線で戻り、あくる日の学校の授業を終えると、またコンサート会場へ向かった、という。

 ドラマと学校の試験が重なったときは、撮影が終わるとファミリーレストランで勉強した。朝になって家でシャワーを浴び、学校のテストに向かっていたので、1週間で8時間くらいしか寝ていない、と語っている。学業が第一の生活が続いていたようだ。1999年に嵐は華やかなデビューをしたが、一躍スターダムにのし上がったわけではなく、不遇の時代があった。2006年頃から、5人のそれぞれの個性も確立され、ブレークをし始め多くの人を魅了。2009年には国民的アイドルとして、不動の地位へと成長を遂げた。

 芸能人の中にも多くの人がファンになっているという。先日のテレビ番組の中で、将来は人間国宝になるとまで言われている、狂言師の野村萬斎さんは家族5人でファンクラブに入っていると、嬉しそうに話していた。私は嵐のファンクラブに入っていないので、当然コンサートに行けるわけもない。しかし、嵐5人がお互いにリスペクトし合って、バラエティー番組で5人が楽しそうにしている姿が、大好きだ。中でも櫻井翔が少年時代から今に至るまでの、人としての魅力に惹かれている。慶応大学経済学部を留年することもなく卒業した彼は、その後も学生時代の仲間と定期的に会っては、一般人の感覚を失わないようにしているという。彼の持っている本領を発揮していくようにもなった。

 彼らが歌う楽曲の中のラップ部分は、ラップ詞を豊富な語彙を駆使して櫻井が作詞し、自身が歌う。バラエティー番組で見る櫻井翔の一言、一言、「頭が良いなぁ」「なんて空気の読める人!」「気遣いが出来ている」と感心し、彼の出るテレビは録画をして、見そびれないようにしている。嵐5人での会話もMC的役割の櫻井が、全員が話せるように回し、和気あいあいの雰囲気が醸し出される。ゲストに対してもきちんとした対応をしているのも好感が持てる。

 櫻井翔はドラマや映画、24時間テレビの司会、長時間の歌番組のMCなど、仕事が重なることがあっても、断ることをしない。ワーカホリックと自嘲していたが、休みの日には分刻みで自分の予定を入れる几帳面さも有名だ。2006年に始まったニュース番組『NEWS ZERO』(メインキャスターは村尾信尚)に、月曜キャスターとしてアイドルの櫻井翔が起用される。当初、彼の起用には賛否両論があった。昨年、メインキャスターがNHKにいた有働由美子に変わり、スタッフもすべて変わっても、櫻井だけは残っている。

 今までに被災地には毎年連続して出かけているし、嵐としてはコンサートを開いて喜ばれた。キャスターとしても、何度も取材に出かけている場面を放映している。日テレの、オリンピック・スペシャルキャスターとして、櫻井翔が今までに北京、バンクーバー、ロンドン、ソチ、リオ、平昌と6大会に選ばれている。

 選手には積極的に事前に取材もしている。以前、明石家さんまが櫻井を評して、彼の取材ノートの凄さを「真面目過ぎて、嫌やわ~」と言っていた。パラリンピックの種目にも実際に体験したりもしている。選挙があれば選挙特番にもいつも起用される。年齢も近いことから小泉進次郎への取材も、視聴者の興味を引いた。

 若い人のニュース離れにも一役買うとして、起用されているのだろう。政治のこともスポーツのことも、もちろん芸能のことも、コメントは、ヒイキ目線を差し引いても、櫻井らしい言葉のチョイスで、視聴者にきちんと伝わってくる。しかし、ネットニュースの中に、特定の編集部ではあるが、思い切り櫻井のことを悪く書いているのを見かける。キャスター・レポーターとして、全く無能であるというものだ。櫻井はアイドルとして忙しいので、被災地などには取材に出かけないで、スタッフに全部させている、カンペばかり見ていて、噛んだりしている。官僚だった父親の威光のお陰だけである、というもの。

 そして、当時はまだ夕方ニュース『news every.』(ニュース・エブリィ)のキャスターをしていた、ジャニーズのNEWS・小山慶一郎をアナウンサーのようだと褒めて、櫻井と取って代わる構想がある、とまで書いていた。度々似たような文面でネットに乗せていたが、小山君が未成年との飲酒という不祥事で番組を降りると、さすがにこの記事は落着した。

 と、思っていたら、同じ編集部の特定のライターが、今度は新しくジャニーズの新会社(ジャニーズJrの育成)の社長に就任した滝沢秀明が、恐怖政治を東京五輪のあとにするという、記事を載せた。その対象は櫻井翔で、「俳優としてもキャスターとしても戦力外だ」嵐の活動休止明けには、ジャニーズ事務所から追放するであろう、と。理由は変わらず、カンペを頼りにしているとか、有働さんに嫌われているとか、『NEWS ZERO』のテレビ画面を見ている者には、理解しがたい内容である。こうしたフェイクニュースを、真に受ける人も少ないとはいえ、ファンにとっては、この特定の記事・人物の断罪が願われることである。

 活動休止宣言のあくる日のテレビやネットニュースでは、記者が「無責任ではないか」と質問したことが、大きく取り上げられ、コメンテーターたちは、記者の「無責任質問」には批判的な意見が多く語られていた。1月28日、月曜日の『ZERO』で、有働キャスターが改めて「無責任」の指摘・質問をした記者への感想を聞いている。

 櫻井翔は「あの質問のお陰で、ファンへの誠意に対する、きちんとした思いの丈を、温度を上げて伝えることが出来た」と、記者という職業柄の質問だったのだとして、誰をも傷つけない見事な返答をしていた。ネットニュースに一喜一憂するのは、大人気ないし馬鹿だとも言われるだろうが、「櫻井翔のブランド価値が上がった」というものや「櫻井翔に絶賛の嵐」という評を読むこともできた。嵐はトップの座の重圧から解き放たれ、活動休止は良い選択なのだと理解したい。

 櫻井翔は、中学2年生の少年時代から身を置いた芸能界で、様々な苦難・体験・評価を受けながら、成長し続けてきた。実力や努力だけで成功する世界でもなく、隙あらば蹴落とそうとする輩もいる。運や人との巡りあわせが大きく左右する世界だ。2020年12月31日以降の、個人としての櫻井翔の活躍を大いに期待しながら、見守って行きたい。嵐の5人が復活する時には、全員が魅力あふれる叔父様になっているのかな。それまで私も元気で過ごしていたいものだ。好きだからこそ、彼自身が本当の幸せを掴んで欲しい。

 

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