
【連載】頑張れ!ニッポン㉚
トランプ関税政策に揺れる世界
釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)
米国のインフレが加速?
米国への輸入品について関税を大幅に引き上げる政策が発表されて世界中が揺れている。
関税を大幅に引き上げれば、米国市場で外国製品の価格が上がるので、米国メーカの製品が大いに売れて米国製造業が復活し、雇用も増えるだろうというのが狙いだとか。
しかし、価格上昇によるインフレ懸念や景気後退について指摘する評論家が多い。そこは経済専門家にお任せするとして、ここでは製造業のサプライチェーンについて考えてみたい。とは言え、この方面についても正直なところ素人に近いので、その点はご承知の上聞き流して頂ければ幸いである。
さて、自動車にせよ半導体にせよ、今や製造全般にわたり国際的分業が広まっているので、関税引き上げの影響はかなり複雑になるのではないだろうか。
例えば、この連載26でも触れたが、アップルはiPhoneを中国河南省にあるフォックスコーンの巨大生産拠点で作っている。そこから米国に輸入すると34%の関税が課せられるのか。そうなると、iPhoneの米国での販売に影響を与えるではないか。
この様に関税の引き上げは米国企業にも影響を与える事は容易に想像できる。トランプ大統領は「それが嫌ならアップルはiPhoneの生産を米国内に引き返せ」と言いたいのだろう。
それには米国内に製造ラインを再構築しなければならないし、労働者を集めるのにも時間がかかる。ましてや熟練労働者の確保は短期間には難しいだろう。賃金の安い外国労働者を集めようにも、移民政策の見直しにより出稼ぎ労働者は母国に追い返したのではなかったか。
アップルが中国で作っているのは、経済的合理性を追求しての事だろう。自動車産業の事はよく知らないが、報道によれば米国のGMやフォードなどはメキシコで自動車を生産してそれを米国に輸入していると言われており、それには25%の関税がかかる事になる。
完成品だけでなく部品も海外から調達する事が普通であり、それらに関税がかかると車のコストが上がってしまう。それを避けるためには米国内での生産を増やすしかない。それがトランプ大統領の狙いだろうが、そのためには年単位の時間がかかる。それまでに米国ではインフレに悩むことになるだろう。果たして米国民はそれにどこまで耐えられるのだろうか。
日本のシリコンウエアに依存する米企業
関税引き上げて米企業が影響を受けるのは、半導体業界でも同じだ。とくに米国のファブレス半導体企業、例えば、売上ランキング上位に名を連ねるエヌビディアやクアルコムなどである。
台湾のファンドリー企業、TSMCやUMCに製造を委託し、それを米国に輸入しているのだ。それらの企業には34%の関税がかかることになるのではないか。
もっとも、TSMCは台湾有事に備えるという別の理由で、米国からの要請で米国内に最先端ラインを建造中だが、そのラインの完成にはまだ時間がかかるだろうし、生産量も限られる。
その上、前回に紹介した様に、トランプ大統領はTSMCへの補助金を含むチップ法の見直しも検討しているだろう。半導体においても自動車ほどではないかも知れないが、インテルやアップルなど米国企業は部材を外国からかなり調達している筈だ。
シリコンウエハは日本の信越半導体やSUMCOが2社で50%以上のシェアを占めていると言われており、米企業は日本企業からの供給にかなり依存しているのではないだろうか。もっとも、ファンドリーに委託する場合は、シリコンウエハを日本から台湾に直接送るのかも知れない。
ではパッケージはどうか。
日本企業の京セラやイビデンのシェアが高いと言われており、米国企業はこの2社から相当量を購入している筈だ。但し近年TSMCは組み立て工程に於いても受託事業を始めているので、その場合の部材の流れはどうなっているのだろうか。
そこまでの事は知らないが、要するに全ての部材確保、全ての工程を一国でまかなっている所は無いと断定できる。世界中にサプライチェーンが張り巡らされており、トランプ大統領の関税政策が実行に移されれば、世界中の製造業は大打撃を受けることになる。
損害をできるだけ回避しようと世界中が動き出し大混乱が起こるのではないか。トランプ大統領はこれまで前言を翻すことを平然とやるので、慎重な対応も求められるだろう。今回の関税政策に対応して米国へ生産を移した後で、「やっぱりやめた」などとなると、早く動いたことが大損害を招く事になるかもしれない。何とも悩ましい事である。
▲半導体のパッケージ(京セラのHPより)
▲JEITA(電子情報技術産業協会)が「半導体フォーラム」で次世代に向けて半導体産業で働く魅力を発信
米国よ、売れる車をつくれ!
トランプ大統領はアメリカの車が日本で売れていないことに不満を表明しているが、これは昔の日米自動車摩擦を思い出させる。1970年代を振り返ってみよう。石油危機に直面していた米国市場で、価格が安く燃費の良い日本車の販売が急増した。
その為、経営危機に陥った米国の自動車メーカや労働組合は政府に対して保護措置を求めた。こうして1980年代から1990年代にかけて日米自動車摩擦が続く。その結果、日本車の輸出規制が実施されたのである。
しかし、一方で日本各社は米国内に工場を建設し始めた。例えば、トヨタはケンタッキー、テキサスに、ホンダはオハイオ、インディアナに日産はテネシー、ミシシッピーなどに生産拠点を持つことになる。日本各社は日本からの輸出に加え米国内の生産も合わせ、米国での売り上げを伸ばした。
▲トヨタのケンタッキー工場(automotorpad.comより)
それに引き換え、アメリカの車は日本では売れていない。昔は「アメ車」があこがれの的であったが、石油危機以降は「ガソリンを垂れ流して走る」と言われたアメ車は、日本では売れなくなった。
日本市場に適した車を作ろうとしないアメリカ側に問題があると思うが、車検制度や厳しい安全基準などを非関税障壁だと言っている。それを乗り越えるのがメーカの努力ではないか。
かつての日米半導体摩擦では、日本市場での外国製(実質アメリカ製)半導体のマーケットシェアを20%以上にせよと迫られた事がある。当時は日本が必要としている半導体は中々見つからなかったが、今やアメリカ製のMPUやGPUが日本はおろか世界を席巻しているではないか! アメリカ車でも良いものを作れば世界を席巻するようになるだろう。そう私は思うのだが……。
【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】
昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)